術後44ヶ月〜術後46ヶ月
2005年10月〜12月
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術後1331日 05年10月1日 今日は怨めしや怨飯や |
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すっかり秋の気配になってきた今日この頃、せっかくの連休なのに今日も雨予報いったいどうなっているのやら。怨めしや!怨めしや!なんで雨なのかストレスが溜 まりそうであるあ〜〜山に登りたいよ。人間ストレスがたまるとその解消法として女性は買い物と食事と相場が決まっているけれど男はお酒か俺は怨飯である。本当は山に出かけてた帰りに新潟駅により29日に予約しておいた「エキナカありがとうキャンペ−ン」の駅弁をもらう予定であったがこの雨では。しかしせっかく予約しておいた弁当なのでキャンセルするのも悪いので雨の中、新潟駅向かった新潟に近ずくにつれ雨音はますます激しさをましていく。
た。ほんと今日は怨めしい夕ご飯になってしまった。(詳細は怨飯をタッチ) |
術後1339日 05年10月9日 尾瀬の至仏山のはずが? |
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ここは月山のオモラシ原と月見ヶ原でした。 |
術後1344日 05年10月14日 先行きが心配な旅行 |
毎年悪友のW夫婦と旅行に出かけており今回は悪友の希望で、昨年訪れた玉川温泉に感激しぜひもう一度入浴したらしい。。少しお腹が出てきたのでハイキングなどもしたいとの希望があった。俺は毎々から行きたかった平泉の中尊寺が見たいので昨年と同じく秋田県にある乳頭温泉郷の[蟹場温泉」に宿を取っていた。 旅行プランは、まず14日夜10時新潟出発→15日朝、八幡平ハイキング→後生掛温泉→玉川温泉→乳頭温泉郷温泉めぐり→乳頭温泉「蟹場温泉」泊。16日は平泉の中尊寺→磐梯吾妻スカイライン→自宅という二つの温泉郷(秋田八幡平温泉郷と乳頭温泉郷)に入浴するすこし欲張りなプランであった。しかしもう14日の出かけるときから天気予報は15日は全国的に雨マ-クがでており先行きが心配の旅行になる。夜10時に自宅を出発し磐越道から東北道と高速を乗り継ぎ岩手山SAを目指し出発した。 |
術後1345日 05年10月15日 今日は温泉三昧だとです。 |
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♪♪♪岩手山SAで目覚めるとやっぱり天気は雨だとです。岩手山も八幡平も雲の中とです。しかたないとです。あきらめるとです♪。温泉三昧に変更したとです。最初は後生掛温泉だとです。馬に引かれて来て帰りは馬を引いていったという言い伝えがあるほどの良く効く温泉だとです。お湯の名前がいいとです♪ずばり「神経痛の湯」だとです♪♪
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術後1346日 05年10月16日 今日もすべて裏目だとです。 |
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術後1353日 05年10月23日 今日も怨めしの雨 |
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術後1356日 05年10月26日 雨飾山は平日に限る。 |
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布団菱 紅葉 荒菅沢からの雨飾山 |
術後1360日 05年10月30日今日は最後までラッキ−な一日 |
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術後から飲みはじめている霊水が2箇所あり、1つは能登半島の中島町にある「藤瀬の霊水」であり、もう片方は富山県上市町にあり全国名水百選にも選ばれている「穴の谷(あなんたん)霊水」である。今回は[藤瀬の霊泉」を汲みに朝9時に家を出た。今日は帰る時間はあてに出来ないと思いながらの出発である。そしての一番心配なのは天気予報である。曇り時々雨予報。しかし今日しか都合がつかなく晴れますようにと祈りながら高速を走る。 新潟県と富山県は今にも雨が降りそうな天気であったがラッキ−なことに金沢に入ると青空が見えてきた。金沢東インタ−で降り能登有料道路を北上し中島町の横田インタ−から藤瀬の霊泉まで4時間のドライブである。着いてみるとラッキ−なことに車が一台しかおらず、すぐに水を汲むことが出来た。管理人さんに尋ねると午前中はたいへん混雑したらしくいまようやく空いたところらしい。現に水をくんでいる最中にも車がおおくなりあっという間に駐車場は満車になってしまった。 思っていた待ち時間もなく20リットルのポリタンク12本とペットボトル10本に水を詰め終え戻ることに。後は戻るだけなので時間が読めるので少し観光などと思い千里浜なぎさドライブウエイで休憩などしながら新潟に戻る。 さて今晩の夕飯は何をたべるかということで、久しぶりに回転寿司が食べたくなり何時も食べているすし屋さんではなく他の地区の回転寿司で食べる。ここはみそ汁がお代わり自由で大好きなガラ汁で3杯もお替りしてしまった。ネタも小ぶりで食べやすかった。そして一番よかったのは店員さんの対応であった。最後にかあちゃん会計を済ませて車に戻ってくると思ったよりぜんぜん安かったと喜んでいる。今日3つ目のラッキ−なことであった。
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術後1364日 05年11月3日 至仏山はよっぱら山? |
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術後1374日 05年11月13日 今日は日本3大○○詣で。 |
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久しぶりに休日の天気予報は晴れマ-ク。本来なら山に行くはずだったが去り行く秋の穏やかな一日を山のみで過ごすにはもったいなく急遽予定を変更して山の神と紅葉と温泉巡りに出かける。行き先は前々から行きたかった日本三大渓谷の1つ清津峡。そして日本3大薬湯の1つ松之山温泉である。出かける時間が遅く松之山温泉での時間が長く取れなかったけれど去り行く秋の穏やかな一日を堪能することが出来た。
山は逃げない。山はいつでもいける。でも歳はまた今月1つ逃げてゆく。 |
術後1378日 05年11月17日今日はフェニックスとワイン |
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駅弁を食べ終え13時にがんセンタ−外科外来に入る。今日の目的は前月の外来でお願いしていたインフルエンザの予防接種である。ラジオでは中国で鳥インフルエンザで2名が亡くなった事を放送していた。昨年は11月初旬に接種したけれど今年は少し遅くなってしまった。ここ1-〜2年は12月頃になるとワクチンが足らなくなっており今年はどうなるのやら。まずは何時ものように「575」コ-ナ-に行く。
ワクチンの予防接種も終わり会計を済ますとワクチン代金税込みで3780円である。毎年のことであるけれど山ノ神はもったいないといってしたことがない。体だけは丈夫なのである。抵抗力や免疫力の落ちている胃がん患者にはこれで風邪をひいても悪化しないと思えば決して高いとは思わないが。しかしながら、毎年おなじ言葉が出てくる二人の会話である。まったく進歩しない夫婦である。
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術後1319日 05年11月19日 第九とぷらざと従妹 |
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珍しく従妹のK子が遊びに来た。彼女はがんセンタ−で6年前に胃がんの手術をしており今は元気にすごしている。俺が入院中や退院後はなにかと心配してもらっていたが最近ではあまり会うこともなかった。どうも我が家は母方に癌のDNAがあるらしいのがそのとき解った。 それはさておき、彼女は今が合唱サ−クルにはいっているらしい。そんな彼女がチケットを持ってきた。そのチケットとは12月になるとどこでもやっている第九の合唱コンサ−トチケットであった。聞けば胃がんではないが同じ病気を持っている方の紹介で入ったらしい。そんな彼女たちも病気に対して前向きに生き歌っているとのこと。 彼女も癌になってからも仕事にも病気にも前向きに生きており某新聞にたまたま投稿したものが記事になったらしくその記事のコピ−を持ってきた。10月の新聞の記事で全国版であった。その内容とは。
彼女の恋人とはがんセンタ−のN外科部長であることはすぐに解った。。しかし同じいとこでも文才がどうしてこうも違うのか。俺は劣勢遺伝子をもらったのか。。しかし彼女は仕事が忙しくて会えなかったらしく変更してもらった来年の1月を楽しみにしていると言っていた。男性には解らない心境かなと思ったりもしたが、もし俺の主治医が美人だったらと思うと解るような気もする秋の一日であった。 |
術後1381日05年11月20日胃友の会・術後浅い人の勉強会 |
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術後1384日 05年11月23日 あっぱれいややっぱり残念。 |
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11月3日の尾瀬以来ご無沙汰していた登山に出かけた。行き先は新発田市にある新潟県の名峰「二王子岳」である。天気予報では午前中は晴れマ-ク。青い空、新雪、雪に輝く飯豊連峰のはずが。晴れのち雪のち雨と素晴らしいお天気に恵まれました。(~o~) 期待していた飯豊連峰はなぜか雲の中で小さくなっておりました。その訳はある男性が原因でした。その男性に主役の座を完全に奪われ喰われたようです。あっぱれな人でした。その男性とは新発田市にある山岳会の人達で山頂にある「青春の鐘」を冬が着たので春まで山小屋に保管するために登ってきたのでした。 保管後はお決まりの酒宴である。天候の悪い山頂であの小さな非難小屋の半分を彼らが占領してしまった。何処の山小屋でもある光景だが自分達だけが楽しければいいのか、下にも非難小屋があるわけだしやっぱり残念でならなかった。
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術後1385日05年11月24日誕生日に素適なプレゼントメ-ル |
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日本酒がおいしい季節になりました。 |
術後1395日 05年12月4日 血が騒ぐ |
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今年最後の連休なのに天気予報は今日も雨や雪マ-クで芳しくない。しかたなく書店に行き本など見終え外に出てみるとなんと青空が広がっていた。これだから天気予報と女ごころはむずかしい。この空を見て血が騒ぎだした。この時間で高い山は駄目であり迷わず「西蒲三山」の角田山に向かった。 コ-スは灯台コ-スが一番好きであるが今回はちとフェイントを試みる。夕陽もを期待したけれどこちらは雲の中になってしまい叶わなかったが初冬の山歩きができ楽しい半日を過ごすことができた。 |
術後1409日 05年12月18日 将軍様とお戯れの会 |
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今年の冬は早く異常である四国や九州も雪マ−ク。今年の冬一番の寒気団が日本列島を襲っているらしい。今日の朝今年の冬はじめて除雪車が出動した。20cmほど降ったであろうか。今年の冬最初の雪とのお戯れをこ一時間程する。昨日の朝はすばらしい朝日が昇り午前中は快晴の天気だったが予報どうり午後から荒れだしてきて夜は吹雪になっていた。
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術後1413日 05年12月22日 県都大停電と外来 |
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今日は今年最後のがんセンタ−外来である。天気予報は先週に続き大寒波が来るらしく霙交じりの暴風雨が吹いている中を出かける。普通1時間弱でいける所、新潟市内に入ってから停電と火災とで道路は大渋滞。少しでも近道をしようと右折左折禁止もなんのその。「みんなで曲がれば怖くない」状態である。唯一、幹線道路だけはついていたがが何の足しにもならなっか。そんな中2時間かけてがんセンタ−に到着する。 がんセンタ−も停電で自家発電で対応しており最低限度の照明の薄暗いなかでの外来となった。こんな日はさすがに外来も少なく直ぐに順番が来てしまった。停電でこんないいこともあるかなと思いながら先生と来年2月のCT検査と胃カメラの予約の打ち合わせをして血液検査に向かった。 ところが、停電の為血液検査は30分待ちとのこと。こんなところに停電の影響がでてきたらしい。だた待っているのも一階なので寒いのですこし院内を散策する。何処の時計も9時35分で止まっておりその時間から時を刻んでいなく停電したらしい。時々院内放送では停電の状態とJRや道路状況を放送している。 そんな停電のなか売店は大繁盛でパン類、ご飯類は完売。暖かい飲み物は1Fの自販機1台のみ稼動とこの売店のみである。みなさん自宅に持って行く為の買い物が多そうである。隣の棟にある食堂も暗い中で営業をしていた。俺も帰りの大渋滞の車内で食べられるものを少し購入する。そんな病院も会計を済ませ院外薬局へ、こちらも停電のなかでみなさん懐中電灯を使いながらお仕事をしていました。 結局帰りも2時間もかかり帰宅する。マスコミは新潟市内の大停電の放送をしていた。まあたまにはこんな体験もいいもんだ。電気がなければ陸の孤島化し何もできなくなる現代社会。しかしこれを教訓になにかあった時の対策など思わないところが凡人の俺である。まあ、ろうそくもスト−ブも軽油も薪もたっぷりあり,霊水も野菜もある田舎の我が家であるが そして今日は一年のなかで一番暗闇が長い冬至でもある。
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術後1416日 05年12月25日サンタさんから素敵なプレゼント |
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23日も24日もお仕事であった俺に今日サンタさんから素敵なクリスマスプレゼントを頂いた。朝起きると外は雪模様の天気であるが予報は曇りである。しかし中越地方は空が明るくなっており、もしかすると、もしかするかもと期待しながらピンポイント予報をチェックする。上越方面と中越方面は青空が望めそう。決まった米山さんである少し時間は遅いけれど高速を飛ばして米山さんに向かった。 ところが、柏崎が近くなるにつれ米山さんの雲行きがどうも芳しくなく急遽柏崎インタ−で下り八石山に変更する。八石山は米山、刈羽黒姫山、と並び「刈羽三山」の1つでここ2〜3年注目され始め2002年の11月に登っている山である。地元のみなさんが手作りで整備された登山道がありそしてなんといっても山頂にある山小屋が最高である。こんな山小屋は日本、いや世界中を探しても無いほどの素敵な山小屋である。そんな素敵な山小屋と白い妖精さんとお戯れの会を楽しんできた どんなに素敵な山小屋かは画像をクリックしてみてね。 |
術後1412日 05年12月31日 今日は大晦日 |
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この青空があるから先人たちも厳しい冬を耐えられたのであろうか。昨晩は大荒れのなか忘年会であった。いままで荒れていた天気が嘘のような青空が朝から拡がっている。午前中にガラス拭きを終わらせ大掃除は終了である。新年は初日の出が拝めそうである。 |