芽を出すまで、とても時間のかかる子供たちがいます。緩やかに成長し、ある時期になると開花の準備が整い、大きくて美しい花を咲かせる子供たち、この15年でそういう子供たちを何人も見てきました。
もっと早く咲かせることもできただろうに、成長を遅らせたのではあるまいか、と反省する一方で、無理な指導をせずに良かったと自分を肯定する、そういう葛藤の繰り返しにめげないでいると、結構良いことが多いものです。
子供の成長に周囲の人々が合わせていくという感じですね。たとえば、言葉をなかなか覚えないとき、自然状態で何歳までに発語できればよいのかを知り、そのタイムリミットまでは気長に待ってあげると良いと思うのです。
ただし健康診断にだけは、きちんと連れていってくださいね。病気や障害のおそれがあるからです。特に聴力障害は気づかないことが多いのでご注意ください。ところで、何歳までにどれくらいのことができると正常なのでしょうか。
9歳児で50メートルを10秒で走れると速いのでしょうか、それとも遅いのでしょうか。漢字テストで80点ぐらいだと、良い点なのでしょうか、悪い点なのでしょうか。
様々な指標があって、その合格基準をクリアしていないと心配になる親心。一つ一つ解決していこうとする完全主義の考え方が、子供の自然な成長を阻害する危険性をはらんでいます。
なぜならば、そのような基準の一つ一つは子供たちにとって明確な目標になっていないからです。その段階で、クリアしていないことが親にとって心配であるのと同様に、突然現れた到達目標は子供たちを驚かせ悩ませるのです。
さらに、自分なりの自然な成長速度ではない到達目標は、意識的に自然状態を離脱するよう働きかけます。身体的にみれば、15歳前後になりようやく手首の骨が完成されると聞いていますが、児童労働の禁止規定は子供の健康を守るためにあると理解しています。
子供の自然な成長を社会全体で守るために、様々な保護規定があって、社会組織の使命はそれを遂行することであるはずです。それなのに、子供の成長を阻害しかねない様々な到達目標が突如現れる、そういうことが子育てのかなりの部分で存在しているのです。
もう少し子供たちに対して情報の開示を進めたほうが良いのではないかと考えます。公正さをもっともっと押し進めていかなければならないからです。地域文化の独自性を低下させる目的ではなく、地域ごとに流れている時間の意味を正しく理解してもらうためにです。
子供たちが自然速度で成長し、適正に開示された情報をもとに社会性を身につけ、成長速度を変化させることができるような柔軟性を、これからの新しい社会に期待しています。これについては後述させていただきます。
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