子供たちの連帯感が無くなり、集団で行動しなくなると、子供たちは疎外感を感じることになりました。 本当はみんなと遊びたいのに、相手も場所も時間も無いんですね。
一人遊びを上手にこなす子供が、その状況を自然なことだと思いこむのはあたりまえです。 こうしているうちに大きくなってくると、対人関係が下手な大人に育つはずですが、そうでもないということがわかります。 というのは、子供たちが下手になったのは「子供としての振るまい」であって、大人社会でいわれるところの対人関係はむしろ上手なのです。 子供の住み分けの先には常に大人がいて、どこに行っても商業の対象になると、大人とのつきあいは上手になります。上辺だけの信頼。お金がからんだ人付き合い。 子供たちは内部からも外部からも分断管理されるようになりました。かといって、各種倫理観が民主的手続きを経ていないので、普遍的なものに身を置くことはできません。 子供でいられるはずの回帰場所、自然・家庭・遊び場・学び場・祖父母の家は、距離的にも気持ち的にも遠くなってしまいました。こういう状況下で誰が得をするのでしょうか。恣意的に今日的状況を誘導したのは、経済社会だけではないようですね。 話は変わりますが、子供をあやすのが苦手な子供が増えているようです。これは無関係ではないんですね。いよいよ各論的話題に突入します。ご訪問してくださった皆様、今後ともよろしくお願いいたします。 |
上野正彦氏の「老人の自殺と子供の自殺は同じです。」というお話をご紹介させていただいたときに、後回しにさせていただいたことがあります。 「孤独だから死ぬのではなく、いじめられるから死ぬんです。」 なのに、孤独に耐えられなくて、いじめられても良いから仲間に入ろうとする子供がいます。仲間は決していい仲間だけではありません。もしかしたら、いじめ集団かも知れません。自分と同じ被害の加害者になるかも知れません。孤独に耐えられない状況とは何でしょうか。 それは単なる孤独ではありません。無人島に一人取り残された孤独とは全く異質な孤独。人口過密地帯に住んでいても、自我が形成される前から存在する排他的な雰囲気。そういうことを子供だから感じられるのです。 老人は長く生きてきて、良いことも悪いこともしゃばで感じてきて、圧倒的な疎外感の中で孤独を感じます。子供は本能的に感じ取り、解消するノウハウの無いままに孤独を感じます。 この二つは異質な孤独感であるのに、孤独であることに自己の尊厳を確保できるという点で共通しています。一種のすみわけを侵害するもの、それがほかならぬいじめです。いじめはかなりきついです。子供を孤独に追いやった諸状況が、外見的に孤独でない環境に移り住むことでは遮断されないのです。 いいかえれば、人はだれでも自らの言動を与えることにより相手を変革させ、状況を改善できるけれども、その前に自己決定がなされない限り、アクションを起こせません。 また、あまりにもアクションの対象が強大なときにはあきらめざるを得ません。子供たちにとって身を守るために不可欠な行動が孤独であり、防壁から出れば当然にいじめられます。 そしていじめる人。いじめる子は孤独を経由せずに小集団に潜り込んだけれども、本来は大集団の中にあってやはり孤独な子供たちであることを忘れることができません。 「老人の自殺から子供の自殺を類推できます。」 憶測という言葉がありますが、物事をあまりに実証的にとらえるのも考えものです。それは子供の心を心理学的にとらえることのみにとらわれているような姿勢に類似しています。 「わかってほしい。」この言葉の意味をもう一度問うてみる必要があるのではないでしょうか。 花や動物の言葉を理解する人がいると聞きます。それは学問的な意味ではありません。感受できるかどうか、その感受する気持ちを子供たちは必要としています。 |
蛇の中のかえると表現した子供がいました。ところ変われば君もそうなのだ、と言いかけて僕は話をやめました。相対論で話してもわからないかも知れない、そう思ったからです。
大人の社会でも権力者に対して、あなたの権力は相対的なものであり、あなたが権力だと感じている様々な決定権は、我々の権利の一部をあなたに預けているに過ぎないのだ、と話しても即時的効果があるとは考えにくいです。 それに、いじめの被害を受けている本人にそのような達者な弁論ができるでしょうか、いやそれは無理だと思います。こういう追いつめられた場面で主張できる人は、その主張が原因で少数派たるような地位に甘んじることはあっても、そうそうやられっぱなしではありません(笑)。 弁論ができない被害者と、弁論を聞いても理解できない加害者。これは大人の社会でも良くあることですが、異なることがあります。それは被害者、加害者がともに子供である点です。法律的には互いに無能力な人が犯した犯罪。もし意志能力のある大人であれば、立派な犯罪が成立しそうです。暴行罪、傷害罪、名誉毀損罪。民事上刑事上の損害賠償。そして、無能力であることを除けば構成要件をみたし、被害者の立証責任も容易に果たせる状況。 このような、「もし大人であれば」という仮定で考えたときに当然犯罪なのに、未成年者の場合刑罰は軽くて済むという事実があります。考え方としては、いったん大人と同じように罪を認定した上で、年齢は軽減するための根拠だとする考え方と、 犯罪の構成要件として意志能力が含まれるのだから、もともと犯罪ではないという考え方です。刑法の解釈はかなり高度ですのでここではこれ以上踏み込みません。 また法は単に法律ではなく、法治国家の法とは社会運営システムの全てをさしています。この点についての改善ポイントもたくさんありますが、子供の視点からという趣旨を守って行きたいと思いますので、「子供の歴史」では論点がぼけないように、子供の側から気持ちと行動を主張できる方法を取っていくことにさせていただきます。 話は戻りまして、相対的な問題としてとらえられないとき、いじめている子供に対しどのようにいったらよいのでしょうか。そのことを考える前に必要なことが一つだけあります。 いじめはアンダーグラウンドなので、他人にはわからないことが多々あります。特に脅迫のからむことが多いですので被害にあった子供たちは、こわくて口を開くことができません。警察のように被害状況の調査と証拠の収集といった手法では実態がつかみにくいものです。 そこで大事になってくるのが冒頭に書かせていただいた、「蛇の中のかえる」をどう理解するかなんです。これを言ったこどもは貴重な目撃者なんです。彼が助けに入らなかったことを云々言うより、彼の発言を価値あるものとしてとらえることが必要です。 いじめは極めて主観的な行為であり、いじめている子供にも何か訴えるものがあります。ですから同じ見ている人の中でもより主観的に感じ取ることができる目撃者の考えが大変重要になります。 単に事実行為を客観的によく知っている人以上に、いじめ行為当事者の考えや気持ちを自分なりに理解している人が主観的にとらえた事柄。これが、たとえ当事者の正確な考えを表象していなくても、その中に貴重な真実が含まれているはずです。このことが、目撃者のみでは罰せられないという原則を超えて、問題を解決する糸口になります。 両者が未成年者であるからこそ、主観的な判断が必要になり、主観の集合した判定結果を正しいとするのが、子供の正直さを代弁することになるのではないかと思います。蛇とかえるとそれを見つめる子供、逃げ出す子供、こういうことを見てくれる大人の存在を欲しているのです。 |
2002年改訂と歴史教科書問題でゆれる教育界です。新指導要領から円周率が3になるというのは誤った情報であり、現行指導要領もおよその数として3で良いというのが本当の意味のようです。
新しい歴史の教科書で、日本の第二次世界大戦における動機と戦争犯罪に関する問題は、歴史の再評価ということで表現の自由は必要なことであると思います。 ただ報道の自由が個人の人権を侵害しているのは事実であり、公共の電波使用権を独占的に扱っている企業は、自粛の努力をしているとは思いますが、それは現場レベルでは守られていないように思います。教科書も国のお墨付きを得たマスコミのようなものです。子供に良い知識・悪い知識を与えています。犯罪・戦争・環境破壊・権力の乱用は悪いとされ、公安活動・平和・環境保護・公共の福祉は良いとされます。 子供にもいろんな考えがあるのに考えることさえいけないという 「タブー」を作りすぎているのではないでしょうか。なぜ、これは良くてあれは悪いのでしょうか。道徳や哲学の問題でもあるでしょうし、個人と社会の関係を考える社会思想学でもあるでしょう。公民の教科書でおなじみの、ロック・モンテスキュー・ルソー。彼らは啓蒙思想家です。学問的に自然権思想を生み出したというよりは、現状の改善を訴えた人たちです。 新しい歴史の教科書で、日本の戦争参加の動機が「アジアの救済」ということになると、史実をゆがめているという批判がすぐに起きてきます。しかし、それは子供にとってあまり関係のない批判なんですね。むしろ、そういう考えもあるのに取り上げてこなかったことに問題があります。 歴史の解釈はそれをどうしたいかという一人ひとりの信念に委ねなければなりません。でなければ、民主的手続きを踏んで欲しいと思います。世論の多い少ないで判断するのならきちんと手続きはするべきですね。そういうことをあいまいにしてきたからこそ、子供の判断基準が失われてきたのだと思うのです。 子供が参画しない場面で、「タブー」を数多く設けることによって、子供の考える力と喜ぶ感性を失わせるような、社会の諸権能は適時改善されなければならないと思います。 ロック・ルソー・モンテスキューが取った姿勢は、人を人としてみることの重要性を訴えるという方法でした。文芸復興はルネサンスの訳語ですが、人間復興とも言うべき時代に現代はさしかかっていると思います。 そして、それは教育問題に限りません。「基礎か応用か。」という言葉が、「『何を学び、何をすればよいのか。』を考えるためには『何を学び、何をすればよいのか。』」という言葉に置き換えられたとき、いじめを始めとする子供の社会に対する主観からなる問題と、子供の学びたい気持ちを失わせてしまう問題を解決するための礎ができるのではないかと僕は考えています。 |
1985年生まれの子供たちが高校生世代になりました。この年に生まれた人たちは、ある意味ターニングポイント世代です。というのは、1980年生まれの人たちが創り出した子供の文化を忠実に継承しながらも、それより上の世代の文化からはほとんど影響を受けていないからです。
少子化が進行し定着した世代ということもできます。生まれたときからほぼ現在の生活内容が定着していました。未満児保育、学校カリキュラムの変更、児童手当等受給条件の緩和など、行政の民政上の取り組みが本格化した時代でもあります。 子供たちは時代を変化としてとらえるのではなく、社会のありのままの姿を見ながら育ちました。頻発する事件を他人事のように見ていながらも、気持ちの中では自分なりの感想を持ちながら大きくなりました。 1980年代の子供文化を継承できなかった理由を考えてみたいと思います。 第一に、社会の高度化にともなう知識獲得の必要性が、社会の権力機構を維持するシステムとして組み込まれ、社会から与えられる規範性が学歴に象徴されるようになり、これに反発する形で形成されてきた子供文化の行き場が無くなってしまったこと、があげられます。これは学歴社会を維持しようとする側と反学歴社会の対決構造であり、その主張は学問の自由を求めるものであったり、学歴社会における不利な人の立場から述べられる要求でした。子供たちはこのような二極構造の両方で主体者でした。そして、そのような対決姿勢での連携が文化の大きな流れを生み出していたのですが、1980年頃から崩れてきたのです。子供の歴史T・Uでは崩れてきた子供の主体性を考えてまいりました。 第一の原因は裸の子供たちと題したエピローグの中にも述べさせていただいたように、子供が判断基準を失った状況下、大人の直接攻撃を受け、行き場が狭まり、住み分けをしたその先にも枠組みがはめられたことであると考えます。これでは文化継承はおろか、新しい子供文化誕生さえも阻害されてしまいます。 第二の原因は大人の都合で分断管理が実施されてきたということです。これは子供文化連携流行の崩壊後、保護者化した学校に直接不信感が向けられ、登校拒否・引きこもりを引き起こしたことをさします。分断されれば文化を継承できませんね。 第三の原因は、子供であるはずの時間と空間をことごとく奪っていることです。保護者化してしまった学校が一転して、ゆとり教育の名の下にカリキュラムを削減し、施設利用時間を短縮しました。子供のコミュニケートは学校外の未熟な受け皿に求められ、そこでは商業社会が待ち受けていました。欲求と嫌悪の対象が同じ物に向けられたとき、子供の孤独は始まりました。孤独はいじめの動機となり、相対的な被害者は別の場所で相対的な加害者となりました。いじめは連鎖するのです。ここでも文化継承は困難になります。 第四に文化は一度断絶すると、文化復興の動きがない限り沈黙します。新しい子供の文化が誕生するためには、一度復興することが必要になります。さらに、復興を喚起するためには民主的な手続きが必要です。子供の外側から、流行を呼び起こしたり、社会の必要性のために倫理観養成を強いるのは、これまでも繰り返しなされてきましたが、ますます深刻なストレスを生み出すことになります。 ターニングポイント。子供文化の継承がたたれたことを、正直に認知すべきではないでしょうか。21世紀に生きる子供たちと、毎日をともにしている希少な大人として、僕はこれからも書き続けます。 |
1993年夏、成績が上昇中の男子生徒が突然怒りだしたことがあります。あれは教室内でリクレーションをしていたときのことです。飲み物を投げ、ドアを強く閉めて帰ってしまいました。直後、母親から電話がありました。なにかあったのですか、家で泣いていますが。
一部始終を話すと、よく話し合ってみるとのことでしたが、話し合いの結果を聞くことはできませんでした。 彼の親しい友人にいろいろとたずねてみると、以前にも似たようなことがあったとのことでした。真面目で実直な反面、自分の思い通りにならないと他人や物にあたり、その後で泣いてしまう、何か子供のころの僕と似ているな、そう思いました。ただ似ているといっても、僕の場合は小学校低学年でしたし、切れそうな気持ちを勉強やスポーツに励むことで解消できたので、あたるということはあまりなかったように思います。 当時、彼は高校1年生でした。中学時代は野球部のレギュラーをつとめ、切れることを除けば、誠実な好青年のイメージです。高校入試では第一志望校に不合格後、併願校に入学、その5月から僕の生徒になりました。2ヶ月目の出来事でした。何らかのストレスがなければここまであからさまな行動をとるはずがないと考え、各方面に相談し議論を重ねましたが、結局わからずじまいでした。 あれから10年目を迎え、いっそう慎重に言葉を選びつつ今日に至っているのですが、その間に気づいたことを掲げます。円形脱毛症、失語症、失数症、吃音症、多動性障害、学習障害など、医学や心理学の判断を仰がないと決めつけることはできないけれども、そのように見える子供たちが増えていると思わずにはいられない現状です。また、そういう子供たちのまなざしがなければ、僕は「子供の歴史」を掲載しなかったと思います。そして、もし僕らの職責として、いじめ、不登校、引きこもり、切れる、体調を崩すといった現実問題に対し全く無力で効果のない取り組みをしているのであれば、エッセイを書くことの意義は薄いかも知れません。 ところが、先生ががんばることで、子供のの元気がよみがえることのほうが多いのです。100パーセントではないにしろ広い意味で教育の範囲での取り組み、先輩としてアドバイスも含めてですが、人対人のコミュニケーションを新しい形で考える取り組みが必要であると思います。 ストレス解消の基本は、コミュニケーション・リラクゼーション・シンキングパターンにあるといわれます。そして何よりも重要なことは、悪いストレスを減らすこと、あるいは悪いストレスを良いストレスに変えることであると、僕は考えています。 ところで、ストレスと子供にとって枠組みとなるものとの関係について整理しておく必要があります。受験競争が現在よりもずっと厳しかった時代、相談といえば進学に関することが圧倒的でした。成績の高低に関わらず、できるだけよい学校に進学したいという願いが、中学生の胸にありました。 友だちとけんかをしたとか、家族のことで悩んでいるとの悩み相談も決して少なくはありませんでしたが、先生する相談の種類としては比率が低かったように記憶しています。 その意味で、気持ちの所在みたいなものが先生にもわかりやすかったのです。自分の進路について真剣に考え、考えれば考えるほどあせってきて、勉強が手に着かない。そういう悩みが本当に多かったです。 ところが、学歴社会という批判が出てきて、大人の都合で作ってきた枠組みを、大人が勝手に壊してしまったのです。あのとき議論に参加された人々は、今どのようにお考えなのか尋ねてみたい気持ちでいっぱいです。枠組みを作っては壊し、壊しては作る、その繰り返しの中、子供たちは水平線を見失った飛行機のごとく、くるくると人生の最初の段階で失速してしまいました。 つまり、枠組みがストレスを引き起こすときの因果関係は、枠組み自体の良否に因るものではないのです。車酔いにも似て、車窓の景色の変化や加速度の変化に起因するのと同様に、子供から見た社会の枠組みの変化や社会の進展・後退の速度変化に因るものと僕は考えています。また、枠組みとストレスは一対一の関係ではなく、多対多の関係であり、その意味では数学上の関数などではありません。 まして、子供の心と立場は閉じていない演算であるうえに、一人ひとりの持っている個性は複雑な変数の相互作用です。人の行動をパターンで分類し、確率(科学的研究による知識と数学の理論によって求められる)を用いて 実態を類推するという試みは、それができそうだということと、実際にできるということでは大きなギャップがあると思います。 もっとも、人の心を分析するのは好きではないという僕の気持ちは、もう少し根本的なところから、経済のような表層までを含んだ意味で素直にそういわせていただいています。 子供の心と立場に関しては、一つの問題に取り組みどうにか解決したとしても、その教訓は別の問題のヒントにさえなりません。子供は代替不能な唯一無二の心と体を持っているからです。そこが、いわゆる治療と教育の相違点であると思います。最近療育という言葉を耳にします。 その試みはある条件を満たしていればうまくいくかも知れません。その条件とは、いかなる目的を持って取り組んでいるかということを広く認知してもらう努力をすることです。 現場の手法はものすごくたくさんの種類があるでしょう。方法論の更新過程にあって試行錯誤の最中ではないかと察します。しかしその過程においても、目的に関する議論は先行してなされなければならないと思います。話は戻りますが、切れる子供を教育している学校には、いったいどのような教育目標があるのでしょうか? 社会に優秀な人材を送り出すみたいな目標では、いっそうひどい状況になるような気がしてやみません。 |
これまで子供の立場を良い方向に理解するため、社会の枠組みやストレスなどについて述べさせていただきました。今回は子供の発育段階と自己責任の範囲を中心に考えてみたいと思います。また、言葉の正確な定義は後述させていただきます。
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著者の経験でもありますが、小学校5,6年生から急速に学力の伸びる子がいます。あれには二つの理由があったように記憶しています。 一つ目は、良い指導者に恵まれたこと。僕の場合、馬場道子先生でした。「自分に厳しく、他人には優しく。」 克己心という言葉を教えてくれました。27年前の話です。 教室内暴力、いじめ、女子に対する嫌がらせが蔓延し、授業が成り立たないこともあった小学校5年生時代。担任の女性教師が心身症になり、学級運営が副担任のベテラン男性教師に移りました。その先生は小松正義先生。授業は正常化されました。教頭先生までもが授業の応援に来てくださいました。 そして、クラスはそのまま持ち上がって、6年生に進級しました。馬場道子先生がクラス担任につかれました。そのときから、僕のクラスの快進撃が始まりました。 先生は正当な行いをした人を重んじてくれました。逆に勉強ができても、提出物や係り活動などで自己責任を果たさない子供は厳重に注意されました。根っこから怠惰な考え方、凶暴な考え方を持つ子供には、体罰以外のあらゆる指導がなされました。罰を与える、改善した瞬間を見逃さずに誉める、家庭学習の管理をする、家庭訪問をする、他の先生方と連絡を取り合うなどです。 馬場先生はその数年後、新潟県初の女性校長になりました。 「壁にぶつからなかった人間は弱い。私は大学進学を始め壁というものにぶつかったことがないから弱い。しかし、君たちはこれから壁にぶつかってもくじけずに乗り越えて欲しい。壁を乗り越えた人間は強く生きることができる。私よりもずっと。」と先生はおっしゃいました。 「他人には優しくあり、克己心をもて。」これは小学6年生が実行するには難しい課題だったかも知れません。ですが、理解はできると思います。また理解し、そのように努力して、学級のかなりの問題は改善しました。 ところで、先生が着任される以前に、繰り返しいじめを受けた生徒の何人かは、転校してしまいました。彼女たちは住所まで移動してしまい、その後すぐにはお会いできませんでしたが、高校生になって一人の女生徒と再会した際には、大変元気な様子で話しかけてくれました。 「ずいぶん出世したね。」当時、生徒会長をしてはりきっていたからそう見えたのでしょう。それと、小学6年生当時の頼りない学級委員の姿からは想像がつかなかったからでしょう。 僕も彼女の元気そうな姿を見て、いじめにあっていたことすら忘れていました。僕らには馬場先生の教えが生きていたのでした。壁を乗り越えた人間は強くなれるし、生き生きとしています。 学力が急に伸びる理由の二つ目は、カリキュラムです。5年生ごろから勉強が難しくなります。難易度の高い問題は、子供の挑戦意欲を引き出してくれます。ところが、だんだん勉強についていけなくなる子が増えてくると、授業レベルが下がってきます。そのうちに、勉強のできる子供は家庭学習で深めるようになり、勉強のできない子は補習を受け、基礎的知識の習得に追われるようになります。 中学生になると、定期試験がありますが、子供の学力はさらに細かく把握され始めます。順位を付けられると、試験範囲の答案練習ばかりが勉強になり、上位の生徒はミスをしないことが求められ、下位の生徒は一点でも多くの得点を獲得するために、答えを解くのではなく当てる勉強をするようになります。 定期テストを何度も経験していくと、だれもが範囲や難易度をつかみ要領よく点数を取ることが高い学力のように思えてきます。中学3年生ともなると、いわゆる模擬テストのように範囲が広くて難易度の高いテストが実施されます。 そのときになって初めて、自分の勉強法を改善すべきだと言うことに気づきます。 これは不公平きわまりないでしょう。 学習パターンを刷り込まれた上に、そのパターンでは対処できないようなテストが実施されるのですから。機転の利く子供ばかりが重用されるに決まっているではありませんか! 何のために勉強するのかをもっともっと子供たちに教えなければなりません。そこに山があるから私は山を登る、というような方法で子供が悟ることを期待するのも価値ある考え方ですが、そればかりではなく、社会に出るとこういう場面で勉強が役に立つからやろうね、そういって聞かせることも重要だと考えます。 仕事は技術的なことが多いのだから、お師匠様のまねをするのが良いのだ、という教え方もありますし、高度の技術を習得するためにはこの基礎学習が不可欠だ、という教え方もあります。とりわけ実学ではない学問の場合、学問の体系的な学習が必要なのですから、先に進むとどういうことを学ぶのか、ゴールはどこなのかを教えなければいけないと思います。カリキュラムの透明性、それは子供と社会を結ぶ生命線であると僕は考えています。 |
ゆとりの教育はまさに子供たちが社会を変えたことの証拠です。学力偏重の社会が自分にとって生きやすくないということばかりでなく、社会の矛盾や間違いを、思い思いの方法で訴えた結果なのです。
「青年の主張」や「弁論大会」などを通して上手に意見が言える子供たちもいれば、日常会話の中でお話をする子供たちもいます。いろんな場面でたくさんの意見が出てきました。また、言葉ではなく、芸術活動や反対行動で社会を風刺してきたことも見逃せません。それらが寄り集まって子供の世界の世論が形成されます。 現場の先生と保護者がその世論をくみあげ、教育界以外の社会に働きかけた結果、学力以外の子供の能力も重く見られ始めました。 産業界では、人材登用の方法を見直し、学歴ではなく人間性や才能を重んじるようになりました。子供の歴史の中でこれほど画期的に、子供の世論が採用されたことはありませんでした。 この意味でもはや子供は社会に意見の言える地位を確立したと言えます。 実際、経済の中心は10代です。生産、流通、消費において、子供の進出が進んでいくことでしょう。生産面では子供のユニークな発想こそが新しい商品のアイデアとなり、生産手段はITによって可能ですから、日本版ビル=ゲイツがさらに年少者から現れることでしょう。 流通場面でも、ITの役割りは大きく、生産場面で得た資本を流通に投資することで、大人の労働者を使用する、子供社長が現れるでしょう。 消費は今でも、流行の中心です。最大の購買力と商品開発力が子供に既に存在しています。このように経済の3場面において中心となるべき子供たちが、 自らの責任を果たした上で、さまざまな主張をすることは当然のこととなるでしょう。そして、未だ弱い立場にある仲間のために、動き出すはずです。同時に、これまでの被害に対して反省と賠償を、大人社会に求めるかも知れません。どこかのメディアで、同じようなことを報じていましたが、それは決して絵空物語ではないと思います。 なぜなら、そうされても仕方がないほど、子供たちは苦しんでいるのです。そのような契機に乗じて利得を得ようと考える、何とも評価しがたい大人がいることも無視できません。(子供にもそういうひとはいるでしょうけれども)社会正義を含む公正な社会ルールを考える必要があります。 ルールは作りすぎてはいけないと思います。必要なルールを必要な期間だけ実施するのが好ましいと考えます。どんなに立派なルールも、それに参画しなかった人にとってはただの枠組みなのです。公正なルールは単に守るべきルールとは違います。交通やスポーツのように、それに従わなければ成り立たないような閉じられた世界のルールではありません。(もっとも閉じられた世界のルールでも、頻繁に改正が行われています。) 前述させていただきましたが、倫理を確立するためには優れた指標と民主的な手続きが必要であると考えます。 素直な子供たちを見つめて僕が思ったのは、この子たちの瞳を守るためにはどうしたらよいかということです。今回は、ゆとりの教育を実現を肯定的にとらえ、実現したのは子供たちの世論であるという、僕の考えの別の側面を述べさせていただきました。そしてそれは、子供たちの世論が大人の都合に合致した結果、仮の姿で具現したのであり、必ずしも理想的な内容を持っているのではないことを付け加えさせていただきます。 |
当たり前のことをいったん否定して考えてみると、子供の声が聞こえてくることがあります。たとえば、「やりたいことをやらせるのが良い。」という教育方針です。これを旅行に関連づけて考えてみます。
旅行者がパンフレット通りの旅を嫌うということはよくありますが、その場合の理由は様々です。 ○「未知の世界を自分の力できりひらいてみたい。」 ●「一人で行ったことのない、隣町を自転車で行ってみたい。」 ●「月を望遠鏡でのぞいてみたい。」 ○「美術館めぐりなど、自分の目的にあった旅行がしたい。」 ●「教科書に出てくる画家をもっと知りたいから図書館に行きたい。」 ●「サッカー選手になりたいからブラジルに留学したい。」 ○「以前にパンフレット通りに旅をしたから、今回はフリープランで行きたい。」 ●「通常レベルの学習はもう済ましてあるから、自分の学習プランで勉強したい。」 ●「このシナリオはもう飽きたから、別のシナリオで同じゲームを楽しみたい。」 このように、パンフレット通りの旅行ではなく、パンフレットに書かれている旅そのものを嫌がり、自主的に行動したい、そうすることが旅の目的になっている場合と、パンフレットに書かれている内容を深めたかったり飽きたりして、独自の旅をする場合があります。しかし、地図もいらないし、何の下調べもしないというわけではありません。訪問先を選んだ時点で何かの知識に基づいた個人的判断がなされています。 それでは、自由を発想する人と、更新を発想する人とでは、何が違うのでしょうか? 理性的に考えれば、時間と労力を費やす対象に選択したか否か(all or nothing)と、選択した場合の優先順位、さらに目的と優先順位が本人内外の枠組みにかなっているかどうか、枠組みよりも上位の自然・生命・愛・正義などの原初的で本来的なものに違反していないか もしくは後押しされているか、などの面で発想が異なってくると考えます。 あたりまえのことをいったん否定して考えるというのは、このような発想の違いを考えなければならないということなのです。 一つの大原理があり、人が生まれながらにしてそれに従うようにあり続けると仮定すれば、その原理に対して、更新することも、飽きることも、新しい原理を見つけることも必要なければ、あらゆる人の全ての行動はそれに沿って動機づけされ、もっぱら知的好奇心の充足や、精神の安寧や、社会貢献のために、当たり前の努力を捧げることになるでしょう。 「やりたいことをやらせるのがよい。」という教育方針は、決してあたりまえのことではありません。それは、行きすぎれば放任・過保護という両極にあるようなどちらの弊害ともつながります。放任は他者による管理へ、過保護は親による管理へ、 管理全体が一本の軸の上で相対的なことであるということが見えないうちに、大切な子供たちが右往左往してしまうのです。 他方で、「やりたいことをやらせる」教育が結果的にうまくいくことがあります。自由と責任がうまくかみ合ったときです。しかし、それを教育方針の成功とすることはできません。なぜなら、責任を遂行する上で自由が獲得できることのほうが、可能性としても実数としても多いからです。 逆順で学んだ場合に、結果としてうまくいったのは、ほかの何かのポイントを押さえていたからなのです。そのような最重要のポイント群はより高い次元の地層に矛盾無く重なっています。 かわいい子には旅をさせよ、ということわざは、自分で旅することによって得られるであろう経験を期待しています。旅路にはいろいろな困難と喜びが待っています。時には険しさに足がすくんだり、道に迷うこともあります。助けが必要なときに彼らは、自然や先人の知恵から学んだことを自分の力に変えて歩まなければなりません。 そんなとき、あたりまえのことなど一つもないことを知るでしょう。 自分が自分であることさえ、自分に旅を与えてくれた他者の存在を知れば、感謝すべきことだと知るでしょう。また、感謝の相手が確実に存在するとき、子供たちは胸を張って旅を楽しむことができます。親、親を育てた親、先祖、社会、社会を育てた先人、人を支えてきた自然環境、天文環境などへの想いをめぐらせて、子供たちの旅路は足取り良く進むと思います。 一方で、何か不利なことが起きたときに、反省したり責任転嫁したりすることへの注意が必要です。また、何でもプラスの思考をするというのも、どうでしょうか? 農作物が不出来なときに、それは農業技術の進歩のために必要なきっかけであるとして考えるのは、プラスの思考といえるでしょう。失敗は成功の元であるというわけです。 しかし、そのようにばかり考えてゆけば、科学技術で何でも解決できると過信し、開発競争の世になってしまいます。プラス思考は誰のためにプラスかと言えば、ほとんどが自己のためにプラスなのです。 技術改良を人類共通の財産とするのであれば、人類のためにプラス思考といえましょう。さらにもっと上位の理想のためにするプラス思考であれば、環境や生命の倫理に基づいたものといえそうです。 プラス思考を積み上げた先に、善良な市民が目指すところの理想が想定されているか否かが、大きな意味を持っているのですが、その途中の段階にある未成熟な理想状態が、成長の過程で犯した過ちをどう扱えばよいのかということも、重要な意味を持っています。 だからこそ、謙虚に自省する子供たちについても、同様な検討課題があります。何でも自省するというのは、異議あるべき時にも主張ができないのですから、問題が起きたときに自責の念にさいなまれるか、他者に対し責任を転嫁することで、自己の正当性を確保する傾向になりがちです。 あるいは、正当なことを正当なことだとはっきり言う子供や、何を言っても無駄であるという子供は、かなり多いのですが、相対的に同じ軸上にいるような気がします。 長くなりましたが、以上のように人の道徳的普遍性と考え方の多様な相対性は、 実際の現象をはるかに超えて多数存在しています。それらの一つ一つが自己にとってあたりまえの現象としてとらえられるならば、どのようなあたりまえもまとまりのない、自己満足的なものになってしまいます。 あたりまえのことに対する否定を通じて、自らの常識を客観的に観察し、より高次の普遍性と合致するかどうか検討を加えることが、今日の社会的枠組みと自己責任の区別を明らかにし、矛盾の少ない教育を実現する基礎になると、僕は考えます。 |
町中であふれる笑い声と、汗をたくさん流しながら仕事にせいを出す人々。 「おじさん何してんの?」 「お仕事だよ。」 「何作っているの?」 「かなづちとノコギリを作っているのさ。」 「あつくない?」 「あついよ。やけどするから近づくなよ。」 「うわー、あっちー。」 「。。。」 「うわ、やめれやー。こらまてー。」 「車に気を付けて遊べよ。」 「おじさーんがんばれねー。」 「。。。」 僕が住む三条市は、職住近接の町でした。30年ぐらいかけてゆっくりと、工業団地に移転していった金物工場。市立中学の校歌にもある「めざめよ朝の槌(つち)の音」は現実の三条市から消えました。 子供たちと、おじさんの会話もいっしょに消えました。おじさんはみんな自分の工場を持っていましたが、大きな工場に吸収されて、サラリーマンになりました。 子供たちはサラリーマンの子供になりました。町から子供の数が減りました。かわりに車の数が増えました。レストランの数も増えました。 車で移動する家族連れを、一人で見ている子供がいました。 放課後、みんな忙しそうに目的の場所に去って行くのを見つめながら、ぽつんと立っている子供がいました。 廊下から見ると、各教室に何人かずつ立っていました。頭のいい子も悪い子も関係なく、集まりました。そして、一人の男の子が言いました。 「ミニ四駆しない?」 「それ知らない。」 「いいからいっしょに来て。」 「でも、遠いんでしょ。」 「ほら、みんな。」 模型屋のレース場には、まあるい目をしたたくさんの子供たちが集まっていました。あれが最後でしたか。僕の知る限りでは、あれが最後でした。今はそのレース場も閉鎖されています。 夢を追いかけた子供たち、夢にあこがれたおじさんたち、そして夢のある模型屋さん。キャプテン翼が国立競技場をめざしていたころのお話でした。 |
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