子供の歴史2

子供の歴史2 @1990年代のこどもたち 
at 2001 05/17 19:07 編集
自分の気持ちをわかってもらいたい、そういう相談や手紙が急増しました。

第二次ベビーブーム世代は世の中の仕組み、とりわけ学校に対する抗議を隠さずに体現してきました。校内暴力、グループの抗争があちこちで見られました。

その中で純粋に学芸やスポーツに励む姿がありました。学習というより、学習競走に打ち込む姿をみてスポーツ競技を連想することができました。そうです。

1990年代以前の中学生たちは、競い合うことで切磋琢磨し、自己の能力を高めて将来の道しるべを築こうとしていたのです!学校や先生が自分の進路に肯定的であれば、もしくは反対者であっても適切な指導ができれば、生徒はそのアドバイスに対して心からの感謝を表すことができました。

1990年代以前の子供たちには「アスリート」としてのルールやマナーがありました。そして、ボーダレスになってしまった自らの生育環境にあっても、仲間たちとの連帯感が残っていました。

連帯感は時に、連携して大きな流行を生み出したり、社会批判の形を暴走行為にしたり、とにかく大人社会を仮装敵としてみなすことで、子供としての独自性を確保しようとしました。

ところが、90年代にはいると、大人の新しい攻撃が始まりました。ボーダレスの次に待っていたもの、それは越境行為です。大人の意識が低下し、子供を社会の弱者として容易に認識できるようになると、成人による未成年者への直接的な加害行為が増大しました。

そして、それを容易にするような手段が、巧みに経済活動の中に取り入れられました。「通信手段の悪用」です。最初に始められたのは、女子児童に対するものです。

「アダルトビデオ」「テレクラ」「ブルセラ」がこれまでになく大きなビジネスとして成立しました。このことは学校そのものの性質を変えることにもなりました。

外の大人社会から生徒を保護する機能。80年代には子供の批判対象であった学校が、この時になって保護者と化したのです。子供は敏感ですから、本来の思いやりからなる保護ではなくて、大人社会の都合であることがすぐにばれることになります。

1990年代、それは子供自身が、大人社会に組み込まれたことを悟った時代でもありました。




子供の歴史2 Aスポーツが勉強と類似してくる
at 2001 05/21 15:24 編集
1990年代。スポーツの商業化が本格的になり、プロスポーツ選手がオリンピックに参加できるなど、グローバル化も進展してゆきました。

このことは子供の運動面までもが大人社会と直結したことを意味しています。子供の個人的な夢であった、プロスポーツの世界。これがあこがれではなく、現実的な線路になったことは、幼心にも大きな影響を与えました。

(※ この「子供の歴史」は主に、教育における人間教育の回復のために連載していますから、どうしても現代の諸問題については「何が間違っていたのか。」を検証する傾向になります。

したがいまして、ご覧になる方々は、「こういうことだったのか。」「こういう考え方もあるんだな。」「これから教育を修正作業するときにはこういう点も留意しようかな。」ぐらいに受け止めていただければ幸いです。)

さて、幼心にどういう影響があったのかといいますと、大きく二つの点があります。一つは、勉強における学歴主義と類似する影響。これは、スポーツの頂点がプロになることにより、大人社会の産業・経済面と直結することによります。

勉強の主目的が、学究ではなく生きる手段としてなされるがゆえに、子供は学校を嫌います。日本青年会議所のアンケート調査によれば、「勉強を教えてもらえるから学校は好きです。」と答えた子供は大変多いのです。

このことは矛盾しているのではありません。子供の年齢が低いほど、勉強ができることの喜びをアンケートにたくしているためです。年齢が高くなるほど、勉強は学校嫌いの理由になってゆきます。それでは、「スポーツは好きですか?」残念ながら学歴社会における、勉強が好きですかの問いに似た答えが多いのです。

第二は、これでまた、子供にとって出生する前の社会的枠組みが増えたなあ、ということです。スポーツによる枠組みは、経済社会や学歴に依拠するそれらに比べ、大変短い歴史です。

だから、2001年のスポーツ関連問題は、@「子供側からの抗議」→A「規律の強化」→B「要求を外の世界に求める」→C「大人社会からの攻撃」→D「学校による管理的保護者化」→E「大人社会への組み込み」をたどるでしょう。

現在は、5番目の段階かと思われます。勉強とスポーツ。以前、アスリートのことに触れたことがありますが、酷似しています。「ゆとりの教育」が掲げられたとき、勉強を減らし部活を強化しました。

あるいは受け皿として準備のできていない家庭・地域社会に責任を転嫁しました。1990年代、子供たちは実社会のすき間の中に、自由を求めてさまよい歩き始めました。




子供の歴史2 B文部科学省的ゆとりの教育
at 2001 05/23 15:56 編集
学歴社会を見つめ直してゆとりの教育が始まりました。ゆとり時間の有効活用を見い出せないまま見切り発車したのですが、いったん楽になると学校も、子供も元に戻すのは容易ではないでしょう。

ゆとりというのは物理的な時間の意味のほかに、精神的な安らぎの意味があります。そして精神的な安らぎは一人でできることもあれば、大勢の力が必要なときもあります。

たとえば、一人でできる趣味に没頭しているとき誰もが安らぎを感じることができます。しかし、趣味にもいろいろあって、もしそれが対戦相手の必要なゲームであるとすれば、

自分のほかに最低一人必要になります。野球は18人必要ですし、サッカーは22人は必要。子供が無計画に過ごす、そういう時間を与えること、それがゆとりの教育などとはとうてい承諾できません。

だれかが、カリキュラムは時間の問題ではなくて「何をやるのかが重要だ。」と言われました。(2001.4月 yahoo 学校と教育の部屋にて)この発言に僕はひどく傷つきました。

僕はそれはそうではないと考えています。何をやるのかを考えるために時間を共有しなければならない。学校は、教育の場であり、コミュニティーでもあるから、その時間を減らすということは、話し合う時間・理解し合う時間そういうものが減ることを意味すると思うんです。

以前「子供の歴史」の中で子供にとって居場所が無くなる、すき間の中に自由を求めると述べさせていただきました。学校自体が後退したら、子供はもっと狭いところに追いやられると思うのです。

大人社会と子供社会のボーダーが失われてしまい、社会的弱者としての子供が実社会に投げ出されることは、学校の管理的保護者化を現出させましたけれども、それでも学校は死んでしまっているわけではないのです。

そこには子供の聖域がまだまだ残されているのです。保育園の営業時間が短縮されるということは聞いたことがありません。小学校低学年で非行化するというのもまれです。

学校にストレス源がありそれを短くしたほうが生育によいというのであれば、それはもとから学校の存在価値は無かったか、もしくは集団生活に適応できない人作りをしてしまった日本の教育行政の失敗か、あるいは学校の中に子供を苦しめる要素があるか、それは様々な原因を推測することができます。

カリキュラムの削減と、学校生活の時間短縮。こういうことが叫ばれる前から、子供に異変が起きていたのです。それは学校自体に原因があるのではない。

(「子供の歴史」では、学校を糾弾する部分もあるけれども、本質的には子供にとってより良い教育環境とはどういうものかを模索するために建設的意見を学びながら、将来的には提言できるようにとの願いを持っているのです。
だから、今は僕の教育実践の報告みたいになっているけれども、これからの目標を掲げるなら一生懸命に考えていくことが物事の始まりであるということを、書きつづっていくことでそれを証としたいなあ、礎としたいなあ、そういう気持ちで続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。)




子供の歴史2 C芸術家タイプのこどもたち
at 2001 05/28 16:53 編集
子供がますますナイーブになってきた時代。昭和40年代後半生まれの子供が高校を卒業し、昭和60年代生まれの子供が義務教育を受け始めた時代。

前者はオイルショックの時代に生まれてきた子供たち、つまり第二次ベビーブーム世代です。自己の能力を高めることにより、人生を豊かなものにしていこうという考えを身につけ、同世代の仲間たちと切磋琢磨して学校時代を過ごしていました。

そのような個人主義的な考えの持ち主に対し、社会性を重んじてゆこうとする動きがありました。それは芸術を通じて人間の原点を問い直そうとするかのようでした。

こうした子供たちの代表が「バンドブーム」を巻き起こしましたが、個人的な趣味にとどまらずにデビューをする人も数多く出ました。このとき注意しなければならないことは、ある文化は一つ前の世代の夢を具現化しているということです。

Xジャパンの、そして尾崎豊の活動は90年代の子供たちに多大な影響を与えましたが、それを受け入れなければまた違うものが受け入れられていたはずです。

この意味で文化や歴史は作り出す人たちのエネルギーを、受ける力があるかないかによって左右されるのです。近年、売り込みと取捨選択のバランスが微妙な状態になってきていますが、この点については後述します。

芸術そのものは極めて個人的な営みでありながら、同時に多くの人に影響を与えます。受け取る人の考え方が多様性を増すほど、創作者の意図したこととは違う方向に作用することになります。

1990年代は、前の世代の伝統的な社会批判を学びつつも、それをアレンジして理解しました。社会の狭い部分で自由を求め、その中でうまく住み分けをする時代でした。




子供の歴史2 D枠組み
at 2001 06/04 15:40 編集
分け隔てのない学友同士の集まりでいられるのはいったいいつ頃まででしょう。70年代はずっとずっとそうでしたね。卒業式の時には皆が不安と希望でいっぱいでした。

80年代は善悪に対してあいまいさが増す中で、何とかして生き延びようとする連帯感がありました。そして90年代の子供たち。生まれたとき既に何が社会的に成功なのかが決められていて、その道をひたすらに歩まなければならないと悟ったとき、遊び心を押さえることに猜疑心を持ちながら、先人の教えを信じていこうと必死でした。

ところが、社会の規範性がどんどんくつがえり、信じるに値する道が見あたりません。とりあえず、勉学に励むようにと教えられても、何のためにかわからない。

なぜなら、大人の言うことは信じられないからです。だからといって、同世代の優等生たちをお手本にすることもできません。優等生たちは枠組みを追随するどころか、大人の築いてきた既得権益をさらに強化する者のように見えました。

1990年代、優等生は、学習・スポーツ・職人世界の至る所で確固たる地位を求めていました。大半の子供たちは何がなんだかわからないうちに、学校生活を始めさせられ、押し出されてゆきました。

危ないことが本能的に好きで好奇心旺盛な子供たちは、枠組みから顔を出して足をそっと出してみます。真っ逆様に落ちていく仲間たちを見て身震いしてしまう。

芸術家タイプの子供たちは、美を天からの贈り物、そういう風に見られるので、決して枠組みの中でがんばることがベストではないことを知りますが、人間の権力構造にうとい傾向があるため、滅多に口出ししませんでした。

友人が悩むとき、個人の問題としていたわり、前向きに励ます一方で自分まで悩んでしまいました。しかし、そういう子供たちが信念を持って生きていこうとするならば、今日の子供をめぐる社会問題は、かなり解決されるのです。この点については後述させていただきます。




子供の歴史2 Eやさしいこども
at 2001 06/08 23:44 編集
「これは東京に行ったときのおみやげです。」こう言って手渡してくれたのはかわいいペンでした。

彼は、この土産を買うために東京に行ったのかと思わせるほど、にこやかな表情でわたしの顔を見ていました。「この子が不登校?」ずばり、僕も傷つきやすいほうだと思います。

学校に行きたくないと思ったことなんて山ほどあります。部活動から逃げ出したこともあるし、おけいこごとは簡単にやめたほうだと思います。だから、学校に行きたくない人を無理に行かせるということは決してしません。

むしろ元気になって学校に復帰しようとする子供を見ると、前よりひどくなって帰ってこなければいいが、とさえ瞬時に考えてしまいます。お医者さんが、全快して退院する患者さんのことを笑顔で見送るのとは少し違うのです。

子供の心をその核心から元気づけるということは、外部の要因に対してもう一度同じ反応を体験せよと言っているのと同じなんです。「やさしさ」この子供の場合優しく生きたいのです。

競争原理、社会風俗などで制御された理念が、「やさしさ」の概念を「甘え」に変換してしまうのと、同様な冷たさが、彼には針を刺すように感じられます。

「やさしさ」は自分勝手な快さでも、利他的で自己犠牲的なものでも、無心から得られるものでもありません。やさしいこどもにとり、「やさしさ」とは、もっともっと原初的な感性であり、蜜を求める鳥や蝶が花を慈しむことに似ている感性なのです。

彼がその「素朴なやさしさ」を「力強いやさしさ」に変える必要があるなら、それはどういうときでしょうか?僕は二つの時があると思います。第一に、彼自身が生きていくすばらしさを自覚し、苦労を乗り越えようと決意したとき。

第二に、誰かを助けるため喜ばせるために、強さが必要であることを自覚したときです。また、強さは、競争原理や社会風習に、呼び起こされることもあります。

なぜなら、子供の歴史は中断したわけではなく、昔の子供たちの夢や苦労が息づいているからです。早く気づくと良いですね。




子供の歴史2 F需給のバランス
at 2001 06/09 19:46 編集
1950年代から1970年代生まれの人が大人になり、自らの夢と希望を次世代の人に認めてもらいたい、評価してもらいたいという気持ちから次々と作品を発表しました。

大人からの直接攻撃、都合に合わせて変質した学校、仲間とのコミュニケートまでもが商業の対象とされ、仲間である子供たちの多くが無意識的に流されてゆく。

本能的に子供らしさを守ろうとして、カリスマに求道するも、供給過多が否めなかった時代でした。あまりに細分化されすぎた人生。そのうえ、どの道を歩んでも本来の自己主張ができない状況。

子供たちの選択能力が奪われたうえ、道しるべとなるべき大人のほうが先に悲鳴を上げてしまったのです。ここでは論究できませんが、大人の社会現象には予兆がありました。

環境保護を考えるとき、もっとも弱い動植物を観察して、生育環境の悪化を証明するはずです。しかしながら、人の人間環境を考えるときに、子供のことを何故もっと良く観てあげなかったのでしょうか?

強いはずの大人が次々と倒れていくような社会で、子供が順調に育てるわけがありません。「子供の歴史サイト」の最たるテーマがここにあるといえましょう。

需給のバランスは、市場経済の原理としてだけではなく、世代間の文化的継承にもいえることです。改善の一案は獲得すべき知識や体験を大人がプロデュースすることですが、これで良いのだろうかと思います。

第二案、ありもしない自然から学ばせるというのは現実離れしているかも知れません。第三案、本当のことといっても、それを探さなければならないほど希少になっています。

それならば、せめて納得のゆく規範、疑似体験・創作物を感受して欲しい、とそういうことなのだと思いますが、だからこそ子供にはどうにもならないこととして目に映るのです。

繰り返しになりますが、どうにもならないこととして目に映ります。それは私たち大人が商品を買うときに受けるような印象。これについては後述させていただきます。




子供の歴史2 G上野正彦氏
at 2001 06/10 18:44 編集
NHK教育テレビ「こころの時代」に出演された上野正彦氏は監察医を30年やられて退職された方です。

法医学とはまた少し違います。死者の人権を守るという立場でご遺体を解剖する仕事です。病気を治療し生へと導くのが通常の医学であるとすれば、監察医は死から生前の様子を伺い知るのだそうです。

ご遺体から言い残されたメッセージを読みとり、死者の人権を守るというものです。本来子供は死に対して非常に臆病です。それなのに子供の自殺が多い。

僕はこのサイトを通して子供をめぐる様々な問題を、既成の取り組みではない方法で毎日書きつづっています。動機は単純です。自分が役立ちそうだからです。

上野正彦氏も監察医のかたわらで、二つのテーマを見つけたといいます。一つは溺死に関する発見で、もう一つは老人の自殺です。前者は発見ですから研究者としての冥利に尽き、監察医という肩書きからすれば名誉であり勲章です。

後者は仕事とは無関係で、上野氏の人間性、ライフワークのようなものです。監察医がどうしてこの「子供の歴史」に登場することになったのでしょうか?

「老人の死と子供の自殺は全く同じです。」そう言いきったのです。現在71歳。僕は光栄に思いました。全く違う分野のベテランのかたに一種のお墨付きをいただいたみたいで。

もちろん、単に接点があっただけで、経験も方法も格段の差があるのですから、僕の思い上がりです。しかし、僕が71歳になったときに同じことが言えるかどうか。

若さゆえに生き残っている感性があります。真に善の方向に気が行っていないと、後30年以上も先に同じことは言えません。また、71歳の方が体得した理念ですから、私が理解したものとは違っているかも知れません。

それでも、理念の一部分に共通点が見いだせたことの喜びは大きいです。今日はNHKと上野正彦氏に感謝しつつ筆を置かせていただきます。大事な内容については後述させていただきます。




子供の歴史2 H芸術家タイプの子供たちが気づいたこと 
at 2001 06/12 22:08 編集
勉強とスポーツが子供の二大関心事であるとすれば、第三の主流は芸術です。

この中に含まれるのは伝統的な芸術である、絵画・音楽・舞踏・文芸・工芸・建築などと、比較的新しい分野である、芸能・デザイン・動画・アニメ・グラフィック・美容・写真など、およそ人間の創作活動全般に渡ります。

芸術分野に進もうとする場合にも、勉強・スポーツと同じような師弟関係や方法論が存在し、子供が出生する前から存在するという点で子供を規制する社会的枠組みがあります。

ところが、芸術にはそれを打破するだけの力が内在しています。芸術にも技法や精神的な意味で、ある程度は通らなければならない行程がありますが、その行程自体が極めて個人的感性に委ねられているうえ、対象となるべき未開拓な世界が広々と横たわっているからです。

もう少し考えを進めると、芸術は極めて個人的な営みではありますが、その作品は感受する人の個人的営みに直接関与します。さらに、社会にも影響を与え、宗教や自然科学的哲学の発想を裏付けることがあったり、批判することがあったり、進展させることがあったりします。

それらの影響を持たない、芸術にあっても、作品に演出者の主観が入る限り、少なくとも主観の発表が可能であるということはいえるかと思います。これは、単に暗記力・身体能力を向上させる方法論とは明らかに異なる性質です。

科学的に考えることを極めた先に、あるいは科学の源には哲学と宗教があるといわれます。しかしながらそのような一本道を子供たちに強いることは出来なのではないでしょうか?

急ぎ足で発展してきた科学を、児童生徒が早送りでつまみ食いをすることで、科学のうちにある精神的な真実を会得することが可能でしょうか?それとも、一部分だけをおおざっぱに学んだだけで、正しい理念が身につくほど完成された真理体系なのでしょうか?

おそらく、日本には科学神話に基づかせた経済社会の何らかに自動的に組み込むのを良しとする、これまた何らかの勢力があるのではないかと危惧します。本能的・生理的に子供は気づいているのではないかと。

今回は少し危ない橋を渡ってしまいましたが、この点についてはもう少しぼかしつつ後述させていただきます。




子供の歴史2 I環境倫理に疑問を抱く子供たち
at 2001 06/13 22:27 編集
それらを良しとするか否かは別として大きな報道がなされました。○ドイツが原子力発電所を30年後に全廃。○法曹を5万人に増やし大きな司法へと進む。○刑法改正も視野に含め精神障害者を管理。○共依存についてテレビ放送。

どれもこれもすごいことですので回を分けたいと思います。最初に環境問題についての倫理に関する子供の歴史です。原発の廃止計画。先日のプルサーマルをめぐる新潟県刈羽村の住民投票結果や同じく新潟県巻町での原発建設をめぐる住民投票結果に見られるように、賛否はいずれも少数派ではありません。

これが日本の全体像を想像させるものであるとすれば、日本は結論を持たないことになります。しかし、アメリカのブッシュ政権は明確に推進計画を打ち出していますし、欧州は総じて廃止の方向に進んでいます。

地球環境にすむ全ての生命にとって、そもそもエネルギーを他者から得ずに存続しうるかというと、それは否定されるでしょう。諸論者のいう環境問題というのは人間に都合の良い環境を維持し、創設することです。

人類は他者のエネルギーが必要であるから、利用できそうな物から順番に手当たり次第に使っていき、それでは足りないからということで、必要な物を作り出してきました。

すると手当たり次第に使ってきた物がなくなってきてしまった、それが資源の枯渇であり、生態系に有害な物が作られてしまった、それが環境汚染であるといえそうです。

しかしながら、そのような視点が「人間に都合の良い環境問題」と言わしめる原因なのです。もともとそこにあるものを拾って食べることは生態系を壊したり改変することにはなりません。

人間はあまりにも増えてしまいました。これほどの人口が生態系だけに依存するのは難しいので何とかしなければなりませんでした。人口増加を抑制しつつ、新しいエネルギーの生産者になる。歴史はその両方に期待してきました。

しかし、それらは人間が自然をコントロールできるという仮説に立脚していました。また、守るべきは人間であるという重大な命題がありました。それらの仮説と目的を覆すような環境倫理は根っこから否定されるでしょう。

その意味で環境問題は人間が存在する上での大きな道徳的方向性を内包しているといえます。形成すべき価値観を育てるのが教育であるとすれば、環境問題に内包される道徳を、肯定的に見定めよというのが筋ではあります。

が、環境問題を考えるための視点は、民主的なプロセスを経た合意ではないのです。アメリカと欧州と日本だけをみても、三者三様の考えがあります。世界中にはもっともっとたくさんの意見があります。

子供たちが出生する前からあるような、(善悪を別とした)規則・道徳・道のことを社会的枠組みと呼んできましたが、この環境に対する考え方についても同じような枠組みを感じ取る子供たちがいます。

そして、環境問題はほかの「枠組み」以上に深刻な陰を、子供の心に落とすことになりました。これについては後述させていただきます。




子供の歴史2 エピローグ「瞳を守りたい」
at 2001 06/14 22:25 編集
子供の生命力は素晴らしいです。小学生が誰でも持っている麗しい瞳。見つめる先にあるものは希望です。それは宇宙の果ての外側までも射抜くような輝きに満ちています。

しかし、それを曇らせる何かが、時限装置のように設置されます。心の中に、頭の中に。80年代の子供たちはそれを認識するチャンスがありました。認識してもかなえられなかったけれども、訴える先がありました。

それは連帯する仲間と、一部の大人たちです。一部の大人とはこういう人たちでした。様々な既成事実から子供たちを開放し、夢と希望を説き明かしてくれる大人。

苦しいときいっしょに悩んでくれる大人。自分の体で前へ進み道を開けと励ます大人。このような大人たちは、疎まれはしないかというリスクをかかえながら、社会のやぶを切り開くために必要な知識と心を与え、自分は老いていくのだけれども、

子供たちに精神文化を伝えようとしていました。90年代にはいると子供の連帯は崩れ、心ある大人たちのほとんどは退くことになりました。子供の歴史を通じて述べさせていただきましたが、子供であるはずの時間と空間が消失し、大人とりわけ商業社会の直接的攻撃が始められたからであると私は考えます。

育てる場から保護する場へと変容した学校。子供を老けさせ大人をボケさせる24時間営業のコンビニエンスストアー。女子児童を危険にさらす通信機器。現実世界から押し出され避難所と化したゲーム世界。

それらの影響で社会の狭い領域に活動場所を見いだす子供たち。学習とスポーツそして創作活動までが経済社会の対象となり、優等生ですら枠組みを強化する側の継承者となりました。

自然、生命について科学的志向の倫理観が、子供の自発的道徳心を萎えさせ、文部科学省までもが「ゆとり」がないせいだ、家庭教育に原因があるのだ、などと責任を転嫁してきました。

個人主義であれば民主主義を原則としなければなりません。地域差は文化の様態を変えつつ、伝播に時差が生じます。そういう意味では重大な決定は地域で行わなければならないはずです。

裸の子供たち。それは自己決定の機会をあらゆる方面から奪われた状態を意味しています。「子供の歴史V」では、少しずつ各論を取り混ぜながら、いよいよ現在の子供たちのお話に突入します。




子供の歴史1本文 1970年代〜80年代:こどもたちの「きもち」と「たちば」
子供の歴史2本文 1990年代:こどもたちの「きもち」と「たちば」
子供の歴史3本文 2000年代:こどもたちの「きもち」と「たちば」そして各論へ
子供の歴史4本文 2000年代:こどもたちの「成長」「自然」「愛」「風」
子供の歴史5本文 こどものきもちのはじまり〜胎内・寝返り・はいはい・つかまり立ち
子供の歴史6本文 こどもの行動:ゆびをつかむ、子供に学ぶ
子供の歴史7本文 こどもの内と外の話
子供の歴史8本文 こどもの質問にこたえる
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