術後58ヶ月

2006年12月

2005年のに続き2006年はワンダフルな年にしたいわん


 術後1776日 06年12月31日 大晦日。
 豪雪で始まった今年であったけれどその後は大きな災害もなく一年が終わろうとしている。新年には干支にちなんでワンダフルな年にしたとおもい過ごしてきた。結果的には公私とも恙無い1年だったような気がする。大晦日の夕方の日本海は冬の荒れ狂う日本海とは違い今年を象徴するように波穏やかな顔だった。そんな穏やかな日本海に大きな夕陽がゆっくりと沈んでいった。今年訪れていただいたみなさんに今一度ありがとうございましたとお礼申し上げます。そしてよい新年をお迎えください。



 術後1769日 06年12月24日 サンタさんから素敵な贈り物。
 上越地方10%、中越地方20%、下越地方20%、今年最後の山行ははたしてどこにしようか昨晩から悩んでいた。11月の谷川岳からどこも登っておらずもうストレスが溜まりっぱなしの状態だった。そんな訳で今日は是が非でも山に登りたく、いくつかの候補はあったが24日の早朝の予報で決めるつもりだった。そして決まった上越だ。それならば、米山でゴジラくんとクリスマスを祝おうと決めた。途中のコンビニでシャンパンを購入して下牧コ-スの登山口にむかった。途中雪は少ないと思っていたがこれほど少ないとは。登山口には地元の方が登山の準備をしておりワカンを持っていなかったので尋ねると「わかんはいらない」と言われ持たずに登る。登山道はまったく雪がなくかえってえぐられた登山道は登りずらい。

 下牧登山口から40分程であのゴジラ君のいる広場にでた。今年の1月2月に逢った時からどうなったか心配しながら登ってきたが今回も元気な姿で吼えており安心した。早速シャンペンと一緒に記念撮影をして乾杯をした。その後、山頂を目指すが雪の量が少なく、歩きずらいわ視界は利かないはでかえって疲れてしまう。鎖場の痩せ尾根も全然雪がなくときおり見せる青空だけが救いだった。このコ-スは冬が一番いい感じである。この登山道では夏は暑いし展望は利かないコ-スだ。天気もいまいち登山道もいまいちでがっかりしながら登っていると山頂に到着した。

 山頂からの展望でもとりあえず撮影しようと日本海側に回ってみると、どうも見覚えがるあるサイトの管理の方に似ている人がいた。記念撮影をして小屋に入りその方に間違ったら失礼になると思ったがお名前をお聞きしたところ、やはりあの素敵なお方だった。まさか米山でお逢いできるとは夢にも思っていなっかたので焦ってしまう。
 もっと早く山頂に登っていればいろいろなお話を聞くことが出来たかもしれない。その方とは、戦国の聖将上杉謙信公が幼年期に過ごした城下町に住まわれており登山のエキスパ−トである。今回は大平口からで直ぐに下山していった。

 今日逢った登山者は下牧コ-スが8人。大平コ-スが3人だった。俺は小屋で昼食を取り下山にかかる。山頂はあいかわらずどんよりとした鉛色の空が広がっていたがお天気とは裏腹に気分はハイである。まさかのまさかだ。こんなすてきな出逢いがあるとは。るんるん気分で下山し再びゴジラ君と乾杯をして登山口に着いた。イブに偶然にも素敵な出逢いができサンタさんに感謝しなければ。

 時間もまだ早いので温泉の前に7年来食べていなかったおいしいトン汁を食べさせてくれる柿崎町の国道の脇にある「たきざわ」に向った。ここのトン汁は他のトン汁とは少し違いたまねぎと豆腐がメインである。たまねぎのとろけるまでの柔らかさ。もちろん豚肉も口になかでとろけてしまうほど柔らかく美味しい。見た目は脂っこいような感じだし彩りも良くないが、食べてみると脂っこくなくはなく美味しいトン汁だ。味も7年前と変わらなっかったので安心した。ここのご主人は結構有名人らしいく本業は釣り船の船長さんとの事。新聞にも何度となくお顔が載ったらしく店内に掲示されていた。
  
 お腹は満腹。心はハッピ-とくれば後は久し振りの山行での筋肉痛の予防のためいつもの鯨波天然展望温泉のメトロポリタン松島で疲れを癒してから自宅に戻った。


 術後1762日 06年12月17日 和歌山対広島さあどっち。
 今朝は土砂降りの雨の音で目が覚める。予報ではしきりと夕方から雪?になるような予報だがこれほど暖かいのに信じられない。雨の日に年末の大掃除や年賀状など終わらせ晴れたら山に行けばいいのだが、まだクリスマスを過ぎないとなんとなく大掃除や年賀状を書く意欲も湧かずどうしたものかと思案。読書などと思ってみたがいやこれはやはり衣食住が満ち足りて初めて読みたい欲求が湧くのであり、今朝の俺には天候不順で山にいけないストレスで1ペ−ジ読んだだけで眠くなるだろう。こんな時は食欲という一番単純な「欲」を満たすのが手っ取り早いし考えなくてもいい。そうだあのら-めん対決にしようと安易に決めた。

 木曜日に食べた和歌山流丸藤醤店のとなりにあった「尾道ら-めん麺春」に向う。今日も尾道ら-めんのほうが車が多く停まっている。お店に入るまで「醤油のこってり」をオ−ダ−するつもりだったがなぜか味噌ら-めんがたべたくなり味噌を注文すると「赤味噌としろ味噌がある」というので白味噌をおねがいする。お店に入るまでは他のひとのブログなどをみると尾道に軍配があがっておりいい印象をもってお店に入ったのだがお客さんとの対応が不慣れなためギクシャクした感じで元気がない。その点、丸藤は対応に元気があり明るかった。まあそんなことはら-めんの味には関係の無いことだけど。

 お待ちかねの味噌ラ-メン700円が出来上がってきた。いたってしんぷるな味噌ら-めんである。まずはス-プをいただく。けっこうあっさり味で俺好みである麺も中麺で食べやすかった。が、しかし、おれでさえも量が少ない。これでは一般の方は少なすぎと思うのではないか。まあおおければいいとは思わないがもう少し野菜の量を多くするとか。結果としてはどちらも美味しく頂いたのだけれど今後どちらを食べますかと問われればまちがいなく俺は「和歌山流ら-めん」と答える。和歌山といより博多に近い味らしいけれどやはり和歌山流○藤醤店 に一票だ。

いま雷様がゴロゴロ鳴り出した。真っ白な贈り物をサンタさんの変わりに運んでくるのかな。

 ところで、昨日はお仕事だったが清水フ-ドセンタ−で16日限定の駅弁大会があり自分は行けないので両親に頼んで買ってきてもらった駅弁を夜食べた。その駅弁は広島の「かきめし」といい今が旬のかきの炊き込みご飯ものである。こちらも期待して食べたけれど期待はずれだった。かきはやっぱりカキフライ、生カキ、鍋がいいのかな。



 術後1759日 06年12月14日 今日は和歌山対尾道対決?
 今日は今年最後のがんセンタ−外来だ。昨年の外来は22日で偶然にもあの新潟市大停電に遭遇してしまった記念すべき日だった。そして昨年は大寒波の中の通院だったが、今日は暖かい朝を迎える。がんセンタ−に着き何時ものように売店で雑誌など見るがあまり触手をのばす雑誌がなかった。しかし、一冊だけ赤い帯が付いた単行本が眼に留まった。ベストセラ−の「国家の品格」だった。一年に本などほとんど読まない俺だが今年の流行語のもとになった本なので思わず買ってしまった。またしても衝動買いである。昨年の「馬鹿の壁」もしかりだった。読みながら順番を待つつもりが直ぐに順番が来てしまいほとんど読めないままになってしまった。

 外来では先生から逆流は大丈夫かと質問されたが、今では自分でコントロ−ルできることが多くなった事を伝えた。飲み会の時や暴飲暴食したときには事前にフォイパン錠を飲んだりしている事。また起きた時などリンゴジュ−ス
(濃縮還元ではなくストレ−ト果汁100%)を飲むとピタリと止まる事などを話した。そして、来年のCT検査と胃カメラの予約を入れる。この検査で問題が無ければ5年であり無事卒業になる。最後に採血をして会計を済ませ外来を終わる。

 寒くなるとなぜから-めんが食べたくなる。今日の昼食はら-めんと昨晩から決めていた。帰り道、事前に調べておいた白根市に向う。目的の「まるふじ醤店」に着てみるとなんとお隣さんもら-めん店だった。こちらのら-めん店は「麺春」といい広島の尾道ら-めんが売りらしい。お店の面構えの雰囲気は断然尾道ら-めん店のほうがよく美味しそうに感じてしまう。こんなチャンスはめったにないのだけれど、いかんせん胃袋に限界があり今回は断念する。駐車場には尾道ら-めんのほうが多く駐車してあり迷ってしまった。

 しかし今日のお目当てのラ-メン店は和歌山流ら-めん「まるふじ醤店」だ。和歌山ら-めんはもう知らない人はいないくらい有名なら-めんだ。しかし、いままで食べたことがなかった。食べたら-めんはまるふじら-めん580円。いまどき580円とはちと安すぎではないかと昨晩から疑問を感じていたけれど出てきたら-ス−プを飲んでみるとなかなか美味しかった。麺の量といいス−プといい長ネギのシャキシャキ感といい、これはなかなかおいしいら-めんだった。次回はお隣さんの尾道ら-めんの「醤油ら-めんこってり」を食べてみたくなった。尚お店の詳しい事は「まるふじ醤店」をどうぞ。



 術後1754日 06年12月9日 今日はシンジラレナ〜〜〜イ。
 11月の3,4と行った谷川岳登山から今日まで山に登っていない。いままでにこんなことがあっただろうか、天気と休日の関係でしかたがないけれどいささかフラストレイションが溜まってきた今日この頃だ。今日も今年最後の連休なで期待していたが予報は雨のち曇りそれでもすこしの晴れ間でもあれば弥彦山あたりにトレ−ニングを兼ねて登りたかったが一日中雨。恨めしい裏飯や。体がいい汗をかきたいと訴えている訳ではないが飲みすぎで体調もいまいち良くない感じである。

 ところで、お話はころっと変わりこんなしょうもないサイトを訪れていただいた方が今日でなんと60,000回をカウントした。以前40,000回は今年の1月2日でお正月とかさなりダブルでおめでとうだった。以前から書いているが別にカウントを表示しているわけでもなく多くの方から訪問していただけような面白い内容ではなくどちらかといえば硬い闘病記がメインのサイトなのに。まあ最近は闘病の話題より登山がメインになってしまった。その登山の更新もままならない状態で登山紀行文などは溜まる一方である。改めてこんな横着なサイトに訪れていただいた皆様に感謝です。とてもシンジラレナ〜〜〜〜イ

 来年の話をすると鬼が笑うらしいが来年2月で術後5年になり検査で問題が無ければ一様、胃がんは卒業と世間様では認めてもらえるようである。サイトを構築するとき5年間が目安でやってきたので大幅に内容を変更するか、いまはやりのブログをやろうか思案中の今日この頃でもあります。改めて訪れていただいた皆様に感謝します.
そしてすてきなメリ-クリスマスになりますように願っております。



術後57ヶ月

2006年11月

 術後1742日 06年11月26日 成せばなる。成さねばならぬ・・・・・。
 8時半、今日も快晴の空の下、旅館を出発し昨晩のチョイ悪おやじを懺悔するために宿から15分くらいの所にある「中野不動尊」でお参りを軽く済ませ、国道13号線を北上、城下町米沢市の上杉神社にむかった。実は今回の忘年会のコ−スではこの上杉神社と米沢牛はどうしても外さないように旅行社にお願いしていた。米沢牛は観光バスなどのコ-スではないお店を手配してもらう。

 上杉神社に着き車を降りるとじっとしているととても寒いので早足で上杉神社にお参りに行った。その後、俺は神社界隈を散策したかったがみんなは歴史には興味はないのかそれとも寒くて我慢できなかったのか真っ直ぐお土産店へ入ってしまった。しかたなく、一人で「上杉博物館」を見学してきた。この見学コ-スに昔の鉄砲の撃てるコ−ナ−があり早速挑戦したが2発とも的に当たらず、結果は修行が足りませんと画面に表示されてしまった。それにしても昔の人たちはあんなに重い鉄砲を担いで戦にいったのかと思うとたいしたものである。

 そんな事をおもいながら土産店により車に戻ると、みんなは予定よりもだいぶ時間も早いので「高畠ワイナり-」での試飲を先に行こうと話がまとまっていた。神社から20分位でワイナり-に到着し、みんなはここでも早速試飲に挑戦したりお土産を買ったりしていた。しかしここでも俺はジュ−スで我慢である。食前酒をここでも鱈腹頂き今度は今回のメインである「米沢牛」を食べにお店に向った

 お店は観光雑誌などに紹介さている「グルメ小僧万吉」である。メニュ−は事前に旅行社が予約しておいてくれた「万吉ステ−キセット」だった。お店に入りまずは乾杯の生ビ-ルをみんなは美味しそうに飲みはじめた。しかし、ここでも俺はこの後H・Tに代わり、新潟まで運転しなければならずオレンジジュ−スで我慢である。これも幹事故いたしかたない。そしてお待ちかねの「ステ−キ」が届きもう飲むのは止め、なれないフォ−クとナイフを使いステ−キを食べることに集中してしまった。
 
 少しの静寂の後に、一緒に出された炊きたてのご飯を食べた友人は一言「ご飯が美味しい」と言った。何という発言か。ところがみんなも同じだった。常日頃新潟のコシヒカリを食べているのにこの発言とは。たしかにステ−キはまずくは無かったがどうも我々のお口には合わなかったようである。常日頃安い牛肉しか食べておらずその味に慣らされているのだ。それとも、もう少し予算を高く設定すればよかったのか???しかし全員お肉だけは残さなかった。最後のデザ−トはさすがに全員は食べきれず残す者もいた。ステ−キに付いたセットものが余分のような気がする。でもである。俺の他に2名カメラを持ってきっていたが誰もステ−キの写真は撮らずじまいだった。食後、1Fのお店で牛肉のお土産などを買い、お腹も満腹になり後は南陽市でりんごを買って帰ることになった。

 お店をでるともうみんなはお昼寝タイムである。ここからは良く知っている道なので別に問題も無いだろうとおもっていたがどうもナビの設定が悪く南陽市を避け最短で新潟に帰るように指示する。遂には田んぼ道を走ってしまうというハプニングもあり少し遠回りをしたが無事南陽市のフル−ツ店でりんごを箱単位で買い一路R113で新潟へ向う。途中、関川の道の駅で小タイムを取り半羽着脱の会場は何処がいいか意見を聞くと、昨晩も牛の鉄板焼きがあり今日は米沢牛と二日間お肉がメインの食事だったので魚が食べたい。寿司が食べたいと言う。魚は刺身ではなく焼き魚がいいという。なかなか注文が煩い。こんな注文を叶えられるのはあそこしかなく携帯から予約を入れる。

 こんなチョイ悪おやじたちの忘年会も6時には無事半羽着脱ぎ会場に到着した。ここからは代行が運転してくれるので俺もお酒が飲めた。なれない車の運転はやはり疲れたのか直ぐにお酒が回ってしまった。しかし、みんなはすごい食欲で刺身、秋刀魚、はたはたの焼き物、など好きなもの食べて最後はお寿司で仕上げて2日間の楽しい飯坂温泉での忘年会が終わった。でも飯坂温泉はいいで(^_^)。


 術後1741日 06年11月25日   チョイ悪おやじになって。
 休日の今朝は素晴らしい日の出とともに訪れた。なんで快晴なのか今日に限って。実は25、26日と今年初めての忘年会を友人7人で飯坂温泉で楽しむ予定である。今回の幹事は俺とKH、俺みたいにズボラな性格では会計は任せられないらしくもちろん会計はKHである。飯坂温泉には過去2回宿泊しているが、とちらも秋の10月に観光バスで行き紅葉がすばらしい時期なので福島県の観光道路がメインのル−トだった。しかし、今回はもう晩秋というよりは初冬の時期であり天候も晴れマ−クは期待できないので歴史探求やビ-ルやワインの試飲が出来るコ-スを旅行社から設定してもらいT・Hのエステマで出かけた。

  25日は新潟〜天陵閣アサヒビ-ル福島工場〜飯坂温泉。
  26日は飯坂〜中野不動尊上杉神社米沢牛高畠ワイナリ-〜新潟。

 しかし、磐越道に乗った段階で最初の見学である天陵閣は嫌だと駄々をこねる友人達、南会津に最近出来た観光名所「大内宿」に行きたいと言い出す始末。まあ予定は有ってない様なものなので急遽大内宿へ向かった。天気は日頃のみんなの精進がいいのか???快晴である。磐越道からの冠雪して白く輝く飯豊連邦を恨めしく思いながら眺め、会津若松市内からはピ−カンの磐梯山がこれみよがしに聳えていた。いままで磐梯山を眺めるときはかならず何時も快晴である。しかし、登るときは雪や雨に遭遇していた。なんでだろ〜〜〜〜か。

 「大内宿」について勇んで見学するが思った程インパクトはなくがっかりした。それならば期待を裏切らないアサヒビ-ル工場に行くべく一路郡山市へ向うが、その前に少し腹ごしらえの為にドライブインでせいろ御膳をいただく。そして待ちに待ったビ-ルの試飲目的のアサヒビ-ル福島工場に到着する。受付し30名位を一グル−プとしてコンパニオンさんが工場内の説明をしてくれる。そんな見学などしなくてもいいのだけれど見学した後の食堂での試飲の為である。見学も終り待ちに待った試飲タイムである。

 ここまでT・Hは自分で運転してきたがここから俺に代わることになっており朝からみんなはお酒を飲んで和気藹々だったが俺と彼は一滴も飲んでいなかった。T・Hを初めみんなは美味しそうにビールのおかわりしていたが、こちらはオレンジジュ−スとつまみのみである。ところが帰りがけに案内してくれたコンパニオンさんからドライバ−には特別にお土産が別に用意されており感激してしまった。やはりアサヒビ−ルは太っ腹である。

 後は高速で今晩のお宿である飯坂温泉にむかうだけである。運転もナビ付なのでまったく苦労も無くお宿に16時30分に無事到着した。そしてみんな、今晩だけは????ちょい悪おやじになって楽しい忘年会の夜は更けていったのでした。


術後1733日 06年11月18日 くすりの勉強会。

 このような案内のはがきが先月に届き、今日、胃・友の会の第3回目の「くすりの勉強会」に参加してきた。2回目の昨年は都合が悪く参加できなかったので何とか今年は参加したくて都合を合わせた。勉強会は午後からなので弥彦の菊祭りの大飾りの今年のテ-マである上高地を見て、昼食は駅弁などと考えていた。この時期、弥彦の菊祭りとならび今がピ-クのもみじ谷の紅葉はライトアップされた紅葉を撮ろうと思って勉強会の帰りに寄ってみるとライトアップはされておらず訪れた皆さんもがっかりしたもみじ谷だった。

 新潟駅南口に着き、いつものアベニュ−で駅弁を購入しようと思ったがこれといった駅弁がなかったのでコンコ−スを渡り新潟駅の駅弁コ−ナ−まで行ってみた。しかし、ここでも思った駅弁はなくがっかりして帰りかけたとき、名店街のお弁当コ-ナ-がありおいしそうなお弁当が並んでいたので思わずそのなかから一つ選んでしまった。値段は630円でいかにも秋を思わせるおべんとうだった。昼食後、会場に着き受付で貰ったアンケ−トの資料など見ていると定刻に勉強会が始まった。

 今回も「くすりの話」「抗がん剤の話」「ジェネリック医薬品」「サプリメント」についてスライドを主体とした勉強会だった。薬剤部長さんから事前にみなさんからのアンケート内容の多くがこのスライドで解決できるのでスライドを作成したとのことである。しかし、すべてのスライドの内容は一般的な内容であり事前のアンケ-トの回答になっていないような気がした。勉強会は2時間しかなくスライドで1時間30分も費やすのではなくその時間を最初からアンケ-トの回答にしたほうがいいのではないかと思う。最後の30分ほどしか質疑応答時間がなく残念でならないとアンケ-トに答えた方々は思ったのではないか。質問された方は術後1〜2年くらいの方が多くみなさん悩んでおられるようである。

 詳しい内容は後日改めて作成するけれど、おまけとして休憩時間での俺の隣のご婦人の話に考えさせられた。ご主人が昨年の7月に胃を全嫡され抗がん剤を服用しているらしい。今日はご主人は仕事で参加できないので変わりに奥さんに参加して質問や勉強をしてこいと言われてきたとの事。まず一番の問題は食事らしい。主人は高タンパク、高脂肪の食事が主体にしなければならないのに、私は低タンパク、低脂肪の食事にしなければならないと笑いながら話をしていた。
(画像くりっくすると拡大します)

秋の彩り弁当630円

術後1728日 06年11月13日 今年もお世話になります。
 立冬も過ぎ日に日に寒さが増すこの時期に術後からお世話になっている事がある。術後免疫力の低下から体の抵抗力が落ちて、普通の人ならば軽くて済むけれど自分は重症になかもしれない「インフルエンザ」。この予防接種を11月に毎年受けている。例年だとがんセンタ−の外来時に一緒に受けていたが、今年は11月の外来は無くしたので地元の{Gクリニック」で受けてきた。何時ものように問診表を渡され回答しながら順番を待つ。

 名前を呼ばれ先生の診察時に「体の具合はどうか」と聞かれ「お蔭様で順調です」と返答すると先生「長生きするんだよ」とこたえてくれた。このGクリニックは初めて癌の告知を受けた先生である。 先生とのお付き合いもあれからもうじき5年になる。出来ることならばあまりお世話にはなりたくないけれど、年に一回は風邪でお世話になっており今年も4月に風邪でお世話になった。インフルエンザの料金は一律ではなく個々の病院で違っているがここはガンセンタ−より安かった。毎年山ノ神はこの予防接種が高い高いと言っていたが、今年から会社でインフルエンザの予防接種代金を一回のみ1000円の補助がでるようになった。これで5ヶ月は大丈夫らしく重くならなければ安いものである

 また先月にがんセンタ−の「胃・友の会」から11/18日は「くすりの勉強会」25日は「術後浅い方の勉強会」の案内状が届いた。25日は今年最初の県外での忘年会旅行なので参加できないが、18日の「くすりの勉強会」には参加するつもりで開けてある。でも、急に天気が良くなったりしたらどうしようかな?????。



 術後1718日 06年11月3・4日バテバテの馬蹄形谷川岳縦走
 今日は文化の日である。一年を通し晴れる確立が10月10日と同じくらい高い日らしい。運よく3連休が取れた。この時期はもう紅葉前線は1000m以下に移っている。それならば連休でなくても日帰りでもいける。週間の予報では3、4日は晴れ5日は曇りである。太平洋側もいい天気らしい。せっかくの3連休、どこにしようか思案する。飯豊連峰、中の岳〜丹後山、そして谷川岳馬蹄形縦走と悩んだすえ、予報を信じて谷川岳に向った。自宅から高速でノンストップなら、2時間で登山口に立てる近くていい山でもある。

 コ−スは初日、白毛門〜笠ヶ岳〜朝日岳〜清水峠泊、4日は清水峠〜武能岳〜茂倉岳〜谷川岳である。まず目指すは定番である白毛門からの谷川岳東面の絶景と一度は登ってみたかった朝日岳、そして清水峠からの夕陽、4日のコ−スは七ッ小屋山山頂付近からの日の出、そして茂倉岳からの秋晴れの谷川岳馬蹄形縦走路と欲張り山行である。3日は予報通り素晴らしい青空がひろがり360度大展望が得られた。できるものならば白毛門山頂から茂倉岳山頂までいっきにワ−ップしてこちら側を撮りたいなどと思ってしまうほどの馬鹿晴れ。その後の朝日岳から清水峠までも雲ひとつ無い秋の青空が広がった最高の一日になった。
 
しかし、山行となると思っていた以上にハ−ドな山行だった。朝6時に白毛門の登山口を出発し白毛門の急登はどんなものかと思って登るが、なかなかどうしてして手ごわいジジ、ババの白毛門だった。白毛門の次のピ−クである笠ヶ岳でもうバテバテ状態になってしまう。。はたし遠くに望まれる清水峠の非難小屋には何時になるのかなどと思いながら朝日岳、清水峠を目指しての山行だったが快晴に恵まれて無事日没前の4時に白樺非難小屋にたどり着くことが出来た。白崩非難小屋は運よく2階のベットが一つ空いており今日のねぐらになった。小屋は10人位で馬蹄形縦走の人たちばかりだった。コ−スは俺と同じ白毛門からと反対周りの谷川岳経由とで半々くらいか。今話題の熊はいないだろうと思っていたらなんとこの清水峠の笹原にも出没したらしく大きな黒い岩だとおもったら小熊をだったらしい。

 2日目の朝は6時出発予定で夕方4時30分のロ−プウェイ乗り場着。昨日の事もあり無理はしない事にした。またここ清水峠から谷川岳までは以前何回か歩いているので大体は解っており、問題は武能岳と茂倉岳の最低鞍部である笹平からの茂倉岳への登りである。ここさえクリア−さえすれば後は時間単位のキツイ登りはないはずである。そんな事を思いながら獏睡していった。

 4日の朝は予定どおり6時に出発する。天気も予定通りのガスで遠くまで視界が利かないがまあ七つ小屋山頂頃には朝日もでてくれば昨日みたいに快晴の青空が望めるだろうと思いながら七つ小屋山まで登る。しかし、ガスは依然として取れず結局青空を拝めてのは武能岳山頂からだった。山頂で会うみなさんはほとんど昨日茂倉岳非難小屋泊の人たちで蓬峠から土樽に下りる方だった。一様に昨日と違ってこの天候を恨めしく思いながらの休憩をしていた。ここまではマップ通りに清水峠から3時間で来ている。しかし、ここからが問題の茂倉岳の登りである。マップでは2時間となっているが3時間と見ていた。青空が望めるので写真を多く撮りゆっくりと茂倉岳を目指す。茂倉岳には2時間30分で登ることができた。

 しかしというか案の定というか、谷川岳方面はガスが湧き誇っている。この野郎である。茂倉岳からの大展望は今回もお預けなのかなぜに嫌われる谷川岳に。何時かきっと撮りたいと思いながら茂倉岳非難小屋の水場で水を汲み、恨めしくガスの湧く谷川岳を眺めつつの昼食タイムを取る。天候はますますがすがすになりもう山行意欲もなくなり惰性で谷川岳を下山してロ−プウェイ乗り場に4時半に到着した。天気が良い日ならば順番待ちの長い列ができるだろうがこんなガスの日は待ち時間なしで乗れた。      
 そのゴンドラで一緒になった若いカップルは俺と同じコ−ス周りで清水峠でテント泊だったらい。若いカップルでもこのコ−スはきつかったと話しており俺だけでなかったので安心する。今回は3日は天気は馬鹿晴れ、体力はバテバテ。4日は天候がバテバテの山行になってしまった。しかし、今度は逆コ−スでもう一度初夏に縦走してみたい魅力的な谷川岳馬蹄形である。

朝日に吼える谷川岳
手ごわいジジ岩ババ岩
朝日岳手前の登山道にて
朝日ヶ原の地塘群
清水峠の亀さん雲?
武能岳から蓬峠方面
笹平からの武能岳
茂倉岳からの谷川岳
のぞきただそれだけ

術後56ヶ月

2006年10月

 術後1713日 06年10月29日 駅弁大会。
 28日と29日の二日間、清水フ−ドセンタ−では恒例の「全国有名駅弁大会」が開かれている。こんな企画がないと県外や同じ新潟県各地の駅弁を食べれる機会がなく、29日の開店時間の10時に会わせて出かけてた。広いフロア−に沢山の美味しそうな駅弁が並んでいた。3日前に新聞チラシが入ってきており、どの駅弁にするか一つは決めていた。その一つは「空弁」ブ−ムの火付け役になったらしい945円の「みち子の若狭の浜焼き鯖寿司」である。しかし、もう一つはお店で決めようと思っていた。(画像クリックすると拡大します)。


 ところがもう一つがなかなか決まらない。みんな美味しそうである。選考基準は家族で食べられる駅弁である。そうなると釜飯関係はパスである。小分けして食べられるとなるとやはり押し寿司になってしまう。それでも悩んだ末、新潟県糸魚川駅の750円で値段も安い「くびきの押し寿司」に決めた。他の駅弁の包装は彩りもよくインパクトがあるがこの寿司は新潟県人のように控えめな包装で少し損をしている感じである。

 早速今日のお昼時にみんなで食べることにした、まずは「みち子の若狭の浜焼き鯖寿司」は包装紙を開けるとべっ甲色した美味しそうな鯖寿司がでてきた。浜焼き鯖と生姜の相性が想定外の旨さの寿司らしい。、鯖好き家族である我が家なのだが想定外の味にあまり評判は良くなかった。しかし俺としては鯖が美味しくいただいた。また、空弁にしては少し量が多いような気がする。


 もう一個の「くびきの押し寿司」も包装紙を開けるとまた地味な内装箱が出てきた。その内装箱を開いた瞬間、包装紙とは似ても似つかないすばらしい色合いの押し寿司が出てきた。一番上に乗っている笹の鮮やかな緑色、その下に一面にのっているアミ海老の赤がなんともいえない食欲を誘う色合である。アミ海老が箱からはみ出しておどっている。なんという綺麗な色合なのか見るからに美味しそうである。笹の葉を取るとアミ海老の赤がまた鮮やかになった。くびき産のコシヒカリの新米にアミ海老と味噌漬甘辛炒り、紫蘇と卵、野菜五目の三種の味が楽しめるらしい。食べるのがもったいないほどの彩りである。食べた後家族全員こちらを推薦した。値段も安くこれだけの材料で素晴らしい駅弁である。新潟県にこの駅弁があった事は以前から知ってはいたがこんなにすばらしい駅弁だとは知らなかった。。後で調べてみるとやはり人気の駅弁であった。


 術後1710日 06年10月26日 夢御膳とさくらの湯。
 今日は2ヶ月ぶりのがんセンタ−外来である。先月の人間ドックの検査結果の報告がメインである。今日は何時もより混んでおり1時間程待たされる。まあ別に焦ることも無く何時ものように静かな待ち時間を過ごす。売店で買ったスポ−ツ新聞の片隅に王監督の体重アップに挑む記事が載っており7kgの増加するらしい。術前に感じたお腹がすいた、おいしいという感覚は今は無いらしく増量までの道のりは険しいと言う記事である。世界の王さんでもやっぱり焦っているのである。王さん焦らずと思わず言ってしまいたくなる。

 順番が来てドックの検査結果のコピ−を見てもらう。別に問題はないでしょうとのこと。来月は18日に「くすりの服用の勉強会」、25日に「術後浅い方の勉強会」と週末に予定が入っており次回の外来は12月に予約を入れる。例年11月の外来時にインフルエンザの予防接種をがんセンタ−で受けていたが、今年は地元の病院で受けることにする。インフルエンザのワクチンの効果は普通の成人では5ヶ月間効くので11月の半ば頃が一番適期である。

 外来と院外処方も済み何時もの新潟駅の駅弁コ−ナ−に向う。行楽シ−ズンなのでなにか新作はないかと期待していた。するとこの11月までの限定販売である駅弁が目に入った。その駅弁の下にはいまが旬のマツタケ弁当もあり少し悩んだけれど限定駅弁「夢御膳」を購入する。いまでは売店のおねいさんとも顔見知りになり少し会話などするようになっている。雑誌「おとなの週末」に日本の美味しい駅弁の記事があり新潟県の駅弁も多く紹介している話になる。新潟駅での駅弁ではお互いにもっと美味しい駅弁があるのにと言う話になり盛り上がる。

 さてこの「夢御膳」は女性向けに作られた駅弁らしくとてもはなやかな彩りである。量は少し少なくしてあり俺にも向いている駅弁であった。お味のほうは具は美味しいのだけれど、ご飯がどうも良くない。せっかくの女性向けならばもっと柔らかく握るか形を変えるかしてほしいところである。しかし器はとても素敵なデザインであり食べた後捨てるのがもったいなくなり小物入れに使えそうである。(画像クリックすると拡大します)。


さてお腹も満腹になり天気は相変わらず曇ったり晴れありで今日は夕陽は期待できないだろうと思い24日にオ−プンした「弥彦桜井郷温泉さくらの湯」に寄ってきた今話題の岩盤浴を体験してくる。これは別料金で400円支払う。あの玉川温泉のようなイメ−ジをえがいていたが大きな間違いであった。早い話は寝サウナである。長い時間岩盤浴されると困るので?とても熱くしてあった。お話の種に体験したがもういい感じである。でも温泉はあの「だいろの湯」を思わせるなかなかいい温泉である。ちと料金高いかな。


 術後1706日 06年10月22日 今日は秋の収穫祭。
 昨日はあまりよくない天気であったが今日はすばらしい青空が朝から広がった。我が家の猫の額ほどの畑では秋の収穫を待っている野菜や果物が元気に育っている。そんな野菜と果物のなかで里芋と柿の収穫の手伝いをする。時には両親の手伝いなどしておかないと快く山にい来にくいのが本心である。そんな事は親も見え見えであるがやはりうれしいらしい。
 
 今、巷の話題は熊騒動であるが、我が家の菜園では何時ものことだけれどカラスとの知恵比べらしい。間もなく収穫時期になるキュ−ウィ−フル−ツを狙っているらしい。こちらもなかなか手ごわい相手であり、いろいろ対抗策を考えてやってみるがやはりからすが上手らしい。まあ、ぼけ防止にはいいのかもしれないが。里芋は山形では芋煮会での準主役でありなくてはならない。また、きのことの相性も抜群でありきのこ汁にはかならずといって入っている。そして柿は1週間ほど前から朝の我が家の食卓に毎日載って来ている。柿が赤くなると医者が青くなるとい言われるほどの健康食品である。渋抜きした柿であまり柔らかくないほうが好みである。さてこれで来週は何処に行こうかなどと考えながらの収穫祭である。それにしてもいい天気だった。


 術後1705日 06年10月21日 恐るべし山ノ神。
 日記を書くのは20日ぶりである。10月に入り公私とも順調な今月である。特に私に於いては人間ドックの結果は予定どうりと言うか全て想定内であった。また登山に於いては1日の火打山は素晴らしい山行になった。しかし、8日の山の会山行は昨年と同様にまたしても雨になり日光白根山の予定が赤城山になってしまった。その日ニュ−スでは白馬岳での遭難を告げていた。以前山の会でこの10日に妙高山に登った時に天候の急変に遭遇しており雨から霙そして吹雪に見舞われた経験がある。この時期の2000m以上の標高の山は麓が雨でも山頂は雪になる確率が高く注意が必要である。

 あれからいろんな人々が遭難にコメントしているが答えは一緒である。はたして真実はどうだったのか、もっと違った見方もありと思えるのは俺だけだろうか。もし自分だったらあの状況でもやはり登ったであろう。はるばる九州から来たのだから。日光白根山の登山口のゴンドラも雨であったにもかかわらず大勢の人たちが登っていった。山頂はなにも見えない世界なのになぜにそこまでして登らなければならないのかいささか疑問であった。我が山の会は直ぐに赤城山に変更したのであった。

 そして先週術後初の自炊での山小屋泊の朝日連峰と充実した今月である。しかし山ノ神は仕事柄休日に急に仕事になったりで今月はゆっくり休んでいなかったのである。そんな山の神が今日はなにもなくカ−ブドッチに行きたいと言うので午後から出かけてきた。さすがに6月の薔薇の季節とは違って休日でも混んでいなかった。まずは我がぶとうの木を観察に行くとすこしばかり紅葉しており元気に育っていた。そしてワインの試飲である。ここの会員はただで試飲ができ山の神と俺は一杯づついただいた。その次にパンデパンでパンを食べる。昼食を食べたばかりなのによく食べれるものであるパンを食べ終わると今度は蒔き小屋でハムが食べたいといいだす。いったいどうなっているのやらパンもハムもほとんど一人で食べてしまった。

 そして最後は夜に友達と映画「フラガ−ル」とかいう題名の映画を観にでかけていった。今日の山ノ神はおそるべしである。触らぬ神に祟りなしである。(クリックすると拡大)


 術後1685日 06年10月1日 紅葉前線まっただなか。
 、昨日の人間ドックも無事終わり今日は火打山の紅葉を観に出かけた。定番中の定番写真が撮りたくて。


術後55ヶ月

2006年9月

 術後1684日 06年9月30日 今日は人間ドック。
 今年で人間ドックも13回目くらいかな術後は5年目である。今年も立川総合検診センタ−で受診した。毎年検診前にいろいろな問診表の質問事項に記入していたが今年からは昨年と同じならば記入しなくてもよくなった項目が多くあり助かった。何時ものように検査が始まり採血コ−ナ−で採血をした。ところが採血で最初は左腕でやったがうまく採れないので今度は右腕からと2回も採血された。いままで何度ととなく採血されたが2回も採られたのは初めてである。看護師さんによれば血管が元気すぎて針を押し戻すらしいが喜んでいいのか悲しむことなにかは解らないが痛い思いを2度もしたくはなかった。

 次に視力検査である、ここでも1回目で余りにも左右の視力が違ったのでまたしても2回検査を行う羽目になった。他の検査も終わり最後の難関である胃カメラ検査である。新潟県では最先端のPETを完備している病院なのでもしかすると、いま話題の鼻からの胃カメラかと微かな期待をしていたがいままでと同じだった。来年は期待できそうである。まあ自分はみなさんがよく言われる苦しい思いはいままで運がよいのか一回もない今回も楽しくモニタ−に映し出される画像を見ながらの受診だった。
検査後は画像を見ながら担当内科医の方が説明をしてくれたのだが昨年とは大違いで親切丁寧に解説してもらった。結果は問題なしである心配していた逆流食道炎も心配はなくこれで取りあえずは一安心であった。

 ところで病院での入院患者さんが着る服はありきらりのデザインだと思っていたが立川病院では上下ともなかなかおしゃれな感じの格格子の衣服であった。これならいままでのイメ−ジとは違い自分的には好みのデザインでいい感じであったこのあたりも県立病院との違いなのか。

 さて、心配していた胃カメラ検査も終わり、後は午後からの結果説明だけである。胃カメラ後1時間は飲食出来ないので、まずは長岡駅で久し振りに駅弁を購入した。この駅弁は今日の晩御飯用である。例年だと病院の食堂での昼食なのだが今年は外食とする。行き先はラ−メン店である。醤油の青島、塩のいち井、そして背油の安福亭、長岡ら-めんの御三家である。その安福亭の神田店が立川病院から歩いて1分程の所にあり出かけた。

 まずはス−プを飲むとあの懐かしい味背油系の味で美味しい。2食抜いている可愛い胃袋には刺激が強すぎないかと心配していたが問題はなかった。ゆっくりゆっくり麺とス−プを流し込んでいった。燕の福来亭と潤を足して2で割った感じかな。友人はなんといってもら-めんは長岡の安福亭が一番と言っている訳が解ったような気がした。

 美味しいら-めんも食べ満腹になり車内にてお昼寝を少してから午後の結果説明に行く。結果はすべて想定内であり問題点は変化なしであった。喜んでいいのか悲しむべきなのかいまだ体質改善が成されない体である。まあ良しとしようと自分に言い聞かせた。いつものよういに胃カメラとエコ−の検査画像のコピ−を頂いて検診センタ−を後にした。


 術後1678日 06年9月24日 できるものならば。
 世界の王さんでもやはり焦ったのだろうか。2日前の新聞に王さんが退院したという記事があり読んでみると、退院後3日目に食べ物がつかえて再入院していたらしい。胃がん患者は退院してからの生活が本当の闘病記である。特に人間の欲望のなかで一番の食欲なのだから。入院中は看護師さんや栄養士さんなどが付いていてくれるが退院後はどうしても油断と焦りで詰まらせる人が多い。俺は入院中になんどか詰まらせて再入院された患者さんを見てきた。

 俺もまもな術後早いもので5年を迎えるが油断はできないと思っている。世界の王さんでもやってしまうのである。術後病名はあまり話さなかったが最近病気のこを聞かれると王さんと同じ病気と答えるようにしているそれでみなさんは納得してくれる。王さんは術後15kgやせて67kgになったと書いてあった。これも想定内の落ち込みだが開腹手術でないのに15kgはちと落ちすぎかな思う。
自分はできるものならばもう3kgほど体重がほしい。

 ところで、昨日今日の快晴の天気のもとで5年ぶりに55kgのザックや寝袋、などの登山用品の虫干しをした。はたして山小屋で自分で自炊し泊まれるのだろうか不安はあるがとにかく来月は無人山小屋を利用して登山をするつもりである。
できるものならば昨日今日のような快晴になってもらいたと思いながらの虫干しである。そして夕方はいつものように夕陽を撮りにちょっこらシ−サイドラインまででかけてきた夕陽は今回も雲に邪魔され地平線には落ちなかった。できるものならば雲はないほうがいいのだが。


 術後1672日 06年9月18日 敬老の日に猛暑とは。
 九州地方、四国、中国地方に大きな被害をもたらした台風13号は進路がずれて一安心だったがその代わりにフェ−ン現象で猛暑であった。お隣の三条市では35度にもなり今年の最高気温が観測された。今日は敬老の日なのこの暑さでは高齢者(俺も含めて)の皆さんにこたえる暑さだろうと山の神は心配だったらしい。2〜3日してから影響がでてくるらしい。

 こんな暑さのなか仕事だったが20日前でもあり世間様はお休みということもあり静かにお仕事をさせて頂いた。会社から越後連邦を眺めていると飯豊連邦の北俣岳,大日岳は雲の中、五頭山魂はくっきり、菅名山魂もくっきり粟ヶ岳、守門岳もくっきり越後三山も今日はくっきり晴れていた。そんななか被害にあわれた九州地方から緊急物資の注文が入りブル−シ−トなどが大量に送られていった。まあそれ以外はそんなに忙しくも無く定時で仕事が終わった。

 今朝出勤する前に、もしかすると素晴らしい夕日になるのではないかと思いカメラを持参して会社に出勤した。新聞では今日の日の入りは17時47分である。会社からならなんとか間に合うかどうかぎりぎりだが急いで角田海岸まで車を飛ばしシ−サイドラインの入り口を過ぎたところで何とか佐渡が島に沈む夕日に間に合った。


 術後1671日 06年9月17日 さくらさん追っかけ山行
 台風の接近の影響で朝からどんよりした空である。今日は完全なOFF日であり天気が安定していれば午後から弥彦山にでもトレ−ンングを兼ねてささっと登り温泉に漬かる予定にしていた。しかしこの空模様では傘を差してまで登りたくないので結局思案橋で終わってしまった。そんな一日だったが溜まり溜まってしまったさくらさん追っかけ山行のいままでの記録の作成をして過ごす。

 是ほど溜めてしまうとその時々のさくらさんとの出逢った素晴らしい感動が薄れてしまいなかなか進まないし、内容的にもおなじような感じになり我ながらがっかりするやら自分自身の才能のなさが以前にも増して思い知らされる。でも今年の夏の山行は近年稀に見る充実ぶりであり自分自身は満足している。そんな充実した山行なのだが山行記録となると、ところどころ付け足したり差し引いたりしながらの作成である。やはり山行記録は熱いうちに作らねばならないと反省の一日であった。明日は敬老の日に感謝してお仕事である。あ-めん?。(画像をくりっくすると飛ぶます)

観光ポスタ−のようにはいかないハクサンコザクラ
中門岳山頂から駒ケ岳方面
夕日に染まる朝日岳と朝日小屋
おまけ今日の夕方の日本海は嵐の前の静けさなのかべたなぎ状態でした。

 術後1664日 06年9月10日 今日は山の花火。
 新潟県の3大花火といえば川の長岡花火、海の柏崎花火そして山の片貝花火である。地元の花火すら10年来見ていなかったが今年は急に山ノ神がなぜか片貝の花火がみたいと言い出した。昨日はどちらも仕事だったので行けなかったので今日観に行くことにした。しかし予報は午後から雨である。でも片貝の花火は余程の雨が降らなければ雨天決行と知っていた。また以前から出雲崎にある天領の里にも行きたいと言っておりそれならばと今日まとめて連れて行くことにした。

 天領の里の何が見たいのか解らないが余りしつこく聞くと機嫌を損ねるので聞かなかったがなんてことは無いだた海がみたかったらしい。山ノ神は山の神なのにどうも海が好きらしい。あいにく予報が的中し佐渡や日本海はどんよりした雨雲に覆われ始めた。すぐに観光物産展でショッピングとなった。このショッピングが男性のみなさんは苦手だと思うがどうしてああも女性は何も買わないのに長い時間見ていられるのだろうかと思いながらもが我慢我慢である。そのうちに外は雨が降ってきた。


 出雲崎から片貝町に向う道中は雨の中のドライブであった。片貝町に近くなった頃は雨は上がってきた。
花火の時間にはまだ早いので近くにある商売の神様を祭ってある「宝徳山稲荷大社に寄ることにした。日曜日にもかかわらず参拝者は少なく驚いてしまう山の神は神社仏閣が大お好きでここでも絵馬を購入してなにやら書いて奉納した。お守りコ−ナ−を見て見るとちょっと他では売っていないお守りがあったので思わず購入してしまった。そのお守りとは「足腰痛止御守」というお守りである500円で痛みが無くなるならば安いものである。

 大社でお参り後近くのコンビニで夕食と花火見物用のおつまみを購入し片貝町に向った。するとまだ5時だというのにもう道路沿いには多くの車が止まっておりみなさんの場所取り合戦が始まっていた。こんなこともあろうと今回は山の神の軽自動車で来ており小さいスペ−スがあったので停めることが出来た。花火開始の7時30分まで時間はったっぷりあり晴れていれば神社まで行ってみたかったが生憎の雨模様なので車の中で時間まで待つ事にした。

 今回初めてデジカメで花火をうつそうと思っていた。カメラには花火モ−ドがあり初めて花火を撮ってみたがまったく失敗ばかりでなかなかタイミングが合わなかった。花火も解ってはいたが長岡や新潟市の花火と比べると見劣りがしてがっかりしてしまった。そして10時前には雨が本降りになり打ち上げた花火が霞んでしまうようになったので10時30分の4尺玉花火は見ずに会場を後にした。何処の花火会場でもそうだが終わってからの渋滞がありこれがいやでたまらない。しかし山の神は見たかった花火を見て満足なのか隣で気持ちよさそうに眠っていた。

 

 術後1662日 06年9月8日 今日は白露。
 今日は白露らしい。調べてみると野には薄の穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が混じり始める頃と記されている。そういえば今週に入ってからはめっぽう秋らしくなってきた。昨日などは夕方に雷雨があり夜は冷え込むほどだった。そんな白露の夜、帰宅するとなんと秋の味覚である秋刀魚と同じく初冬を告げる魚であるハタハタの味噌田楽の初物が親戚の割烹店より届いていた。

 最盛期のハタハタから比べればぶつぶつ子も小さく、まだまだだけれどそれでもやっぱり美味しくいただいた。胃を手術する前は柔らかい頭などはかぶり付いて食べたものだが術後はそうもいかないので悔しくなる。早くお腹いっぱいに卵を抱いたぶつぶつはたはたを食べたくなる。そんな夕飯時に味噌汁はなめこ汁なら最高だったがそこまで秋三昧ではなかった。

 そうそう帰宅途中に夜空を見上げるとお月様がでていた。満月になるにはもう少し先みたいだけれども。


 術後1657日 06年9月3日 初秋の尾瀬。
 昨日は空と山ばかり眺めながら仕事をしていた。最初は天気が良ければ谷川連邦の朝日岳に清水峠経由で登る予定だったが、8/31に川口町の広井様の山行記録を拝見して清水峠の林道歩きの長さに閉口し山行は中止した。第1位候補の朝日岳は断念したが谷川連邦には未練があり第2候補の万太郎山に行こうかなと思っていた。

 ただ一つ気がかかりなのが今の時期8月の終わりから9月の中旬までよほど新潟県と群馬県の天気がよい日以外はガスが発生し展望は思ったほど得られないと蓬峠の管理人さんから以前聞いており思案していた。そうだ今が一番静かな尾瀬があったと思い出した。燧ヶ岳と尾瀬沼なら多少天候が悪くてもそこそこ楽しめるはずである。

 家を夜9:30分に出発し一路御池まで3時間のドライブである。先月の会津駒ケ岳の時は寂しく不気味なR352だったが、今日は追い越したり、追い越されたりしてなかなかにぎやかなドライブだった。予定通り12:30分には御池有料駐車場に到着し4時まで仮眠後朝食、5時に燧ヶ岳に向かって登り出す。登山道はここも木道が沢山設置されておりいささか興ざめしながら登る。そんな木道よりも、もっと気になったのが「ガス」である一向に晴れてくれる気配がなく多少は覚悟していたが朝早い時間ならば大丈夫と思っていた。

 しかしそんな願いもむなしく俎ー山頂に到着してしまった。気を取り直して柴安ーまで行きしばらく晴れる事を期待して待ってみるも晴れる気配がなくしかたなく戻ることにした。ところがその直後に、にわかにガスがひき初め急に青空が広がりはじめた。予定通り大きな岩がゴロゴロしたナデッ窪を下山し沼尻から大江湿原経由で沼山峠まで歩き、峠からバスで御池駐車場に戻ってきた。燧ヶ岳山頂から沼山峠までは初秋のさわやかな風が草原にそよき少しずつ秋の気配も感じられた。この時期は思っていたどおりの静かな尾瀬散策が出来た一日だった。また帰りのR352の県境付近はもう秋の風景である「秋桜」と「そばの花。」は咲き誇っていた。


柴安ー
俎ー山頂
沼尻からナデッ窪を眺める
尾瀬沼
沼尻地塘
大江湿原
そばの花