術後54ヶ月
2006年8月
2005年の愛に続き2006年はワンダフルな年にしたいわん。 | ||
術後1654日 06年8月31日今日は喰いじんぼうの日。 |
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さて今日はこれからが本当の俺には楽しい一日になる。久しぶりの「喰いじんぼうの日」である。ら-めんと駅弁を食べることに。ら-めんは万代島で1年間の限定出店の新しいお店「チャレンジャ−竹野」に行ってきた。こちらのお店はとんこつ味で勝負らしい。まあ一番安い600円のとんこつ醤油ら-めんを食べることにした。とんこつ味なのにあっさりした味らしい。ら-めんが出来るまで少し店内を拝見する。お店の雰囲気と内装はいたって質素である。TVはなくラジカセが鳴っていた。 厨房では二人だけで一生懸命働く姿がなかなかいい感じである。お待ちかねのら-めんが出来てきた。まずはス−プを一口、メニュ−の紹介どおりそんなにとんこつ味は濃くなくあっさり味である。そして麺を食べるとちょっと麺とス-ップの絡みがよくない感じであるチャシュ−はごく普通であった。まあ600円という値段ならしょうがないのかななどと思ったりもした。他のお客さんはみそら-めんなど高いら-めんを食べており又違った印象だったのかも知れない。厨房でら-めんを一生懸命に作っているふたりの姿を見ているとなぜか応援したくなる「チャレンジャ−竹野」でした。 ら-めんを食べた後は何時ものお気に入り所で少しお昼タイムを過ごし新潟駅に駅弁を買いに行く。まあこの時期は暑く新製品などないだろうと思いながらアベニュ−に行くと、いままで無かった若竹色の紐で結ばれている駅弁を見つける。店員さんよれば夏場限定らしい。良く見るとなるほどうなぎがメインのお弁当である。商品紹介の写真もなかなか美味しそうである。うなぎは大好き人間の俺は直ぐに購入した。夜かあちゃんと一緒にいただく。常日頃はあまり駅弁は好きではないらしいが今回の「うなわさ重」は美味しかったらしく半分以上たべられてしまった。うなぎとピリ辛わさび菜の相性がなかなかいい駅弁であった。 こんな喰いじんぼうのラストは日本海に沈む夕陽である。先日も最後に雲に阻まれ沈んでいったので今日は大丈夫かと思いながらでかけたが、やっぱり今回も雲に阻まれてしまい諦めて帰りはじめてまもなく、バックミラ−にやけに赤く染まった空が映し出されてりおもわずU-タンして戻ったが少しだけ間に合わなかった。夏が終わっていくような大きな夕陽が日本海に沈んでいった。今日でくそ暑い夏よさようなら。明日からはすがすがしい秋よこんにちわである。 |
術後1650日 06年8月27日 今日はぼうずの日。 |
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昨日、仲間との夜のバ−ベキュ−でまたしても懲りずに暴飲暴食をしてしまい今日は完全休養日である。しばらくは肉や焼きそばなどは食べたくない心境である。幸いにもあれほど残暑だった先週に比べて朝晩はすっかり涼しくなってきた。ク−ラ−がない部屋のパソコンもこれで少しは元気を出してくれることだろう。そして溜まっている山行更新作業を終わらせないと思う今日であった。久しぶりに夕日など撮りたくなり新潟市間瀬海岸の海浜公園にでかけて見るとキツネのカミソリが道路脇に咲いており思わず車を止めて撮影した。しかし夕方なので思ったようには撮れなくがっくり(腕が悪い)。 |
術後1647日 06年8月24日 憧れの山。 |
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、きのうは暦では処暑である。ようやく朝晩は少し涼しくなってきたようだ。先人は今のような文明社会でもないのによく気候の変化を察知していた。ところがきょうの我が家は朝から熱い討論と言えば聞こえはいいが同じ市内の男性(59才)が穂高岳で滑落死亡した話題で侃侃諤諤である。新潟日報でもほんの紙面の片隅に事故の記事が載っていた程度である。ところが三条新聞では写真入りでこの事故が大々的に載っていた。 西穂高岳から奥穂高岳に縦走中に西穂高岳と間ノ岳の間で滑落死亡された。このコ-スは山を始めた人ならば一度は縦走してみたいコ-スでもある。穂高連峰と剣岳、槍ヶ岳が3大人気ではないだろうか。そのなかでもこのコ-スが一番難易度が高く危険だと思われる故に憧れの山でもある、。術前には何時かはこの山を縦走したいと思っており、その為にも西穂高岳や奥穂高岳、ジャンダルムを登ってから挑戦しようと思っていた。しかし術後はいまだ体力的な問題などがあり静観している。 記憶では西穂高岳までは問題ない。それ以降は本格的な登山になる。平成13年の夏に奥穂高岳に登ったとき少し時間があったのでジャンダルムまで登ってきたがいままでの山行では味わったことのない恐怖感が体中を奔った記憶がある。第一のポイントである下りの馬の背が待ち構えていた。第一歩がでないというより出せなかった。鎖もなくもし間違ったら一巻の終わりである。岩にへばりついて後続の人を待ってその人から教えてもらい通過した記憶がある。ジャンヌダルクの頂での写真はびびった状態写っている。ジャンヌダルクまででもこんな状態だからその先はどうなっているのかと思いながらも引き返した。帰りの馬の背は登りなので問題なかった記憶がある。登り下りが精一杯で写真を撮る余裕すらなかった。 山を知らない両親は高い山、冬山が危険と思っている。しかし山の危険度は高さでも季節でもない。現実にあの弥彦山ですら今年の冬にベテランの方が滑落負傷事故を起こしている。それだから尚のこと登山というスポ−ツに対して危険というイメ-ジをもっているらしい。今回の新聞の記事を読んで、ますますそんなイメ−ジをもったようである。山の神ですら今回の事故は他人ごとではないらしくいろいろ聞いてくる。登ったことはあるのかとかどんなコ-スなのだとか。両親や山ノ神には日本で一番危険なコ-スであると教えた。 今回も事故があったが自分の中ではそれでもやはり憧れの山であり何時かは縦走してみたいと思っておりその前に北穂高岳も登っておかなければならない。しかし、少しばかり時間を置かないといけなくなったような感じである。ほとぼりが冷めた頃に体調と天候と休暇の3つが揃ったときに登りたい思う今回の新聞記事であった。 |
術後1644日 06年8月21日 阿弥陀堂だよりの里。 |
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、世間ではお盆休みが終わり今日からお仕事らしい。しかし、俺は数少ないお盆休みだと言うのになんと台風の影響で日本列島の北半分は落雷注意報がでている。そして予報も曇りである。なんでいままで晴れなのに曇りなのかやはり日頃の行いの悪さなのか?それでも下界のくそ暑さを逃れたくて志賀高原までお手軽登山に出かけてきた。 志賀高原といえば、だれでもが冬のスキ−のイメ−ジが直ぐに浮かんでくる。標高1500mの高原で冬スキ−で氷点下-20度を体験したことがあったがそこまでいかなくてもせめて20度位であれば最高なのだが。、志賀高原での登山での定番の山といえば岩菅山であり標高2295mで2時間30分程で登れ急登は山頂手前のみらしい雑誌で紹介されている。 自宅を朝3時に出発し高速を使わず3時間で登山口に到着する新潟方面はどんよりとした空模様だが志賀高原はうす曇程度である。聖平登山口には誰もいなかった。この山の登山口は東館山ゴンドラと高天ヶ原リフトを使うコ-スもあるがどちらも運転時間が8時30分からなので今回はパスした。最初の30分はほとんど登りのない水路沿いの道である。その後樹林帯で登山道らしくなってくるのだけれども木道の連続でうんざりしてしまう。そして「ノッキリ」などと言う地点で先ほどの他の登山口と合流する。ここからは岩稜帯の急登を登ると山頂であった。 山頂からの眺めはガスがかかりまったくなく直ぐに下山した。実は今回の岩菅山登山はあまり期待はしておらずとりあえず登ってみたかったのであった。案の定天候不順で視界はまったくなく下山後、直ぐに第2案の「木島平のカヤの平高原」へと急いだ。参考資料には標高1500mくらいの高原で樹齢300年のぶなの大木や高原植物の宝庫でキャンプ場やロッジがあると記載されている。北信濃でのぶなの原生林では鍋倉山がよく知られているがこちらは近年発見開発されたらしい カヤの平高原を散策し帰りに「馬曲温泉」で入浴後温泉の出口のパンフレットを手に取って見ると(このようなパンフレットを必ずもらって来るが日を改めて見たのはほんのわずかな)寺尾聡主演の「阿弥陀堂だより」のロケにカヤの平のぶな林と三部での阿弥陀堂セットと棚田が紹介されたと記されてあった。しかし後の祭りである余り遅くなるのもいやなので後ろ髪を引かれたが帰ることにした。事前にもっと調べて最初から鍋倉山とカヤの平にしておけばよかったと思った。次回はどちらも時間を取ってゆっくり散策して見ようかな。
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術後1643日 06年8月20日 さあお盆休みだ!!!!。 |
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世間ではこの時期お盆休みの話題ばっかりである。しかし俺の勤めている会社はこのくそ暑いお盆に中間決算棚卸しをするという会社でありまったくお盆休みなど、どこかの世界という気持ちで毎年お盆を迎えている。棚卸しの準備の為先週は夜遅くまではたらかなければならなかった。まして今年は猛暑のなかだったがなんとか19日に棚卸しが終わりとりあえず一安心である。この棚卸しが終わって初めてお盆休みというわけでもないが今日、明日と短いお休みを頂いた。 暑い下界とおさらばして山でも登りたい心境なのだが今日は出来の悪いお頭を休ませなければならず完全休日である。明日あたり高原のお手軽ハイクなどでに出かけたいと思っているが天気がよくない予報でありちと思案中。 ところで、お盆の15日に妹夫婦が来た。旦那さんのご希望は親戚の割烹店の「銀鱈の焼き物」である。この銀鱈を食べたくて我が家に来るのを楽しみにしている。自分は仕事で相手はできなかったが夜俺もビ-ルと一緒にいただいた。なんども書いているがこの「銀鱈」は他のお店では食べられない一品である。とにかく美味しいの一言である。一見しょっぱそうに見えるがしょっぱくはなくもうたまりません。脂もほどよくのっており皮なんぞもう最高である。 |
術後1629日 06年8月6日 花園に酔って候。 |
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、早朝4時半に朝食を食べて今日はいっぱいお花を撮るべく下山を開始した。きのう撮れなかった景色や花など撮らなければと思っていたが生憎光線の具合で?なかなか納得できる写真が撮れない。きのうの登りは9時間かかっており今日の下山は8時間ほどと考えていた。その5時間ほどが全てお花畑の中の下山であった。これほどのお花畑は初めてありやはり北アルプスはデカイ。そして一斉にお花が咲き乱れる様はやはり圧巻であった。そしてみなさんが関心したことは同じ北アルプスでもあの巨大山小屋である「白馬山荘」との違いであった。たしかに収容人員ではくらべものにならないが朝日小屋はアットホ-ムな山小屋である。しかも料理もよく対応も心地よかったらしい。オ−ナ−の清水ゆかりさんの人柄なのか。まだまだ多くのお花が咲いていたが如何せん電池の予備とSDカ−ドの容量が足りなく残念であった。もう一度秋にでも訪れてみたくなった朝日岳であった。 |
術後1628日06年8月5日サクラさんに感激、山ノ神はSMAPに感激の夜 |
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標高1470mの蓮華温泉駐車に朝の3時に到着するがすでに第一駐車場は満杯で第2駐車場に止める。この駐車場も直ぐに満杯になってしまった。危なかった。もっと早く来ないといけない。目的の朝日岳の標高は2418mそれから下り朝日小屋は2150mであるガイドブックには7時間半らしいいが実際には9時間から10時間は見ておいたほうがいいらしい。はたして体力的に大丈夫か多少の不安はあったが、今夜は食事つきの朝日小屋泊まりである。そしてこのコースの最大の魅力はお花らしいいが、それよりも俺が気に入ったのは登山道の至る所に水場があることであった。この暑い時期になにが一番大切かは「水」である。その水は最低200mlあれば充分足りたのであった。デジカメの枚数も気になっておりとりあえず初日は最低限度の枚数しか撮らないようにして2日に勝負であったがなんとバッテリ-が無くなっってしまった。仕方なく予備の乾電池まで使わなければならなかった。
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術後1627日 06年8月4日 今日も丑の日 丑しっし。 |
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7月末に梅雨明けした途端に当たり前だが暑い日が今日も続いている。今日は今年2回目の丑の日である。夜帰宅すると親戚の割烹店より今日もうなぎか届いていた。このうなぎを食べて精力?体力をつけておかなければならなかったのである。なぜならば今日も夜半過ぎにまたまた懲りない俺は「さくらさん詣で」のため旅立たなければならなかった。火打山、会津駒ケ岳、とサクラさんを追い続けている。飯豊連邦がさくらさんの北限らしいがこの暑い夏に標高2000mの飯豊連邦に登るには体力的に自信がなく選んだ所は蓮華温泉からの朝日岳であった。 この山は別名、花の北アルプスのなかでも1,2の花の楽園らしい。しかし他の花などどうでもよくサクラさん一筋と心に決めて11時30分自宅を出発した。 |
術後53ヶ月
2006年7月
術後1622日 06年7月30日 さくらさんに逢いたくて ちゅう |
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「ハクサンコザクラ」こんなかわいい花があるとはいままで知らなかった。あまり山の花たちには興味はなくもっぱら風景などをおっかけてきた。しかし火打山でサクラさんに逢ってから一目ぼれしてしまった。他の山で日帰り圏内でさくらさんの群落はと調べるとなんとあの「会津駒ケ岳」もハクサンコザクラの群落がで知られていた。 そこで一番の近道は銀山平から御池経由が最短なのだけれど今年の長梅雨で国道352線は通れるのか心配になり確認すると、なんと29日に開通したばかりであったラッキ〜〜である。29日の夜10時に自宅を出発し登山口には3時間半で到着した。すでに10台位車があった。空には満点の星が散りばめられており、今日の快晴が約束されたようで今回も火打と山同様に待ち遠しくなる気持ちを抑えながら仮眠をした。しかし、朝の4時からランプを点けて登っていく団体さんがおりその物音で目覚めてしまった。もう眠れないので朝食をとり5時に登山を開始する。 会津駒ケ岳は術前に桧枝岐村の民宿に一泊し燧ヶ岳とセットで秋に登っているので要領は解っていた。この山のメインは駒ケ岳の先にある中門岳の地塘群である。この地塘群に映し出される青い空がたまらなく美しかったそんな記憶が写真と一緒に残っており今回も青い空、白い雲、残雪そしてサクラさんと期待で胸きゅんだったのだけれど、俺の思いとは裏腹に恋破れた山行になってしまった。 山頂付近は雲がかかり青空はほんの2時間程しか晴れ間はなく、サクラさんも思っていたよりまったく少なかった。今年の大雪で花の開花時期がここでも2週間ほど遅れているようである。そしてさくらさんの群落はなかったがほかのさくらさん達がいっぱいしゃべり誇って歩いたのにいささか閉口してしまった今回の会津駒ケ岳であった。しかしあのコバイケソウが一斉に咲き誇った様を想像するともう一度トライする価値があるかもと思ってしまうほどの美少女群であった。 |
術後1615日 06年7月23日 今日は大暑、大賞は火打山 |
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一ヵ月ぶりの山である。予報は曇り今日いっぱいは雨にはならないという。今月になってから火打山のハクサンコザクラの開花状況をたびたび確認していた。火打山には過去3回登っている秋が一回と術前にお盆休みに2回である。3回とも天気に恵まれなかった山である。そして、この山は午前10時までが勝負とい話を山頂で地元の方から聞いていた。夏の時期は10時を回ると雲が沸いてきて展望がなくなるという事であった。本当は高谷池ヒュッテに泊まればいいのだけれど前日はようがあり無理だったので深夜1時に自宅を出て3時半に笹ヶ峰の駐車場に着き仮眠後4時30分に登山を開始した。 |
術後1614日 06年7月22日 土用丑の日 |
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夏といえば枝豆、ビ−ル、花火、などが直ぐに思い浮かぶ。しかし、日本全国いまだ梅雨あけもせず毎日雨マ−クでいささかうんざりである。もう一つ夏にかかせないの食べ物といえばうなぎではないだろうか。今年も土用の丑の日がやってきた。本当は明日なのだけれど我が家では家族全員がどんなに遅く帰ってきても、うなぎを食べれる日が今日しかないので親戚の割烹より例年通り一日早いけれどうなぎを注文しておいた。 以前にも書いているとおり「てまえ味噌」になってしまうけれどこの親戚のうなぎはいままで食べたうなぎのなかではいちばん美味しいと思っている。どこが違うのかといえばたぶん「たれ」ではないだろうか。このたれが絶品なのである。春は新鮮な鯛のお刺身、夏はうなぎ、そして秋は、はたはたの「みそ田楽」そして冬は「あんこう」。などが割烹より毎年届くのを楽しみにしていた。 そしてなんといっても我が家で一番人気は「ぎんだらのてりやき」である。東京にいるおじさん達もかならず新潟に来る時はこのぎんだらを指名してくる。なにもいらないから枝豆とぎんだらがあればいいという。東京にはこのような「ぎんだら」はどこにもうってないらしい。 そんなうなぎを食べて精をつけて明日は火打山にハクサンこざくらなどを観に行くために早く就寝した。 |
術後1607日 06年7月15日 1時間待っても |
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午前中に長岡市内に用があり出かけたついでに昼ごはんは駅弁にしようかそれともら-めんにしようか思案したけれど、この梅雨の大雨の天気では駅弁よりは暖かいら-めんが食べたくなった。長岡のラ−メンといえば「青島」の「醤油味系」と安福亭の「背油系」ラ−メンが直ぐに思い浮かぶ。しかし、最近にわかに長岡ら-めんで評判になっているお店が「いち井」である。このお店のメインは塩ら-めんらしい。塩ら-めんでいままで美味しいと思ったら-めんは数少なく今回は期待していた。 11時30分開店なのでその時間に合わせてお店に向った。ところが、もうすでに20人位並んでおりおいおいである。その後も次々とお客さんが来て俺がお店に入れる頃にはなんと40人に膨らんでいた。そして待った時間がなんと1時間である。ら-めんを食べるのに1時間も待ったのはいままでこのお店だけである。まあ同じ待っているもの同士でら-めん談義などしたりして待っていた。また、待っている人のために新聞や雑誌などが用意されているお店も始めてである。1時間待ってようやく席に着く事ができまた驚いてしまった。このお店はいままでのら-めん店と違うようである。なにか日本料理店に来たような雰囲気のお店である。器にもこだわりがあるようでなにかうどん屋さんのような器が並んでいた。これならば味のほうも期待できそうである。注文はもちろん「塩ら-めん」である。 出来上がった塩ら-めんは見るからに美味しそうな感じである。あっさりではなく濃厚な味の感じである。スープには4種類の魚だしを使い、塩は沖縄糸満産いり塩だそうだが、まろやかな魚だしと魚の甘みのとても深みのあるスープである。麺は細い麺である。とにかく魚好きな俺にはとても旨いら-めんである。量は普通の人だと少なく感じるかもしれないが俺にはちょうど良かった。とにかく旨いのである。また食べたくなるら-めんであることは間違いない。次回はとんこつ味にしよう。 詳しいことはお店のHPをごらんください。 |
術後1598日 06年7月6日 人気10位専門家4位?? |
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がんセンタ-外来を終え新潟駅のアベニュ−に何時もの駅弁を買いに寄るが新しい商品は見当たらず見渡すと商品カ−ドがついた駅弁があった。その駅弁とは「ひらめすし」という。こしひかりの酢飯の上にひらめ?の薄切りを載せてあるだけの至ってシンプルな駅弁である。こんな駅弁がなぜ人気ベストテンの10位で駅弁専門家の間では4位なのか?の興味で購入した。 駅弁を昼食時に食べるため何時ものお気に入りである柳都大橋の桟橋に駐車したようとしたが何か何時もと様子と違っていた。まず監視船いたりなにかを探しているような人がいる。明らかに船員ではない感じ(刑事?)なのか様子がおかしいかったのである。監視船の人に聞くと不審船を探しているらしい。昨日から騒いでいる北朝鮮のミサイルと関係があるのだろうか。こんな雰囲気の中では落ち着いて食べれないので西海岸公園で食べることにした。 はたしてどんなお味なのか包装を紐解くとまずはお箸、お手拭、カッタ-が器の蓋の上に乗っていた。その蓋を開けると、ワサビ、醤油、生姜がでてきた。おすしには欠かせない3品である。さていざ食べようとすると醤油を入れるところがない。上からかけるのか?わさびは?という疑問が沸いてきた。味と値段はともかく、はたしてこの駅弁はどこで食べること事を想定して作っているのか?電車の中、お土産で買って自宅で?自宅でならばなんら問題はない。しかし狭い電車の座席や車の車内ではせっかく駅弁の味が解らなくなるのではないか。たとえば一個分寿司を減らしても醤油入れのスペ−スを設けるとか、上蓋を利用してなにか容器ができないのか。まず食べる前からこのような疑問が生じてしまい最初からがっかりしてしまった。 味は個人の好みの関係なのでこんなもんなのかなと思う。がはたしてこの駅弁を選んだ皆さんは何を基準にして選んだのかいささか疑問である。だだ美味しいだけで選んだのではないか。本来の駅弁の趣旨とは違い、ただただ味や見た目などばかりに目を奪われてはいないのか。家に帰りこの寿司を検索するとやはり俺と同じ事を思っている人のメ−ルが載っていた。この器の件がなければもっと評価があがったのかどうかは解らないがせっかくの新潟の美味しい駅弁だが残念であった。 |
術後1595日 06年7月3日 雑誌「安心」が届く |
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帰宅すると雑誌「安心」の8月号が届いていた。この雑誌はマキノ出版から発行されている健康に関する雑誌である。5月末に取材をうけ、6月初めに原稿の確認をさせてもらっていた。取材の内容とは胃を切除した人の後遺症で「胸焼け」があり、その対策方法の取材であった。その対策方法とはりんごジュ−スの飲む(果汁100パ−セント)ことである。この胸焼けを専門用語では「逆流性食道炎」とも言う。自分は術後半年後からこの胸焼けに苦しんでいる時にある雑誌からりんごが効果がることを知り対策として毎日りんごを半分今現在でも食べ続けている。また胸焼けが起きた時はりんごジュ−スを飲んでおり我が家の冷蔵庫には必ず1本は入っている。 徳島県の病院の医師も自ら胃がんで手術を受け、術後胸焼けの後遺症で苦しんでいるときにりんごのことを知り実行したら軽減したという記事がメインであるが、今回もやはりおなじおもいでありどこからこんなつたない闘病記を見つけてくれたのか一日のアクセツ数など知れているのにと思う。しかし、それでも書店などでよく見かける雑誌に載せていただくだけでうれしいことであった。またこの記事を読んでもらい同じ後遺症で悩んでいる方々に少しでもお役に立てれば幸いである。
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術後52ヶ月
2006年6月
術後1586日 06年6月24日 飯豊はやっぱりいいで |
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山登りが好きになった訳は先輩の教授に飯豊連邦に連れて行ってもらってからであった。重いザックを背負い長い道のりを歩いて夕日を拝み星を眺め朝日を拝んだ記憶が読みがえってくる。その後北アルプスなどのテ−マパ−クなどに登り、楽チン登山に慣れてしまっていった。そんな時に癌が見つかったのであった。術後は体力的に無理が利かなくなってしまい、いままでのピ−クハンタ−のスタイルから180度転換しなければならなくなった。しかし飯豊への憧れは術後もず-と抱いておりいつか登りたいと思って4年の歳月が過ぎた。 そして4年目の今年は飯豊に再デビュ-と心に決めていた。しかし大雪の関係で道路の開通が遅れていた。ようやく20日に奥胎内まで開通したが時期的には遅かったようだ。それならば梶川尾根から門内岳と決め登ってきたが6年ぶりの飯豊はやは手厳しかった。でもまたしてもはまりそうである。やっぱり飯豊はいいで。(画像クリック)。 |
術後1583日 06年6月21日 夏至と50、000回 |
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今日は1年で一番昼の長い夏至である。いつものように一日マスコミは夏至のお話である。いまドイツではサッカ−のワ−ルドカップが開かれている。日本はたぶん決勝ト−ナ−メントは無理と思われるが、今年3月の野球のワ−ルドカップのようなこともあるのでまだあきらめてはいけないと思う。ブラジルにもしかすると神風が・・・・解らないかも。4年前日本で開かれたワ−ルドカップは術後まだ4ヶ月という時期で心から楽しむことができなかった。正直サッカ−を楽しむどころではなく後遺症や再発などの不安感が優先していた。しかし今年は違う。これからが本当の醍醐味を味わえる決勝ト−ナ−メントであり、またまた寝不足になってしまう。そんな今日この頃である。 ところで、久日ぶりにカウントを見たらなんとカウントが50,000回を越えていた。たしか40、000回が今年の1月なので1日平均50位の方が訪れていただいた計算になるようだ。いま流行のブログなどと考えてはいるがいかんせん日々の更新すらままならない現状ではちょっと無理なお話である。来年の2月になると俗に言われている癌5年説になり問題がなければ卒業でありその頃になったらあらためてサイトの構築など検討しようと思っている。 改めてこんな闘病記でありあえてカウンタ-を表示していないけれどやはり素直にうれしいことです。訪れていただいた皆さんに感謝申しあげます。これからもよろしく(~o~)。 |
術後1580日 06年6月18日 プレゼントワインとバラたち |
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今年も2月にカ−ブドッチワイナリ−から葡萄の木のオ−ナ−の皆さんにプレゼントされるワインの案内状が届いていた。別に急ぐことも無いので薔薇の咲く6月頃に貰いに行く予定にしておいた。15日にも新潟の帰りに寄ってみたが本当は17日か18日のどちらかと決めていた。ところが昨日は予報がおお外れて天気になり茂倉岳になったので今日出かけることにした。朝の10時半過ぎだというのに駐車場は満車状態である。 今日も結婚式があるらしく正装した人たちの姿もみられ薔薇の写真など撮り終えて食事とおもったが安い所は満員状態で順番待ちすらでる状態なので取りやめワインのプレゼントを頂いて帰ってきた。それにしてもこんなに混雑したカ−ブドッチは始めて見た。やはりこの6月の薔薇の時期が一番素敵である。(詳しい薔薇の写真をくりっく)。 |
術後1579日 06年6月17日 彩雲と遭遇 |
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天気予報がまたしても前日に雨から晴れに変わり週末は晴れマ−クである。15日に梅雨入りしており貴重な晴れ間を逃してはならない。谷川連邦の平標山などは大勢の登山者で賑わっているのでパスする。そんな連邦で意外と穴場的な茂倉岳に登ってきた。山頂近くで幸運にも「彩雲」と遭遇できた。またハクサンイチゲなどの花の群落にも逢えて素晴らしい一日を過ごすことができた。
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術後1577日 06年6月15日 医龍と空弁とばら |
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朝からどんよりした空模様のなか、がんセンタ-外来にでかけるガンセンタ−に着いてまずは「575」コ-ナ-に寄るが秀作はなかった。次は売店により待ち時間対策になにか雑誌などないか探していると俺のHPを最初に紹介してくれた「がん治療最前線」の6月号にがんセンタ−のN外科部長率いるBグル−プの記事が載っていた。たしか俺の手術の時はY外科部長のAグル−プだったような気がする。Bグル−プは難易度の高い手術が必要な患者さん達を受け持っていた。 今日木曜日の夜10時から同じ医療チ−ムの「医龍」という番組を放送しており最初からかならず観ているので興味があり購入する。その記事の中に以前にはなかったことが書かれていた。それは手術室に患者が自分自身で歩いて入室するケ−スが増えているらしい。たしかにストレッチャ−に横たわりながらの移動はあまり気分のいいものではない。そしてもう一冊これも胃がんに関する内容の雑誌である。医療ジャ−ナル社から出版されている「食道・胃・十二指腸疾患の自己管理」という本であるこちらの本は病気のほんであり逆流性食道炎が気になっており食道がんの記事があったのでこちらも購入した。 外来を終え院外薬局で薬を処方してもらっているときにテレビでは、沖縄県での連日の大雨の被害を報道しておりその後ようやく新潟県も今日梅雨入りしたと報道していた。昨年は28日だったらしく2週間も早いらしい。 さて院外薬局も終わり今日は先日、新聞に載っていた「新潟空港の空弁」を購入すべく新潟空港へ向かう。空弁は1階の売店と2階のお土産店で販売されていた。実はこのわっぱめしは俺が駅弁コ−ナ−を立ち上げた時の最初に食べてわっぱめしだった。しかしあの時のわっぱめしは「冬バ−ジョ-ン」で今回は「夏バ−ジョ−ン」である。確か最初の駅弁であったが美味しくなかった。そんなこともありあまり期待はしなかったのである。ところがこれがなかなか美味しかったのである。基本的には南蛮えびと金糸卵の酢飯のメインは変わらないが食材が夏模様?に変わっていた。 美味しい駅弁を食べお腹も満腹になりお次は綺麗なお花である。今朝の新聞にカ-ブドッチワイナリ−の薔薇が花盛りの記事が載っており帰り道なので寄ることにしていたところが空模様がだんだん怪しくなりとうとう雨が降ってきてしまった。傘を差してまでの撮影はしたくなく車の中から望遠で撮ってみるが思ったようには撮れずあきらめて自宅に戻る。今週の末にも今一度訪問してみるつもりである。 |
術後1563日 06年6月1日 クロネコメ−ル便 |
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仕事から帰ってくるとクロネコメ−ル便で雑誌が届いていた。この雑誌とは (株)ビジネス社から出版されているShakitt(しゃきっと)という健康雑誌である。実は4月下旬に俺が飲んでいる名水と霊水に関するメ-ルをもらった。その内容とは俺のサイトの写真の搭載依頼の件でありこんな写真でもよければと快く了解していた、。その雑誌の見本誌が届いたのであった。どこでどうなったのか解らないが自分の写真が紹介してもらえることはうれしいことでもあり今後のサイトつくりの励みになる。
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