術後5年10ヶ月
2007年12月
2006年は命でした。2007年も5年前に頂いた命に感謝して。 | ||
術後0000日 07年0月0日 今日は何の日 |
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今日は何の日。
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術後2189日 07年12月9日 術後浅い方の勉強会 |
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術後2155日 07年11月4日 恨めしや天気予報 |
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朝になるとまたしても予報が変わってしまい午前中は曇りで午後から晴れ間が広がるらしい。もうこの段階で万太郎山は断念することにした。展望のないガスと霧のなかの登山は危険であるし楽しくもない。。7時まで待ってみたが雨とガスで視界がほとんど利かない状態であった。それでも、もしかすると晴れ間が出るかと僅かな期待を持ちとりあえず一ノ倉岳まで登ることにして小屋を出た。 一ノ倉岳山頂の避難小屋で天候の回復を期待して休憩していると若い男性が顔をだした。聞けば朝の3時から石黒尾根を登って来たらしい。やはり天気予報を恨んでおりまったく視界のない灰色の世界のなか登ってきたらしい。これから茂倉岳から下山して土樽で電車に乗って土合に戻るらしい。ここから谷川岳まで1時間でいける。このままガスと霧の中、谷川岳まで行き避難小屋で天候の回復を待ち土合に下山を電車で土樽にも戻る方法。また茂倉岳避難小屋で天候の回復を待つ方法とがあったが後者を選択して茂倉岳避難小屋に戻った。 小屋には昨晩となりにいた若いカップルのみがおり昨日土樽から登っており谷川岳を登って帰るらしい。もうこちらは気楽なもので朝から朝酒など飲みなら天気の回復を待ったが10時になってもまったく状況は変化無く名残惜しいやらくやしいやら恨めしく下山することにした。矢場の頭の手前で二人の男性にあったが下界も雨が降っていたらしく桧の廊下を過ぎたあたりからすこし青空が見えてきたがもう遅い。少しの救いはぶな林での紅葉が散々だった今日の登山の気持ちを和らいでくれた。無事に駐車地点まで戻り温泉に漬かって帰った。またリベンジしなければならない万太郎さんである。 。
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術後2154日 07年11月3日 決行の日 |
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今年の春から何度と無くチャンスを狙っていたが天候が悪く断念していた茂倉岳-谷川岳-万太郎山の縦走登山のチャンスが来た。この3日は一年でも晴れる確立は高い日であり昨年は快晴の中、記念すべき谷川岳馬蹄形縦走をすることができた。今年も予報は晴マ−ク決行の日である。 夏に登った時は水不足と暑さでまいってしまったが晩秋の今なら体力的には少しは楽なはずである。電車を使いもっとらくちんな縦走も考えたが茂倉岳からの快晴の展望と夕焼けそして日の出をどうしても譲れなかったのであえて年甲斐も無くキツイコ−スを選択した。しかし少しでも天候が悪くなった時は変更が可能なのもこのコ−スの魅力でもある。 車を土樽パ−キングの近くに停め茂倉岳登山口まで20分の歩きである.。しょっぱなからの急登も過ぎ大好きなぶな林も紅葉は終わっておりもみじのみが葉を赤く紅葉させていた。登山道は登山道整備の為に草が刈られたばかりで草刈機が置いてありいまだ作業中らしいありがたいことである。途中3人の日帰り登山者に負い抜かれてしまったが矢場の頭までは予定通りのタイムで登ることができた。矢場の頭では360度の展望が開ける。体調も良く夏とは違い順調に高度を上げもう少しで避難小屋になるというのに、、にわかに雲が湧きガスで視界が利かなくなってしまった。またして憎っくき谷川岳だ。 またしても、ガスで視界の利かない避難小屋で昼食をとり終えるとガスがとれ青空が広がってきた。急いで山頂に向かい夕陽が落ちるまでの2時間程至福の一時を過ごすことが出来た。小屋に戻るとテントもたくさん張られており小屋も満員の状態になっていた。夕食後、明日の期待に胸を膨らませて暖かいシラフに包まって明日の行程を思い浮かべながら眠りについた。
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術後2148日 07年10月28日 偶然の再会 |
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紅葉もだんだん低山に向っており先週あたりが一番の見ごろだったが生憎の天気だった。昨日も雨、今日の予報は曇りから晴れマ−クというので我が家から毎日眺められる県央の名峰「守門岳」に登ってきた。下越のみなさんの名峰といえば「二王子岳」になるのだろうか。守門岳は何回も登っていつけれど秋の守門は今回が初めてだった標高的には先週当たりが一番のベストだったようだが守門の売りである」残雪」「花」そして「ぶな林」と「山スキ−」と春夏秋冬楽しませてくれる名峰である。 夕方5時から山の神と出かけなければならずいろんなコ−スがある守門岳だが今回は時間的に遅く出発したので一番らくちんな「保久礼登山口」から登った。登山口までは青空が広がっており期待していたが登るにつれ予報どおりには行かず大岳まではガスの中でまったく展望はなくがっかり。大岳を過ぎ下田からの吉ヶ平コースの分岐点である「網張」あたりで晴れ間が少し広がったりもしたがまた完全な晴れとはならず青雲岳も駄目で袴岳に向った。 袴岳山頂に到着し場所取りをしようと見渡すとなんとあの方がいた。あの方とは昨年のクリスマスイブの米山以来であるがこんな偶然もあるもんだ。早速記念写真をお願いしたがあの方は解からなかったようだ。。ビ−ルはすでに3本目だった。いつも綺麗どころと一緒なのだが今回は別なのかと思っていたがやはり後から3人の綺麗どころが到着した。山頂でお昼を食べもっとゆっくりしたかったが5時まで帰らなければならず、登って来たときにまだ紅葉が見れた「網張」で時間調整する為にあの方に挨拶をしてから袴岳を後にした。 天候はいまだ回復せず足取りも重く「網張」で晴れるのを待った。しばらくしてようやく晴れ間がひろがり撮影タイムである帰りの時間もあるので許す限り、下手な鉄砲を撃って下山したが登る時はガズで解からなかったがキビタキ小屋あたりからの紅葉も素晴らしく時間を食い、とうとうお風呂もなしで5時10分前に自宅に戻りシャワ−を浴びてさっぱりした秋の「守門岳」だった。 守門もいいで。
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術後2135日 07年10月14日 やっぱり飯豊はいいで |
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日の出を山頂で迎え御西岳まで歩いてみたが雲は取れず大日岳や北俣岳などの稜線は完全に姿はみせてくれなかった。その後本山小屋に戻り8時に下山を開始した。そのころには大日岳も姿をあらわして昨日は逆光で雄姿を眺められなかったが下山はその雄姿をながめならが歩くことができた。紅葉は昨日とは逆になるのでこれがまた素晴らしくついつい足を止めてしまう。切合小屋を過ぎいいいよ昨日のリベンジと相成った。それにしても綺麗である。青空のなかに日本庭園がみごとに浮かび上がっていた。これは期待した以上の紅葉であった。 ところが、少しのんびりしていたらにわかに雲が広がり始め御坪で一番の飯豊山の展望所に着くころには太陽は完全に雲の中に隠れてしまった。失敗だった。まあそう欲張っても思い直し御坪を後にした。その後は昨日ガスで見れなかった地蔵岳までの紅葉を楽しみながら下山し地蔵岳からはブナ林の景観を楽しみながら無事登山口に到着し白川荘の温泉で疲れをとり8時半に自宅に戻ってきた。大日杉コ−スはなかなかいいコ−スであるそして地元の方たちが御坪のみ目当て登ってくる訳がわかったような飯豊山展望コ−スだった。やっぱり飯豊はいいで。
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術後2134日 07年10月13日 出羽の人情に触れる |
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本来ならば先週の3連休の混雑を避け今週末に3連休を取り大日杉コ−スから飯豊山と大日岳とを登る予定にしていたが12日の天気が悪く出発を見送った。今年の夏の3連休も台風のお陰で台無しになっており今年は天候に見放されてしまったようだ。秋の飯豊山で一見の価値がある日本庭園を思わせる御坪をどうしても快晴時に登って鑑賞したいと思っており自宅を1時に出発し4時には大日杉の登山口に到着する。6時登山開始まで仮眠して時間調整するが予想していたよりも余りにも車の数が少なく驚いてしまった。 6時、小屋の前の橋を渡り小屋の所で本来は右に登山口があるのだが今回が初めてなのですこし真っ直ぐに歩きだすと小屋の2階から声がする「違うあっちだ〜〜よ」と言う声が聞こえて振り向くと青のストライプのラ−ガ−シャツを着た方がいた。その方にお礼を述べ登山開始である。ザンゲ坂、長之助清水、御田と順調に登っていく。しかし、だまし地蔵付近からはガスでまったく景観はなくがっかりしながら地蔵岳を目指すがもうこの頃から予定を変更したくなってきた。せっかく御坪の紅葉を楽しみに来たのにこの天候では切合小屋泊に変更しようかと思案しながらようやく地蔵岳に到着する。時間は2時間40分でガイドブックより1時間も早いがまあ人並みかそれにしてもガスガスで意気消沈してしまった。 地蔵岳からはUPダウンがあり時間も掛るらしいのでゆっくりしながら歩く。目洗い清水で大休憩しますます意欲がなくなってきた。そこに年配のご夫婦が登ってきて話すとやはり御坪の紅葉を撮影するために登ってきたらしいが生憎のこの天気でがっかりだと話していた。その後はこのご夫婦と御坪付近までガスのなか一緒だったがとうとうご夫婦は引き返していった。こちらもしかたなくガスの御坪の紅葉など撮りながら歩いているとなんと空が明るくなり始めてきたので粘ってみる。そうこうしていると登山者が次々と登ってきた。 そんななかにまたあの青いラガ−の方も登ってきた。その方はなぜか俺と前後しながら歩いている。そして御坪の綺麗どころになると足を止め晴れるとここがいい場所だとかいろいろ親切におしえていただく。その後は自分はゆっくり登るのでお礼をのべ先にいってもらう。しかし、またしても御沢別れの手前で休憩しておりあまりにも俺が遅いので心配になったらしくまっていてくれたらしい。その後は切合小屋まで一緒に歩いていただいた。青いラガ−の君は切合小屋泊とのこと丁重にお礼を陳べ俺は一人本山を目指して登っていくが天候も回復したのでゆっくり紅葉を楽しみながら本山をめざした。心配していた本山小屋の混雑はまったくなく調子向けしてしまった。しかし空いていることはいいことでありゆっくりと夜を過ごすことができた。
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術後2127日 07年10月6日 気になる山 |
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今年の紅葉前線は夏と9月の猛暑で遅れているらしい。久しぶりの連休と晴れマ−クが重なり本当は焼山を登りたいのだけれど一人では心細く定番の大好きな火打山に登ってきた。今回は早朝登山ではなく6時から登り火打山山頂や天狗の庭は行かず黒沢池をメインに出来れば妙高山も登ってみたいと思いでかけた。結論からすれば行きは黒沢池までは曇り空で期待はずれの天気であり、もしやと思い大倉乗越まで登ってみたが、妙高山も曇り空のうえに長助池分岐からの妙高山の苦しい急登までしても展望が得られないと思うと大倉乗越であっさりと妙高山はとりやめた。 これが失敗だった訳で休憩を終えたあたりから青空が広がってきた。また、黒沢ヒュッテ泊の人たちが早朝に空身同然の登山スタイルで妙高山に登り戻ってきた。しかし一度くじけてしまった気持ちは元には直らずそれならばと黒沢池をメインと決めて黒沢池まで下った。黒沢池はまた紅葉には少し早かったが昨年のガスの時とは違い少しはたのしめた。帰りに少し時間があったので火打山の展望岩までいき3時頃の火打山や気になる焼山をながめて帰ってきた。 焼山は今の段階では火打山経由が安全なようだが高谷池ヒュッテから片道5時間、往復10時間では一泊しなければならい。明日は用があり泊まる事はできなかったがなんとか今年中に登ってみたい山である。帰りに日帰りが可能な杉野沢橋からの登山口を偵察してみたが赤尾岳遊歩道登山口ははっきりと標柱があったが焼山の登山口らしきものは解からなかった。そしてもう一つ気になる山が飯豊連峰で登っていない大日岳と西大日岳である。
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術後2114日 07年9月23日 お団子よりスイ−ツ |
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この三連休(世間では)またまた天気予報がはずれっぱなしで今日もおかしな天気だった。午後、お墓参りを済ませてから新潟ふるさと村で開催されている「フルーツ&スイーツフェアin新潟ふるさと村」に山ノ神と出かけてきた。秋の彼岸といえばやはりおはぎが定番なのだろうが今年はスイ−ツである。胃の手術後大きく変わった事といえば体重の減少と食味の変化だった。好きでもなかった甘いものが大好きになってしまった。この食味の変化は胃を切除した人では多いらしく辛いものや刺激のある食べ物は体が寄せ付けなくなるので必然的に甘党になってしまうらしい。 そんな訳でもないが頻りに開催日以前からラジオで宣伝していたのでちょっと気にはなっていた。それと少しは山の神に胡麻を擂って置かないと・・・・・・・3時頃にふるさと村に到着すると駐車場は満車状態だったが会場は思った程混雑していなくすこし調子抜けしてしまう。「ら-めん祭り」や「冬の陣」などからするとあまり人気がないのかと思ってしまう。出店しているお店のケ−キを1通り眺めてから食べたいケ−キを夫々選んで食べた。 見学中はたくさん食べれるかと思っていたけれど2個でもう限界になってしまった。選んでしまったケ−キは思っていた以上に甘かったようだ。出店しているお店で一番人気があったのは妙高市から参加の「パティ−スリ−ドリアン田嶋屋」さんだった。新潟では食べれない地方のケ-キ屋さんのケ-キはこのようなイベント以外ではめったに食べれないので人気が集中したようだ。そういう俺もひとつお土産用に一個買った。後は家族の土産用を購入して会場を後にした。来年もまた来て食べたいイベントである。 |
術後2111日 07年9月20日 速達の意味は |
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今日は昨日速達で届いた9月5日の人間ドックの検査表のコピ−を持ってがんセンタ−に出かけてきた。何も知らない家人は検査結果表が速達で届いたので驚き、先月の救急車の件もありなにか悪い結果だったのではないかと心配していたらしく帰るなりその件を尋ねてきた。実は検査日に20日にがんセンタ−外来があるのでなんとか19日までに配達してもらえないかとお願いをしておいたのである。そんなことなど知らない家人は速達で驚いたらしい。 開封してみると何も代わりはなく経過観察のみだと思っていたがなんと心電図に異常があり再検査の封筒が同封されていた。症状名は「洞徐脈」様は脈泊数が基準より少ないらしい。まあこのような検査ではたとえ一回でも少なければレッドカ-ドになってしまい訳で言い換えれば疑わしきは罰するが基本である。早速ネットで検索すると別に心配するようなことではなくスポ-ツ選手などはよくあることらしい。まあ山登りには好都合なのかもしれないし、先月の救急車の車内でもあの苦しい時でさえ心電図は異常がなかったこともありとりあえず先生に見てもらうと検査慣れの為ではないかとあっさりとした返答が返ってきた。 それにしても秋の彼岸というのにこのクソ暑さはどうなっているのだろかこのような天候では今年の紅葉は遅れるようで10月の連休は少し早いのかもしれない感じである。数少ない休日は必ず晴れるように今から祈っているがはたして天は味方するのかしないのか当てにならない神様にお願いしなければなどと思いながら外来を終えシサ−ドラインから帰ってきたが海もまた暑っちぇかった今日の外来日だった。 |
術後2167日 07年9月16日 秋といえば・・・・・ |
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術後2100日 07年9月9日 がっくりしたがもぉ〜 |
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日本各地に被害を与えた台風9号も北海道沖に去り台風一過の青空が望まれる天気予報で期待してでかけた。夜空には三日月と満天の星が輝いており期待しながら登山口にて小1時間程仮眠後ヘッドランプを点けて5時に登りだした。しかしこれから向う東の稜線には朝日がでるころには雲が湧き出し日の出は見られなかったが西側には青空が広がっており期待できそうな様子だった。ところが稜線に近づくにつれ東からの厚い雲が押し寄せ最後は雲の中を歩くようになった。 稜線に出ても一向に晴れる気配は無く気温も低く雨具をきて30分程風と霧を避けコ-ヒ-を飲みながら体を冷やさないようにして雲の流れをみていたがいっこうに晴れる気配はなく山頂は断念して引き返すことにした。雲海を下ると思っていたどおりで晴れており標高1000m位が境界なのかがっくりする。下山途中に観光ツア−の団体さんが登ってきた。やはりこの時期の谷川連峰の天気は難しい。帰る道中他の山を眺めると巻機山と八海山は晴れ守門岳も粟ヶ岳も雲に覆われていた。また行かなくては谷川連峰へ。
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術後2096日 07年9月5日 舞っちゃうがもぉ〜 |
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稀にみる今年の夏の猛暑で酷使した身体がとうとう悲鳴をあげてしまい最後には「軽い腸閉塞」まで体験してしまった今年の熱い夏の総決算日が来た。今日は年に一度の人間ドックの日なのだがタイミングがいいのか悪いのかまあどんな結果が出てくるのか楽しみでもあり不安でもあった。結果的には検査が終わっていない項目もあるけれど想定どおりの結果がでて少し安堵した。お友達はみな元気に俺の体内にて静かに遊んでおり新たなるお友達もできないようで静かにしながらでいいからながい〜〜〜〜お付き合いにをお願いしたいものだ。今年からあたらしくドックメニュ-に「メタボリックシンドロ−ム」検査なるものが追加されたけれど俺にはまったく無縁なるシンドロ−ムでありいささか疑問なり。しかしこの立川総合検診センタ−の人間ドックは毎年気分よく検診できて気持ちがいい。 無事結果説明も終え気分がいいので久し振りに長岡駅で駅弁を購入してきた。そのなかに「舞っちゃうがもぉ〜」なるネ−ミングの駅弁があり購入する。夕食時に食べると内容は何の変哲も無い牛肉とまいたけの入った牛丼なのだが量的には丁度いい量であり味はと思い食べるとちょっとしょっぱい感じがして「もうまっちゃうがもぉ〜〜」には少し疑問であったがいい一日だった。 |
術後2093日 07年9月2日 困った病気 |
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猛暑だった今年の夏も自分では大丈夫だと思っていたがやはり体は正直だった。例年通り今年もお盆に中間棚卸しがあり世間様のお盆休みなど無関係な日々が続いた。特に13日から18日までが一番忙しく、お墓参りも12日に済ませなければならなかった。そんな忙しい日々の疲れがその後の週に表れて、あれほど注意していた胃切除者の一番やってはいけない「腸閉塞」を体験してしまった。この病気の問題点は薬や手術で治るものではなく一番の原因は自分の心がけと強い意志が必要ということでこれが一番の問題である。だから一回やってしまうと癖になるらしく、ようするに「意志」の病気なのであり簡単に言えば不摂生がほとんどの原因である。 そして、もう一つ困った病気がある。潜伏期間は2週間程で症状は精神が不安定になりイライラ、喉の渇き、空や遠くの景色など見上げ瞑想などしたりする。この病気の問題もやはり心の病気である。この病気とのお付き合いはほぼ10年位になるが年々重くなるばかりでいっこうに良くならない。「心」の病気なので薬では治せずもしこの病気を治せる薬を発明したらノ-ベル賞ほどの大発明間違いなしだ。前回の発病はたしか19日であった。これもその後の腸閉塞の序曲だったのかもしれない。 そんな困った病気の症状が9月になり朝晩涼しくなり始めてまたしても現れてきた。この病気の解決策はいたって簡単なのだがこれがなかなか問題で自分一人の問題ではないことである。あの苦しい「腸閉塞」を体験したばかりで今回も家人や山ノ神などからかんかんがくがくと言われてしまった。これも解かっているけど止められない困った病気だ。家人や山ノ神などに言わせるとこの病気が一番困った病気らしい。 そんな病気を回復すべく静かにそっと深夜に出かけた。行き先は病院ではなく一路谷川連峰の平標山と仙ノ倉山である。もしかすると予報と違い晴れ間があるかもしれないと得意な早朝登山である。登りは楽ちんな林道歩きのある平元新道から登った。元橋の駐車場は花の季節も終り数台しかおらず静まり返っていた。4時30分にランプを点けて林道を歩いて2時間で山の家に到着、その後50分かけて平標山山頂に向う途中に青空が顔を見せ初めたがまた直に顔を隠す困った天気になってきた。しかしときどき晴れ間がでるので仙ノ倉山まで歩くことにした。 今回の登山は仙ノ倉山からの大展望を期待して登ったが厚い雲に覆われてはっきりとした大展望は得られなかったが収穫もあった。これでこの秋の谷川連峰の縦走するコ-スを確信した。下山後自宅に向う高速からの大源太山や越後三山のきかん坊の八海山などにかかる雲を撮りながら帰宅した。今回の病は完治とまではいかなかったがまあよしとしよう。 |