術後66ヶ月

2007年8月

2006年はでした。2007年も5年前に頂いたに感謝して。

術後2087日 07年8月27日 初体験/救急車/腸閉塞
 8月23日の胃カメラ検査の結果は残胃や腸には異常はなく安心したけれど食道に炎症が見られ薬をだしてもらった。この炎症が原因で残胃がご機嫌斜めだったのか解らないがその後はご機嫌だった。ところが、今日の朝出勤して仕事を始めて1時間程してからまたしても暴れん坊に変身してしまった。今朝は先週までの残暑はなく涼しい朝だがその分湿度が高く肌がべとべとするような梅雨に逆戻りしたような天気で予報では低気圧ガ-ル近づいている。こんな天候にはなぜかご機嫌斜めになるわが残胃と小腸君、今日は大丈夫かなと少し気にしながらの週初めの出勤だった。
  
 そんな不安が見事に的中してしまい低気圧ガ−ルにノックダウンされてしまった??。あまりの強烈なパンチであえなくダウンして自宅にて休憩するがパンチの威力は収まらずとうとう意気地が無い俺はまず、がんセンタ−に自分で受けたパンチの威力を説明して診察の了解を得てから消防署に救急車の手配をお願いした。自宅に救急車来ると近所の人たちが何事かと思い集まってきたがもう恥じも外聞もなく救急車にに乗りこんだ。まあ直には走り出さない事は聞いていたがまず体温、血圧、症状の問診などし最後にがんセンタ--と連絡を取りようやく一路がんセンタ−へ向う。

 初めて乗る救急車ではあまりの激痛で脂汗が吹き出す。そのうち激痛で呼吸さえ困難な状態になり酸素マスクをお願いした。しかし、そんな悲惨な俺を見ていても隊員はいたって冷静沈着であった。やさしい言葉の一つもない。まあ、毎日俺よりも重症な患者などを救急しているわけで彼らにすれば可愛い患者なのかもしれない。道中に吐き気はないかと聞いてきたそのタイミングがすばらしかった。悪いとおもったが思いっきり嘔吐してしまった。嘔吐してからあの激痛が少し和らいできた。隊長さんに腸閉塞の患者さんを乗せたことがあるかと聞けばやはり何人かいたらしい。しかし、人それぞれ症状が違い一概ではないらしい。そして何時1時間かかるところを30分でがんセンタ-到着したが何と長く感じた30分だったか、こんなに時間が進むのが遅く感じたのははじめてだった。直に2階の外科外来の処置室に運ばれる。

 またここでも今日の担当医の女医さんの問診後検温と血圧を測り腹部のレントゲンを撮ることになるがこの頃はあの激痛は影を潜めていたので自分で受付を済ませレントゲンが終了後は処置室のベットで血液検査をした。レントゲンと血液検査結果が出るまでの間に点滴をしてもらったが少しして寝入ったらしい。目覚めると2時間ほど眠ったらしいく時計が14時30分を差していた。いま少し点滴が残っておりまた眠ったらしくその後、点滴の終わる目覚まし時計の音で目覚めた。

 そして、先生よりレントゲンと血液検査では問題はなく軽い腸閉塞との診断で入院することも無いらしく痛み止めを出しておくとの事・・・・・・・・・・・・。がんセンタ−に入院中に何人か腸閉塞で運ばれてきた患者さんも見ておりその患者さんから比べれば俺など軽いのかもしれないがあの激痛には参ったのだが。会計も自分で済ませ院外薬局で痛み止めをもらう経過を話すとなにか悪いものや消化の良くないものなど食べなかったかとかビ-ルの飲みすぎてお腹を冷やし腸閉塞になった人などの話しが聞けた。
 そういえば25日に悪友8人での夫婦ずれで「だいろの湯」で夕方から暑気払いをやりしこたま飲んで食べてきたばかりだったがまあそれが原因かどうかは不明だがやはり暴飲暴食は避けなければならないのは解かっているが多くのみなさんと同様に懲りない自分である。今回の件で会社や家族などにまた迷惑を掛けてしまい申し分けない気持ちである。それにしてもまたしても余計な体験をしてしまった自分に反省させられる一日になってしまった。

術後2065日 07年8月5日うさぎさんの粋な計らい
 朝4時に起床すると外はガスで何も見えない。もし昨日の朝のように晴れていれば万太郎と考えていたがガスではどうにもならずラジオの予報もよくないこともあり栃木の青年以外は蓬峠経由の下山ということに決める。5時半に前橋組が出発する。6時に俺が出発するが外は依然ガスでまったくだめである。茂倉岳山頂から武能岳まで、もくもくと笹平まで下って武能岳までの登り返す。武能岳山頂で前橋組が休憩をしていた。もうここまでくれば下るばかりなのでゆっくり休憩していると長岡組が到着する。長岡組はここでビ-ル(500ml)を飲み俺は燗娘などで大休止する。休憩中に空が明るくなったっりするので俺はいましばらく様子を見ることにし長岡組は下山していった。

 この時期特有の夕立の可能性もあるので武能岳を引き上げ蓬峠に向うと青空が広がってきた。これをまっていたのだ。天気もいいので蓬ヒュッテにリックをデポして「謙信ゆかりの道」分岐点(標高1544m)まで足を伸ばしてみた。ここからはあの大源太山と七つ小屋山までははっきりと見えた。しかし気になる朝日岳方面は逆光と雲でよくないヒュッテに戻り土樽に下山である。ここからはまったく水の心配はしなくていいコ-スである。熱い日差しのなか登山口にむかう。登山口から林道を歩き30分で茂倉岳駐車場に到着した。そして温泉は長岡のご夫婦から聞いた「湯沢パ-クホテル」がいいということで向うと黒い空から大粒の雨が勢いよく落ちてきた。温泉は600円で設備もよく今度からはここに決めよう。今回の山行は天候には恵まれなかったがとても楽しく有意義な夜を過ごした避難小屋泊となった。またどこかでみなさんとお会いしたな。



術後2064日 07年8月4日 怨めしやうさぎさん!
 この台風5号のアジア名は「うさぎ」というらしい。名前のようにかわいく去っていってくれればいいものを。そのかわいいうさぎさんの動向をみて一番晴れる確立の高い山魂を調べると谷川連峰になった。それならば前から気になっている土樽〜茂倉岳〜谷川岳〜万太郎山〜土樽の周回登山に決定。宿泊は茂倉岳避難小屋まもしくは肩の小屋と決めてでかける。茂倉岳登山口を朝の7時に登りだして矢場の頭でこんな日に登っているのは俺だけかと思っていたらなんと60歳台の男性二人と一緒になった。聞けば、前橋市からで6時から登りだしたらしい。俺と同じく茂倉避難小屋泊らしい。


 矢場の頭を過ぎてからはガスが湧きだしほとんど視界が利かないままの状態での登山になる。まあ、今日は天候は期待はしておらずかえってきつい登りでの熱さから逃れるのには好都合だったが、自分が思っていた以上に苦しい登りになった。少しでも軽量化と思い水を節約したのが響いたようだ。これがもし炎天下だったらと思うとぞっとして後悔しても始まるは訳はなく。ゆっくりゆっくりと騙しだ騙し避難小屋を目指した。が途中からは足も上がらなくなり、少し登っては休み、また登りまた休むという状態になり前橋の二人との間隔は広がるいっぽうだった。そんな苦しい登りもようやく終り非難小屋に到着した。小屋には先程の前橋の二人のみでもう宴会モ−ドになっており挨拶もそこそこにまずは水場に駆け下り駆けつけ三杯で一気飲みした。山で飲んだ水ではありがたく久し振りの美味しいと思った水だった。いままで、山で飲んだ水でいちばん美味しいと思った水は10年前に飯豊連峰の湯ノ平温泉から登るおういんの尾根にある中峰の水場の水がいいちばん美味しかった。その味はいまでも忘れない。冷たさのなかに鋭さがありながらもまろやかな舌触りであった。

 小屋に戻り昼食を取り終えても外は一面ガスに覆われ何も見えない状態なので山頂の展望は諦めてお昼寝タイムで少し眠ったようだ。しばらくして小屋に若者が入ってきた。聞けば青春きっぷを使い栃木からで土合から6時間かけて一ノ倉岳に上がる危険な「中芝新道」を登ってきたが2回ほど道に迷ったらしい。夕方になり中年のご夫婦がひょっこりと入ってきた。長岡市からでロ−プ−ウェ-で谷川岳経由との事。結局今日の小屋泊は前橋市からの60歳代の男性2名(山のベテラン)と栃木からの納豆青年(山にまで納豆持参そして3食とも納豆を食べていた)俺と長岡市からの50歳代の夫婦とで計6名だけだった。

 改めてお互いに自己紹介するとそんなに気兼ねするような人たちではなく、夕食をたべながら山の話から政治から人生とはまで幅白く参考になる話しをたくさん聞けた夜だった。そのなかで山での携帯食の話になり前橋の一人は「東鳩レ−ズンサンド」が一番いいと言っていた。そしたら長岡の奥さんが私も買ってきましたと同じものを出してきた。そして長岡の旦那さんはかりんとうが一番と言う。また前橋の男性も長岡の奥さんも山でお米がたける鍋を持参しておりこの件でもおおいに盛り上がる。混雑した山小屋ではこんな会話を長くはできないが今日は6名の貸切であり山小屋のたのしい夜はふけていった。みなさんの願いは明日の晴天のみであった。



術後2063日 07年8月3日 気になる種その壱
 今年の梅雨明けは入梅が10日ほどが遅かった分10日ほど遅くなり昨日開けらしい。それも台風5号という御中元付きである。本来ならば今日から蓮華温泉〜白馬岳〜朝日岳〜蓮華温泉の優雅なさくらさん追っかけ山行のはずだった。ところがとてもありがたくない御中元の台風5号のお陰で両親や山ノ神から猛反対にあってしまい誠に残念ならがキャンセルしなければならなくなった。さてそうなるとせっかくの貴重な夏休み兼お盆休みなので有意義に過ごさなければとおもい山ノ神と長岡花火を観に出かけてきた。中越地震後から始まった「フェニックス」を直に観てみたかった。

 長岡花火はいままで何度となく観てきていたが今年、初めて信濃川のの右岸から観てきた。小学校の校庭に停めさせられ堤防を10分程歩いてのから観覧であった。やはり長岡花火はすばらしい。まあ、新潟県の有名な花火といえば柏崎の水中花火、片貝の花火、そして長岡花火らしいが。やっぱり長岡花火が一番すばらしいと思う。
観覧場所は少し遠くで失敗だったが「フェニックス」をみるにはいい場所だった。その前に3尺玉が何時ものように2発上がったがあまりすばらしいとは思わなかった分「フェニックス」を直に観て感激してしまった。昨年の初めて観た片貝花火など比ではない。山ノ神も初めて観る「フェニックス」に感激していた。来年は是非、指定席を購入しゆっくりとより近くで観覧するぞ。それにしても花火を撮影するのは難しい一様「花火モ-ド」で撮ってみたが上手くいかないな。



術後65ヶ月

2007年7月

術後2055日 07年7月26日 気になる種???
 今年の新潟県の梅雨入りは例年より10日程遅く6月21日だったと日記に書いてある。梅雨入りが遅かった分、空けるのも遅いのかもしれない今週の空模様だ。例年ならば21日頃から夏本番になるはずなのだが今週末も雨マ-ク。早く明けてもらわないとせっかくの貴重な夏休み(8月3日〜5日)が雨になってしまうのではないか心配なのだか。

 心配というともう一つ心配の種がある。その心配とは梅雨に入ったからなのかどうかは解らないけれど、残胃がご機嫌斜めである。食後やおやつを与えた時に時々激しくもがきだす。1時間ほどして静かになるのだが余りのもがき方が激しくて・・・・・・。もしや癌!という背後霊が夏に向ってちらちらと騒ぎ出している。また、ご機嫌斜めのその時は必ず天候が悪くなる前にご機嫌斜めになるのだけれど。

 よく病気や怪我をした人達で昔の傷がうずくことはよく聞くけれど、おれの残胃もついに超能力が授かったのであろうか。5年が経過しなんら問題なく過ごし食欲があり過ぎて困るほどの現状なのに。これは残胃が俺に警告をしているのかもしれない。そんな訳で急遽胃カメラ検査を入れてもらうためにがんセンタ−向う。
 
 外来予約ができなかったので待つのは覚悟して売店によりなにかないかと探すと「間違いだらけの抗がん剤治療」という単行本があったので購入した。待ち時間に読もうと思い買ったのだがいくらも読み進まないうちに眠くなってしまった。ようやく名前が呼ばれた。先生にいままでの経過を説明し9日に胃カメラ検査の予約を入れてもらい(無理やり)薬を処方してもらった。はたしてどうなることやらこの二つの心配の種は神のみぞ知るである。

 ところで、あるコメンテ-タ−が神ほど冷酷なものは無いと話していた事を思い出した。


術後2045日 07年7月16日 災いは忘れた頃ではなかった。
 午前10時13分頃、またしても大地がうなった。今回は仕事で会社にて地震を体験する。前回の地震での体験が生かされて?全員すみやかに駐車場に退避した。会社付近は「震度5」だった。自宅は震源地に近く「震度5強」との報道を聞き心配になり連絡をとりたくても携帯電話はつながらない一番大事な時に用をなさない。1時間程様子を見てから再び仕事にも戻りようやく連絡が取れる。築40年から30年の我が家だが今回の地震でもたいした被害も無く家族も全員無事とのことでとりあえず一安心。しかし柏崎市では大きな被害が発生しているらしいと報道していた。前日までは台風が心配だったがその台風も進路が反れ安堵していた海の日だったのに。

 ところで前日は親戚の結婚式に出席してきた。結婚式での花嫁の父親を拝見するにつけ自分も娘が生まれてから願っているのだがはたして我が家の娘はどうなんだろうか。また披露宴も年々様変わりしてきており関心するやらがっかりするやらであった。自宅に戻り夕方、久しぶりに台風が過ぎ去ったので夕陽でも撮りたくてシ−サイドライン向ったが思っていた夕陽は拝めずがっかりして帰ってきた。

 もしかすると地震雲などが映ってないかなどと確認したがそれらしき雲はなかったようだ。どうも新潟県は災害県になっってしまったらしい。地震に水害、共に車で走れば近くでの度重なる災難。明日はわが身か。


佐渡がくっきりと見えるが天気はよくない。
不気味な夕陽-1
その2
その3

術後64ヶ月

2007年6月

術後2001日 07年6月2日 ワインと薔薇
 今日は午前中と夕方から予定が入っており午後の3時間だけが自由な時間が得られる。6月と言えばカ−ブドッチワイナ-の薔薇が気になっていたところ新聞で見頃という記事が載った。本当はゆっくりとおいしいパンやソ−セ−ジなど食べながら薔薇の鑑賞と撮影など楽しみたいけれど今日はとりあえず様子見に山の神とでかけて来た。

 ワイナリ−に着くと車のとめばがないほどのおおぜいの人たちが鑑賞に訪れていた。ここの一番好きな所は小さな子供は入園禁止のところである。おいしいご馳走と薔薇などの鑑賞を静かに楽しめるところがいい。まずは元気にしているか我がぶどうの木にご挨拶をしその後ワインの試飲し山ノ神はショッピング俺は薔薇鑑賞と別行動になる。


最後は例年通りワインを一本いただけるので一番右の一番右のワインを貰ってきた。薔薇はまだ咲き始めで今月のなかば頃が見ごろになるだろう。尚薔薇の写真は後日UPします??。

術後63ヶ月

2007年5月

術後1999日 07年5月31日 5月も今日で終り
 今日で5月も終り明日からは春から夏になる。最近どうも日記の更新がままならない日々が続いていおり不味いと思うがなかなかキ−ボ−ドに指が進まない。山行記録もままならい感じである。まさかこの年で5月病はないと思うが気力が継続しない今日この頃だ。本性のずぼらな性分がでてきたようである。公私とも別段刺激もなく日々過ごしている事に本来ならば感謝しなければならないが。「ザ−ド」のボ-カルのおね-さんが乳がんで入院中に誤って転落死の記事にはすこしうるうるしてしまった。前後した政治家の自殺はいつもの死人にくちなしで世間では興味などまったく無いと思うがのマスコミはそればかり報道していた。

 ところで、最近ラジオのFM放送を聴いていたら夜の10時から昭和のベストポップゴ−ルデンアワ−なる番組をやっている。まあ今の若者からすればナツメロになるのだろうが耳に心地よい音楽が流れてくる。さてと来月はどんな月になるのか猛暑になるのだろうなそれとも梅雨の長雨になるのか。6月の休日のお天気が気がかりな5月末日である。




術後1995日 07年5月27日 胃・友の会総会
 例年通りに5月の最後の日曜日の今日、NEXT21で「胃・友の会」平成19年度総会が開催される。例年ならば、俺は総会、山ノ神はシッピングなのだが今年の山の神は娘が東京から昨日戻ってきて昨日新潟市で二人してショッピングなど楽しんできたので今年は一緒に出かけないことになった。3月の成人式に帰省したばかりなのに高い新幹線を使って度々戻らなくてもと思うがまあ元気な顔が見れるのはやはりうれしい。帰り際に「それじゃ行ってくるわ」と言って今朝、東京に帰っていった。「帰るとは言わずに行ってくるわ」とはもしかすると新潟に戻ってくる気があるのかないのか解らないがやはりうれしい親ばかである。

 そんな親ばか親父は一人で会場に向う。昼食は駅弁だ。2〜3日前の新潟日報に新潟県の駅弁の特集の小冊子が新聞と一緒に配達されてきており美味しそうな駅弁が多く載っていた。そんななかに前回食べた「しあわせの絵手紙弁当」の記事もあった。それよりも興味を引いたのは直江津の駅弁の数々である。機会があったら是非食べてみたいえ駅弁ばかりだった。新潟駅のお店ではさすが日曜日ということで大勢の人たちが駅弁を購入して大賑わいである。人並みが一段落してから覗いてみたらショ-ケ−スのなかの駅弁は残り少なくがっかりしてしまう。いつもの駅弁おねいさん?と挨拶を交わし他に無いのか尋ねると、忙しくてまだ先程入荷したばかり駅弁を並べられなかったらしい。新作の「花や弁当」1050円を購入する。他に2品ばかり新作があったがどれも製造元が東京だったので今回はパスすることにした。

 駅弁を購入後いつものお気に入りの「朱鷺メッセ」の川岸で駅弁を食べる。こちらもおいしく彩りもよく量も俺にはちょうどよかった。特に桜ご飯は桜の花の押し花が入っており桜の香りがしてとても新鮮でおいしく食べることができた。

 その後、午後1時からの総会に出席する。総会も5年目になり講演内容もこれといった新鮮味が薄れてしまっている。術後2〜3年までは真剣に講演内容を記録していたがどうもそれすら億劫になってきてしまった。その分健康体になったことを喜ぶべきなのだがどうも「喉元すぎれば熱さ忘れる」である。今回の講演内容は胃がん患者の2大合併症である「腸閉塞」と「逆流性食道炎」なので興味があったがこれといった新しい事もなかった。。幹事のみなさんや講演の先生方に本来ならば感謝しなければならないことなのだが

 講演が終り質疑応答の時間になり、糸魚川市のあるご婦人の話がとても印象に残った。その内容とはご主人が昨年の8月に胃がんがみつかり「ステ−ジ4」と診断された。俗に言うあなたの余命は・・・・・・のレベルである。しかし、セカンドオピニオンを選択してがんンセンタ−で手術を受け現在も病魔と闘っている。インタ−ネットや雑誌などでの情報はいくらでも入ってくるがこのような総会並び講演会に参加し同じお仲間や先生方に会えて糸魚川から2時間かけて来た甲斐がありましたとはなされた。ご主人と比べれば俺などは喜ばなければならない事であり初心に戻らなければと思った話である。最後の閉会の挨拶は今年もお元気なお姿を拝見できた副会長さんの民謡で閉会になった。気分よく会場から出ると青空が広がっており海岸道路経由で自宅に戻った。





術後62ヶ月

2007年4月

術後1888日 07年4月22日 しあわせの絵手紙
 19日に食べた駅弁に入っていた絵手紙である。1050円のお弁当で採算が合うのかなどと考えるのは下種の考えなのか。余りに綺麗でもったいなく取っておきたくなってしまった。





術後1885日 07年4月19日 春爛漫
 酒の陣から一ヶ月以上日記の更新をしなかったわけだ。仕事の方は春の繁忙期に入り忙しくなったり異常気象なのか休日はパッとせず晴れた日には用事があったりで山行も早すぎた春でモチベ−ションがあがらない日々が続いていた。しかし先週の権ノ神岳に立てた事で少し意欲が湧いてきた。今日は2ヶ月ぶりのがんセンタ−外来である。天気は快晴何故か木曜日は晴れる確立が高いような気がするような事を考えながら病院に着く。外科は直に順番がきて先生にアルファクラブの原稿依頼の件と近況報告などして直に終わる。今回の外来は耳鼻科がメインでいままでお世話になった先生が3月で他の病院に移ったので新しい先生の受診になり、担当の看護師が始めての先生なのです少し時間がかかることを詫びており1時間ほど待たされた外来は5分で無事終了。

 さて外来を終え、清々しい青空がひろがっているこんな日はやはりお弁当など食べながらのお花見と洒落込む事にしようと思い久しぶりに駅弁を買いに新潟駅に向う。なにか新作はないかと見ると有りました。新潟市はこの4月から政令指定都市になりその記念として新作弁当が2種類発売されていた。どちら今までの駅弁と違っておしゃれに出来ており迷ったが「しあわせの絵手紙弁当」を購入し鳥屋野潟公園でお花見をしながら美味しくいただいた、名前のように素敵な絵手紙が15枚も入っておりうれしくなる。お弁当を食べ終え帰りに分水の桜を見学そして定番の夕陽などを楽しみ有意義な外来日を過ごすことができた。

尚、絵手紙の15枚は後日UPしますお楽しみに。


これよりくりっきするとUPの画像になります。