ミニ法話

スタートした時がゴールの時

東龍寺住職 渡辺宣昭

トンネルのむこうにみえる僕の春 かすかなれども いつか我が手に

高校一年 中迫克公(かつまさ)

この歌には、希望にもえてスタートし、困難を乗り越えていこうという若人の気持ちが歌われています。私自身、本山から帰り、坐禅堂建立の誓願をもった住職としてのスタートの時を思い起こします。

早いもので、照光殿(二階坐禅堂)が完成して四年目を迎えます。昨年は、第一回の眼蔵会(げんぞうえ)を勤めさせていただきました。僧侶と在家の皆さんが一体となって道元禅師のみ教えを聞き、坐禅・読経・作務・坐禅堂での飯台と、僧俗一如の仏道修行を行じることができました。本年も五月末に第二回目の眼蔵会を計画しております。

また、縁あって、在家の青年が東龍寺で出家得度し、修行に励み、今春、永平寺に雲水として上山いたします。さらに月例坐禅会の前後、私とその青年僧とともに坐禅堂に泊まり、参禅に励む方も現れました。彼らは、道を求める日々は浅くとも、その真剣な姿勢には、私自身、日々の行持の大切さを改めて教えられます。

道元禅師は、『仏道は、初発心のときも仏道なり、成正覚(さとりの完成)のときも仏道なり、初中後ともに仏道なり。たとへば、万里をゆくものの、一歩も千里のうちなり、千歩も千里のうちなり。初一歩と千歩とことなれども、千里のおなじきがごとし。』とお示しです。

本年は道元禅師の七百五十回大遠忌です。いつもスタートの希望にもえた純粋な気持ちを持ち続け、日々仏道を行じてまいりたいものです。

合掌

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