一、 |
護摩堂山は昔、三井山と呼ばれていた。護摩を焚くお堂ができて、現在の呼び名に。東龍寺は、弘仁五年(814年)あるいは、天長五年(828年)真言宗として、開創された。
言い伝えとして、弘法大師空海あるいは、弟子の空法上人によって開かれた。
「東龍寺田上村に在りて護摩堂の山足也(さんそくなり)。昔年真言宗にて空海師の弟子空法上人開基、三十八院の一寺也。寺中に石仏・梵文碑・断碑等数十有り」
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二、 |
正慶元年(1332年)護摩堂城主平賀宝山の外護を受け、無障全用国師によって、臨済宗の寺院として再興された。
無障全用国師が、参道の入り口二本の大杉をお手植えされたと伝えられている。
平賀宝山の墓 |
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大杉 |
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三、 |
文安五年(1448年)、曹洞宗に改宗したと伝えられる。(当山六世随圓記) |
四、 |
その後、哀頽した寺を興し開山となったのが、五泉市橋田・吉祥寺四世般山祖吉大和尚で、永禄元年(1558年)といわれる。
開山般山祖吉大和尚の遷化されたのが、永禄七年(1564年)5月17日。 |
五、 |
現在の本堂は、昭和年間〜安永年間(1760年代〜80年頃)に、十一世再中興悦堂禅梁大和尚によって建てられた。 |
六、 |
その後、越後の千町歩地主田巻七郎兵衛家の絶大なる外護を受け、江戸末期から昭和初期にかけて、寺門興隆してきた。特に、十八世來天快應大和尚の時代には、当山を常恒曾(じょうごえ)地に、昇格された。 |
七、 |
現在の住職は 廿三世 となり、昭和59年より勤めさせていただいている。先住が現本堂の屋根替えと、土台上げ工事並びに位牌堂の新築を発願し、志半ばで遷化したため、受け継ぎ無事完了。
また、先代とともに夢に描いた坐禅堂の建立が、平成11年になされた。
そして、平成12年4月、大本山永平寺七十八世宮崎奕保大禅師猊下をお招きして、照光殿(1階大広間、2階本堂)の落慶開単法要が営まれた。 |
八、 |
道元禅師が、足かけ5年間の中国での御修行を終えられて、正伝の仏法を日本に伝えられた。そして、永平寺より先に開かれた禪の道場・京都府宇治市の興聖寺(こうしょうじ)、堂頭の植本摂道老師が
「歴住の思いを相続する。それが、法を相続することになる。」 と言われた。
私自身、肝に銘じ魂に銘じていきたい。 |