ミニ法話


尊きご縁をいただいて

東龍寺住職 渡辺宣昭

 平成十二年四月二日・三日、東龍寺では、照光殿落慶並びに先住忌法要をお勤めして、早いもので、一年が経とうとしております。法縁のお寺様、檀家の皆さんはじめ、多くの方々のお力添えをいただき、厳粛かつ盛大な法要を営むことが出来ました。殊にこの度の法要には、大本山永平寺七十八世宮崎奕保(えきほ)大禅師猊下をお招きして、お勤めすることができましたことが、無上の慶びでした。

 禅師様は、明治三十四年生まれの数え年百歳のご高齢でいらっしゃいましたから、少しでも体調を崩されればお越しいただけないかもと、心配しましたが、お元気でおいで下さり二泊三日をお過ごしいただきました。お帰りの四月四日、東三条駅まで見送る車中で同乗させていただいた母に『お互いが良きご縁に恵まれるように願うことが大切じゃよ。』とお諭しになりました。私は、この度程、ご縁の有り難さを感じたことは、ありません。

 禅師様は、昭和五十六年秋、監院(かんにん・・・本山で禅師様の留守を預かる最高責任者)という役で本山に来られました。その翌年春、本山での修行二年目をむかえた私は監院寮へ配役をいただき宮崎監院老師(しばらく老師とお呼びします)のお側にお仕えすることができました。

 宮崎老師には、三年間の修行の中で、併せて、一年近くお仕えし、数々の教えをいただきました。そして、昭和五十九年二月、私が本山から帰るとき、不器用ながら何とか初めて縫い上げた絡子(らくす・・・僧侶が普段首にかけている御袈裟を小さくしたもの)を持って老師に、裏書をお願いいたしました。「よく、縫ったのう。しっかりやりなさい」と、激励してくださり、「道の芽(めばえ)の増長することは春の苗の如し」(早苗が、徐々に育って実を結ぶが如く、仏の道に精進して行きなさい)と道元禅師様のお言葉を御染筆くださいました。四月から高校へ勤めることになっておりましたので、もうこのように親しく拝眉することはないだろうとお別れを申し上げてまいりました。

 ところが、私が帰るとすぐに師匠(昨年十七回忌)が急逝したため勤めを半年で辞めて東龍寺の住職となりました。翌六十年早々に、それまでの秦禅師様(永平寺七十六世)が、お亡くなり、宮崎老師は、次期禅師が約束された副貫首に推挙されました。そして、その春、横越村(当時)大栄寺様の御本葬が本山葬となり、永平寺役寮の諸老師が、十名以上門前のわか竹にお泊りになりました。丹波廉芳禅師様(永平寺七十七世)とともに、宮崎副貫首老師もいらっしゃったのです。その際に庭づたいに東龍寺へ来られ、山門脇の池で生れたばかりのオタマジャクシをご覧になっていると、竹の子堀りのクワを担いだ母と対面し、母はクワを投げ出すほどびっくりして、すぐさま、わか竹に接待役を仰せ付かっていた私に「宮崎老師が来られたよ。」連絡、私は跳んで帰り、思いもかけない再開を果たす事が出来ました。「ここが、弘学和尚(私の本山での呼び名)のお寺か。」と老師もびっくり。ゆっくり、寺の中を御案内し、お茶を差し上げ、くつろいだひとときを過ごしていただきました。その後、老師はお会いする度にこの時の事を懐かしくお話くださいます。

 これがご縁でしょうか。昭和六十三年、梵鐘再鋳・鐘楼堂再建落慶法要に永平寺副貫首としてお招きし、導師をお勤めいただきました。これが東龍寺としておいでいただく最初で最後の機会と思ったものです。

  その後、平成五年秋、老師は大本山永平寺第七十八世の禅師様になられました。永平寺から遠のいていた私でしたが、自分の最も敬慕している老師が禅師様になられたのを機会にその翌年のお授戒(毎年四月、信徒の皆さんが一週間修行し、御血脈を戴く法要)から、一年に一度は、本山へ拝登し、禅師様にお会いするよう心掛けました。

 そして、平成十年のお授戒の折、朝三時私が坐禅堂へ向かう階段を下り始め前を見ますと、何と禅師様が提灯の明かりに照らされ、お付の方々に見守られながら、自ら杖をつき、百段近い階段を降りていかれるところでした。思わず拝まずにはいられません。普段はほとんど車椅子で移動されるのに坐禅には一歩一歩、歩んでいかれるのです。

 丁度そのころ、東龍寺では、平成十二年の師匠の十七回忌に併せて照光殿の建設が具体化し、まもなく普請に取りかからんとしておりました。徐々に、「照光殿二階の坐禅堂の開単式は禅師様に、お願いしたい」という思いが膨らんで参りました。

  「平成十二年は、禅師様は百歳、本当においでいただけるだろうか。ましてや、普請で精一杯の予算の中でやりくりが付くだろうか。」いろんな思いが交錯した中、役員の皆さんから、「このお寺に百歳の禅師様をお呼びできるなんて、これ以上の檀家の幸せがありましょうか。これも禅師様と方丈様との深い御因縁の賜です。是非、お越しいただきましょう。」と、賛同の声が挙がり、この度、住職、檀家一同の願が叶ったのです。

  禅師様は、御垂示(ごすいじ・・・法要を終えて檀信徒の皆さんへのお話)の中で、「一日のうち三分でいいから、仏壇に向かって、線香をまっすぐに立てて、体をまっすぐにして座りなさい。体がまっすぐになると心がまっすぐになり、心がまっすぐになると思うことがまっすぐになり思うことがまっすぐになると言うことがまっすぐになり、言うことがまっすぐになると行うことがまっすぐになる」と諭されました。

 私は、昨年の法要の後、檀家の法事の始めに、必ず、お参りの皆さんに、三分の坐禅を実践していただいております。この実践こそが、尊きご縁を深めていく道と信じております。

 五月には、駒沢短期大学仏教科助教授角田泰隆師を講師にお招きし、二泊三日で坐禅を中心に第一回眼蔵会(げんぞうえ・・・道元禅師の著書、正法眼蔵を解説する研修会)を開催します。急がず焦らず少しずつ道元禅師様のそして、その教えを余すところ無く引き継がれた宮崎禅師様の教えを皆さんと共に実践して参りたいと念じております。

合掌

第18号| 第14号 | 第13号 | 第12号 | 第11号 |

Copyright (c) 2005 東龍寺 AllRights Reserved.