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2004年3月27日(土) 伊達髭修様より
件名 : ごぶさたです
殿、ご無沙汰です。 今月は、たくさんありました。 年度末の忙しさ・叔母の葬儀・帝都での講習会送別会。 さすがに疲れました。 まもなく、3月弥生過ぎようとしています。 谷憲殿も仰る通り、元気にやっていくことが最大の供養・・・ これしかない! 元気出して下さい! 伊達髭修
2004年3月26日(金) ハルの母様より
件名 : Re: 訃報
あんちゅう様、黒木様の訃報に驚いてしまってお悔やみの言葉もなく、メールが遅くなり申し訳ありません。 15歳から一緒に青春時代を過されたお友達が亡くなられてしまって、そのお悲しみは私には想像すらできません。 あんちゅう様もお体大切になさってくださいね。 17th Homeいつも心のよりどころにしていますので。 ハルの母
2004年3月24日(水) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−20−126(第46期生徒巣立つ)
本日(24日)第46期生徒の卒業式が行われ、36名が巣立っていきました。 艦艇:21名、航空士:10名、潜水艦:5名) 46期は入校時55名と少なく、4年間で19名が退職し、卒業時は36名と少し寂しく感じられました。 (退職率32%。 ちなみに17期は145名入隊88名卒業退職率39%です。 少数の中から多数選ばれた17期としてはこんなものでしょうか。) 各部隊の諸先輩方、元気だけが取り柄だと思いますが、厳しく厳しく時には厳しく、そして親切にご指導よろしくお願いします。 江田島青年が、大型免許取得に夢中になっているすきに、そして朝晩冷え込みいつになったら暖かくなるのかと愚痴をこぼしつつ卒業式の準備をしているうちに、青年広場はすっかり春になっており、梅から桜へ模様替えをしておりました。 気の早い桜はほぼ満開になっておりました。 卒業式の後かたづけを大講堂でしておりますと、ある課程の修業式の立て付けをしておりました。 よく見ると大湊のウルフこと猪股を発見しました。 そこで立て付け終了後、ヒットしデジカメの餌食にしました。 また北国に帰るそうですが帰ってから過密スケジュールが待ち受けており、教育の成果を発揮出来るチャンスだと苦笑いしておりました。 これで北方の守りは安心できます。
2004年3月24日(水) 14期生 谷川先輩より
件名 : ああ江田島
人が、特に同期がいなくなるのは本当に悲しいものです。 17期生諸君の悲しみが我がことのように理解できます。 14期が亡くなった時の悲しみを思い出し、涙が流れております。 残った者が元気にやっていくことが最大の供養だと思います。 頑張りましょう。 14期 谷川 憲一
2004年3月23日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−19−125(卒業式)
いよいよ第46期生徒36名が、明日(24日)卒業し江田島を巣立って行きます。 全国各地で頑張っている先輩諸君暖かく迎えて(最初だけ)やってください。 宜しく。 ところで、自動車学校に足げ句通っている内に青年広場は、いつの間にか春の装いをしておりました。 その状況は後日掲載します。
2004年3月22日(月) 14期生 下條先輩より
件名 : RE: 訃報
昨年末頃は元気になられたとのことで安心しておりましたが突然の悲報に驚いています。 やっと春を迎えたのに、桜も愛でずに逝った後輩を思うと心が痛みます。 心より哀悼の意を表します。 14期 下條
2004年3月21日(日) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−18−124(故黒木悦郎の葬儀)
本日(21日)故黒木悦郎の告別式が厳かにかつ盛大に行われました。 同期、先輩、後輩を始め部内外の知人から沢山のご厚情を賜り、又、大勢の方にご参列をいただきました。 喪主「秀子」さんに成り代わりましてお礼申し上げます。 最後に、遺族代表として息子「聡君」が立派に挨拶をする姿を見て、これで黒木家は大丈夫だと確信しました。
あんちゅうが江田島青年に特にお願いして本日の弔辞を添付していただきました。
弔辞
謹んで悦郎君の御霊前にお別れの言葉を捧げます。 悦郎、君は四十八才の若さで卒然と我々の前から姿を消してしまいました。 こんなに早く悦郎にお別れの言葉を述べなければならないと考えたことが有っただろうか。 君を知る同期を始め先輩、後輩、知人は皆驚きの体であります。 思い起こせば昭和四十六年僅か十五才で江田島にある海上自衛隊少年術科学校に桜満開の中、青く輝くクルクル坊主で入校したのが昨日の様に感じられます。 江田島での四年間は、苦しいこと、悲しいこと時には腹の立つことの繰り返しでしたが、その中同期で励まし、庇い合いながら、同期の絆を深め楽しいことも嬉しいこともたくさんありました。 卒業後は会うたびに懐かしい思い出話に花が咲き尽きる事が有りませんでしたね。 スポーツマンである君は、生徒時代はバスケットボール部のキャプテン、卒業後部隊においてはハンドボールのキャプテン・コーチ等で後輩の育成に当たり、潜水艦勤務においては先任伍長として長きに渡り上司の補佐、後輩の指導に当たり、絶大な信頼を得ていました。 平成十三年胃ガンで入院と聞いたときは、驚かされ心配させてくれましたが、手術後我々の前に元気な姿を見せ安心させてくれましたね。 その後何度か入退院しましたがその度に我々の心配をよそに大好きなタバコをふかしながら元気な姿を見せてくれました。 昨年の忘年会においては同期で夫婦仲良く酒を酌み交わしたのが嘘のようです。 しかし、今考えればそのときから我々の分からないところで自分の信念を曲げず病魔と戦っていたのですね。 その戦いも空しく十九日ご家族の見守る中旅だって行いきました。 君の自分の信念を貫き最後まで戦う姿を我々は忘れることなく見習っていきたいと思います。 ご家族を残しての旅立ち、君もさぞかし心残りでいる思いますが、君の息子さん聡君が君の示した道標をたどり立派にご家族を支えて行かれるでしょう。 我々も出来る限りの協力をさせていただきます。 どうかご家族や我々を天国から見守っていてください。 悦郎、さよなら。 どうか安らかに眠ってください。 平成十六年三月二十一日 友人代表 高橋良彦
2004年3月21日(日) 17期 上田三佐夫より
件名 : 悦郎の葬儀終了
悦郎の葬儀は無事終わりました。 友人代表の高橋が涙と嗚咽で顔をぐちょぐちょにして立派な弔辞をおくりました。 佐世保からは竹原だけではなく、宮嵜、山崎、伊藤がきてくれてました。 上田さん、平井さんをはじめとする恩師、先輩、同期等から多数の弔電も届いていました、厚く御礼申し上げます。 皆で骨を拾いました・・・。 潜水艦教育訓練隊司令飯尾1佐以下14期生の安藤さんを含めた潜訓の隊員の皆さんには、闘病中から本日の葬儀まで大変お世話になりました。 この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。 特に安藤さんには、すべてを仕切っていただき、感謝しており、本当に頼れる先輩で甘えてしまいました。 アンチュウが来呉の際撮った写真を添付します。 江田島青年がまたレポートすると思います。 では、冥福を祈りましょう。
2004年3月21日(日) 17期 小川直基より
件名 : 滞りなく終了
同期に見守れて、安らかに眠りについたよ。 参加者、宮崎、山崎、伊藤、竹原、小川、藤竹、上田、大石、高橋、西方、鹿野、藤原
2004年3月21日(日) 17期 小川直基より
件名 : Re>上田発悦郎の通夜
藤竹と二人で今、呉に着き、葬儀にでます。 複雑な気持ちです。 小川
2004年3月20日(土) 17期 上田三佐夫より
件名 : 悦郎の通夜
久々のメールが同期の訃報なんてご無沙汰に対する罰かね。 悦郎の勤務場所潜水艦教育訓練隊研究室の14期生安藤先輩(研究室長)に全面的にお世話になり、通夜が執り行われました。 痛みも取れて穏やかな顔をしていた。 横須賀から鹿野が来てくれた。 明日の葬儀には佐世保から竹原、岩国から小川、藤竹、広島から藤原が来てくれるようです。 友人代表で弔辞を高橋が読みます。 寝ずに作文中と思います。 大阪の齋藤賢一のアドレスを確認しました。 アンチュウに連絡して良い承諾を得ましたので入れときます。
2004年3月20日(土) 匿名希望様より
件名 : ファンになりました。
友人に海上自衛隊の少年自衛官だった人(28期生)がいる関係で、このホームページを見ました。 その結果、すっかりここのファンになってしまいました。 私のような、一般の学校を出た者には想像も出来ない位の絆の強さを感じ、敬服しております。 これからも、ずっとこのホームページを続けて欲しいと思います。
あんちゅうの返信メール メールありがとうございます。 このメールの直前に同期が亡くなり返信が遅くなりましたことお詫びを申し上げます。 17期の青春と生きてきた証、これからの生きざまを同期とともに歩みたいと言う思いでこのHPを開設しています。 自衛隊に興味のある方ならもっとカッコいい写真がいっぱいあるサイトが数多くあり当HPのような文字だらけ、意味不明のHPは見過ごされてしまいそうですが、ありがたいことだと感謝しております。 お知りあいの28期生徒にもよろしくお伝えください。 尚、当HP宛のメールは全て公開を原則としています。 今回は ”匿名希望”様とお付けいたしましたが、実名で宜しければ変更いたしますし、ウェブネームがよろしければそれをお知らせいただければ幸いです。 これからもどうぞよろしくお願い致します。
2004年3月20日(土) 17期 小松幸弘より
件名 : 連絡ありがとう
そちらのやり方で同じにして欲しい。手間の分は後程連絡して欲しい。悪いけど頼む。
2004年3月19日(金) 17期 氏野良則より
件名 : Re: 訃報
今日、出港中、良彦から電話があり、入港して話したところ、悦郎が危ないらしいとの連絡だった。 良彦に状況確認を依頼した矢先に訃報が届き、非常に悲しい次第だ。 あいつはHPでも元気に頑張っている旨の投稿をしていたのに。 実は、私の叔父の訃報もあり、明日から実家(大阪)に帰らなくてはならなく、悦郎の最後の顔を見に行けない。 悦郎の辛い最期を思うといたたまれなくなる。 後に残ったご家族の今後のご健勝を祈るばかりだ。 悦郎よ、やすらかに! −氏野−
2004年3月19日(金) 17期 楯 哲哉より
件名 : Re>黒木悦郎諸事
安中、ありがとう 今夜は悦郎を忍びます
2004年3月19日(金) 伊達髭修様より
件名 : Re: 訃報
黒木氏の訃報に接し、涙がとまりません。 人生いつか終わりがあるのですが若すぎる・早すぎる・・・ さぞかし、残念・無念のことと思います。 宮城の地よりご冥福をお祈り申し上げます。
2004年3月19日(金) つばさ様より
件名 : お悔み
あんちゅうさま こんばんは。 黒木悦郎様の訃報に接し、ご家族・あんちゅうさまはじめ同期の皆様・お仲間の皆様の悲しみはいかばかりかと、ご心中お察し申し上げます。 謹んでお悔み申し上げます。 あんちゅうさま、先日新潟でお会いした時、あんちゅうさまが大切にされていた携帯電話の潜水艦ストラップ、あれと同じのを手に入れたと、私が喜んでお見せしたこと、憶えていらっしゃいますか? 去年の夏、船の科学館からの帰り道、電車の中で、初めてあのストラップを見せてくださって、黒木様からのプレゼントだと嬉しそうに話されて大切にされていたこと・・・同期の絆の強さ・深さを感じたエピソードとして・・・前にもお話しましたが・・・今でも印象深く心に残っています。 あの潜水艦、黒木様の形見になりましたね。 どうか、黒木様との思い出と共に、ずっと大切にしてくださいね。 私の電話についている潜水艦、その温かいエピソードと一緒に、私も大切にします。 あんちゅうさま、同期の皆様、この瞬間からの人生、1日1日を大切に・・・ 黒木様の分まで、幸せな人生を歩んでください。 どうかお体大切にお過ごしください。 哀悼の意を込めて つばさ
2004年3月19日(金) 17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 訃報
黒木悦郎が亡くなりました。先ほど高橋より電話がありました。とりあえずお知らせいたします。
17期 藤田雅之からの返信メール 安中さん 訃報の件、受領しました。 高橋さんからの連絡を待ちます。 お知らせありがとうございました。 藤田
17期 藤竹春壽からの返信メール 連絡有難う。 わかったら葬儀の日程等解れば、知らせたい。
24期 平まりお生徒からの返信メール ご冥福をお祈りいたします。 平 まりお
14期生 谷川先輩からの返信メール 17期の黒木、どうしても顔を思い出すことはできません。 しかし、先輩として17期の1人の訃報に接し悲しい事に間違いはない。 同期の者達の悲しみを思えば・・ ご冥福をお祈りします。 14期電信 谷川憲一
17期 竹下一哉からの返信メール 了解 連絡ありがとう 下記事項、高橋良彦から聞いています 喪主:黒木秀子 通夜:20日1900 告別式:21日1000 場所:呉市宝町2-70
呉中央シテイ ホール 0823-20-1000以上
17期 重永幸敏からの返信メール 重永です。 悦郎って鹿児島だよね。 淋しいです。 だって鹿児島県人だもんね。 悦郎がなくなったなんて信じられません。 心からお悔やみ申し上げます。
17期 竹原堅一からの返信メール ありがとう 連絡ありました 残念です
14期生 関先輩からの返信メール 連絡ありがとうございました ご冥福をお祈り申し上げます 14期 関洋三
2004年3月15日(月) 17期 鍋島久司より
件名 : いっぱい飲んだぞーーーーー。
3月13日(土) 東京新橋で行われた生徒OB会に恥ずかしながら参加させてもろーたよ。 17期は、番上・野田達也・伊賀・吉田・太田哲・一石・ナベでした。 2次会は、15期生の瀬戸さん・香月さん・嶋田さん・松川さん のご指導?の元、おいしいお酒を飲みました。 某先輩 「おい ここには15期と17期しかおらんのだからなーーーーー。」 「おまえら、しっかり飲めーーーーー。」 目からウロコの話も聞けておおいに楽しみました。 とにかく楽しかった。 こんな事は久ぶりたった。
2004年3月15日(月) 伊達髭修様より
件名 : ご無沙汰です。
こんばんは、殿 ご無沙汰です。 やっと、一息つけそうです。 会社の会長(叔母)が亡くなり先週1週間、仕事してません。 ちょっと、今回は疲れました。 気を取り直して年度末頑張ります。 雪おろしツアーで盛り上がっていたら、もう桜の声が聞こえて来ています。 ほんと、月日の経つのが早いです。 拉致計画失敗の件 本当に残念でしたね。 またのチャンスをお楽しみに・・・ですね。 ここ宮城では、田んぼに雪こそ消えましたが、まだまだ、寒い日が続いております。 しかし、ふきのとうが、ちらほら出てきています。 ばっけ味噌で一杯・・ 春の香りとほろ苦さ。 00のつまみには最高ですよ! こんな事いっているとまた姫君の・・・ヒエーてなことに・・。 さてさて、拙者、帝都訪問と相成りました。 といっても、講習でありまして2泊3日で、速攻で帰社しなければならずゆっくり視察とは許してくれません。 ほんの少しだけ帝都の空気を吸ってきます。 おのぼりさんレポートのちほど、送りたいと思っています。 では、また。 伊達髭修でした。
2004年3月14日(日) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−17−123(自動車学校卒業)
13日(土)大型自動車免許の卒業検定があり無事合格することが出来、定年後の第2の人生に弾みがつきました。 これも皆さんの陰ながら応援していただいたおかげと感謝しつつ江田島青年の運転テクニックの素晴らしさを実感(自己満足)しました。 これで遠征試合何処でもいらっしゃいの気分です。 後は生徒が自分に命を預けてくれるかどうかです。 生徒も集中試験(江田島青年の仕事が無くなる期間)が終わり、いざ出陣と思いきや居住区、自習室の移転、今週は補習そして24日からは弥山登山競技の事前訓練が4月20日まであり満足のいく練習が出来そうにありません。 短い時間内でいかに効率の良い練習をして行くかが、コーチ腕の見せ所と思いつつ一人愚痴をこぼしている青年です。
2004年3月11日(木) 17期 鍋島久司より
件名 : おい、おれでいいのかアンチュウ
予備自衛官(来年1曹だよっと)13日の会には堂々と ぼくはゆくよ。 鍋
あんちゅうの返信メール 元気か?? 久しぶりなので誰かと思った。
2004年3月9日(火) 14期生 下條先輩より
件名 : 三寒四温
季節の挨拶、ありがとうございます。 関東地方も3月に入り、初日から雪、3日の雛祭りには霰が降りました。 明日からは又、暖かくなるそうです。 三寒四温、この季節の気候をあらわす言葉ですが、我が家では、夜、毛布三枚では寒いが四枚では暖かいとか、三月は寒いが四月は暖かい等と勝手に解釈しております。 先月は雪下ろしから話が発展し、楽しませていただきました。 江田島を軸にInternetがこのような楽しみを与えてくれるとは以外でした。 また、皆で想像しながら仮想宴会をひらきましょう。 さて今週末は関東地区生徒OB会。 毎回、OBが百名以上集まります。 新潟からも新幹線で2時間ほど、都合がつけば是非、参加してください。 品行方正に清遊し美味い酒を飲みましょう。 下條
2004年3月8日(月) **期西澤生徒より
件名 : **期通信の西澤と言います
はじめまして。 酒飲みながらうろうろしてたら17期生徒のホームページにたどり着きました。 **期通信出身 潜水艦****通信員の西澤と申します。 水測の佐藤
寿さんが、私たちの3年生(だと思います)のときの分隊長でした。 我々の間では「****」と呼ばれていました(このことはナイショでおねがいします) なんだかHPを見ている内に生徒の時のことを思い出して懐かしくなってきてしまいました。 私は、滅多にこういう感じてHPの管理人にメールを送ったりはしないのですが、懐かしさと、佐藤分隊長の「17Th Home タケシタ Collection」内の似顔絵に心動かされ、メールしたまでです。 我々期は昨年12月、呉にて**年会を開催しました。 当時の仲間、教官等を交えて、久々の再会ということもあり、遅くまで語り合いました。 諸事情により、全員参加とはいきませんでしたが、充実した時を過ごし、改めて生徒の同期の大切さを実感しました。 17期の先輩方にはこのようなすばらしいHPをお持ちで大変うらやましく思います。 (私たちにも一応あるのですが、更新が滞っており、また、見ている人も少ないという現状です) 私は今年、RIMPACに参加することとなり、現在も諸調整にとまどいながらも何とかやっていけている状況です。 潜水艦は通信員の数も少なく、RIMPACの準備には大わらわといった感ですが、各部隊の生徒の先輩方には大変助けられています。 練習員出身の通信の方から「生徒はコネがあってうらやましい、俺も生徒だったら...」と言っておられました。 私も、このたびのRIMPACの準備等に「生徒」であることにより大変助けられました。(いや、ほんとに...) 今後とも「生徒」の心構えを忘れずにいきたい(生きたい)と思っています。 酒飲みながらのメールなので、なんだかよくわからない内容になってしまったかもしれません。 スミマセン。 今後もHPの運営がんばってください。 どこかでお会いしたときには気軽に声をかけていただければ幸いです。
あんちゅうの返信メール 西澤 **期生徒、 メールありがとうございます。 酒飲みも満更捨てたものではないという事を西澤生徒からのメールによりより一層実感しました。 飲んでもいなければ多分このようなメールは17Th
Homeに届かなかったのではないかと思います。 西澤生徒の気持は十分に伝わってきますよ。 しかし、よく飲みながらこの長文メールをしたためましたね。 よほどタケシタ
Collectionの「*****」がなつかしかったのでしょうか。 感心するのはその言葉。・・「*****」
ピッタリ!! さて、ドラムスコ・サトシ君、第*潜水隊郡第*潜水隊****勤務ご苦労様です。 生徒を卒業してから**年。 いろいろな先輩諸氏にお世話になりながらもバリバリ仕事をこなしている様子に大いなる声援を贈ります。 あんちゅうは2002年11月、呉のバースを訪れる機会に恵まれ、訓練隊も見学しました。 あの狭い環境の中での生活はさぞかし大変だろうと思いますが頑張って下さい。(あんちゅうの携帯にはそのとき同期の黒木から貰った潜水艦のストラップがついています。) これからも飲んでめろめろになった西澤生徒のメールをお待ちしております。
2004年3月4日(木) つばさ様 17Th Home掲示板投稿より
件名 : お世話になりました。
帝都発:あんちゅうさま 無事に武蔵の国さ帰国いたしました。 昨日、ジェットフォイル「つばさ」号で越後の国の港さ降り立った際には、短い時間でしたが再会できて嬉しかったです。 ”傳左衛門の関”には”新潟駅出張所”があるのですね!? 越後の国は、まだ空気が冷たいですが、人の心は温かでした。 美味しい”元気水”も調達したので、それを燃料にして今後の作業の方も頑張りたいと思います。 清子様のお顔を見られなかったことは残念でした。。。 「雪下ろしツアー」の際には、私も烹炊作業要員&”甕のぞき”担当として、是非仲間に入れてくださいませ! どうかお体大切にお過ごしください。 美しい桜の季節がもうすぐやってきます。 楽しみです!!
2004年3月3日(水) つばさ様より
件名 : m(__)m
あんちゅうさま 無事に帰宅いたしました。 今日は、思いがけずにお会いできて嬉しかったです! 美味しいケーキとお土産、ご馳走様でした。 頭が半分眠っているので、明日改めてカキコいたします。 ひとまず、おやすみなさ〜い!つばさ
2004年3月3日(水) 17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 17Th Home 3月のご挨拶
月が変わりましたのでご挨拶申し上げます。 いつもは17Th Home、海自生徒掲示板をご覧いただき誠にありがとうございます。 早いものでもう3月になりました。 暖かかった2月下旬の越後でしたが、3月に入ったところで寒さが少し戻り昨日、今日となごり雪がチラホラ舞っています。 皆様の所はいかがでしょうか? 2月22日に自衛隊父兄会主催でこの春入隊・入学する方々の激励会が行われ新潟県内各地の部隊長が挨拶に立たれましたが、海上自衛隊新潟基地分遣隊長の吉野2等海佐がとてもいい言葉を贈っていました。 それは、「消極的な成功よりも積極的な失敗をせよ」という言葉です。 この歳になるとつい、安全パイを選択しがちな現在のあんちゅうには貴重なカツを入れていただき、入隊・入学される皆様以上に、あんちゅうが感銘を受けました。 初心に返り、失敗を恐れず、新たな気持で仕事に励みたいと思います。 さて、あんちゅうは今日、嬉しいことがありました。 つばさ様が仕事で新潟にこられわずか1時間足らずでしたがお会いし話をすることができました。 傳左衛門家への”つばさ拉致計画”は失敗。
まさに「・・・積極的な失敗」ではなかったかと・・・ 「消極的な成功よりも積極的な失敗」をたたえ、今月も頑張りましょう。
2004年3月3日(水) 14期生 谷川先輩より
件名 : 3月だよ〜!
早いもんで、もう3月だぞー! 月末は異動です。 今度は****分遣体調?の予定です。 皆さんかわいそー! ビシビシいくぞー! どうも近頃の人達は、優しさということを勘違いしているみたいで、何も文句言わないのがいい人であると思っているみたいで・・・ 決してそうではないはずだー! そうだろう安中!! 14期電信 谷川 憲一
あんちゅうの返信メール ご挨拶が送れて申し訳ありません。 今、文面を考えている所です。
あんちゅうの返信メール 先輩、こんばんわ。 昨夜は失礼致しました。 ひとつお願いがあります。メールを送った後、20分ぐらいはパスコンをきらないでいただけません? 昨日はつばさ様とデートをしました。 うらやましいでしょ? ところが、つばさ様が言うには「谷憲さんとはたまーに、メールのやり取りをするんですよ。」との事。 しかも、しかも、先輩のファンだと言うではありませんか! 先輩も隅におけませんね〜。 ところで異動するかもしれない?のですか? 異動であろうと何であろうと使ってくれるところがあるだけ先輩の人徳ですね??。 佐教の諸氏はホッとしているのではないですか?
谷憲先輩の返信メール おう、今日も夕方、翼ちゃんからメールが「安中と会った。」と送ってきました。 とうとう仏になれずに終わったよ教育隊教官も・・・ 風呂に入ってくるよ。今日は一人で入るよ。寒いから
2004年3月3日(水) 江田島青年より
件名 : 「40017」は誰
3月3日(水)は、全国的に耳の日です。 ここで耳寄りな話をと言うより「40017」番は誰か教えてください。 今日17期HPの番号を覗くといつの間にか「41385」に成っておりました。 今回はゲットしようと注意していたのですが、またしても逃してしまいました。 残念 次の「50017」は絶対狙います。
2004年3月2日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−16−122(全自柔道大会終了)
28・29日に行われた、全自柔道大会生徒対抗戦に参加した我が柔道部は、残念ながら陸自、空自共に負け3位、個人戦も今一実力が発揮できなかったようで惨敗に終わりました。 来年は雪辱を果たしてくれると信じております。 乞うご期待を。