術後24ヶ月
2004年2月
運命はいかに神のみぞ知る
鬼がでるか仏がでるか
ミノのお友達 | ||
逆流さん | この期間になってもなかなか彼も私に似て気分屋さんです。いまだ類は類を呼んでいます。 そして最近はプチ逆流さんです。ちょっと数分遊んで帰ります。そしてダンさんと同じ日に遊びにくるがこちらは深夜もしくは早朝の時間帯でダンさんは朝食後である 好きな食べ物なチョコ、唐辛子などの辛いものなど 好きな飲み物は牛乳です。 好きな果物はりんごです。 また「フオイパン錠」を毎食から朝、晩、と2回に変更してもらっているが頻繁には遊びに来なくなりました。 |
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つかえさん | 逆流さんに遠慮してか?ほとんど遊びにこなくなりました。でも大切なお友達です。 | |
ころころさん | お調子もんの「ころさん」はやっぱりお調子もんですが、「つかえさん」と同じくほとんど遊びにこなくなりました。 かわいい彼女でも出来たのでしょうか。 |
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ダンさん | この頃よく逆流さんと同じ日に遊びに来ます。ダンさんはいつものように朝食後です。 こちらも時々遊びにきます。好物は朝食みたいです。時間帯は、必ずといっていいくらいに朝食後に遊びにきます。一緒に遊んでやりたいのですが出勤前の貴重な時間なので相手ができません。 そんな訳で「ダンさん」は何時も機嫌が悪く、私とミノが何もしたくないと思ってしまう全身の倦怠感、発汗、などの悪さをします。そして1時間ほど遊んでから帰ります。 |
術後711日04年2月1日今日は猿のお山・運命の日まで後4日 |
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今日から2月、早いもので運命のカウントダウン(おおげさ?)を始めた日から運命の当日まで後5日である。蛇がでるか鬼がでるかそれとも仏がでるか 神のみぞ知るである。乞うご期待。 まあ、こんな事ばかり考えていてもしょうがないので久しぶりのに誘われて山へハイキングにでかけました。散歩した山は猿毛岳という名で今年の干支の字がついている。調べてみると日本には30座ありその内、吾が新潟県になんと6座もあるではありませんか。昔話でもみなさんがよく知っている「桃太郎」で有名な岡山県ですら3座しかないのに なんでだろう〜〜 そんなこんなで、こじ付け大好き人間の俺としてはやはり登って置かなけば気がすまず、そのお山は越後の小京都と言われる加茂市の郊外にあり加茂川の脇から登り始めるお山である。名前からするとたいそう標高が高そうであるが326mしかない藪山である。しかし近年の登山ブームで知れ渡り今年は結構人気がありおおぜいの人とすれ違う。
山と掛けて答えは やっぱり温泉(*^_^*) そうです。温泉も大好き人間の俺としてはかあちゃんに今よりもっと綺麗になってもらいたくて(^・^)人気の「加茂・美人の湯」にいれてやりたいのですが休日は物凄い混雑で、とても美人の湯どころではなく、ロビーのフロアーまで「トドのごろ寝醜態であるらしく、又の機会という事にして、かあちゃんのお勧め温泉がある弥彦まで車を走らせた。 その温泉とは、昨年弥彦神社前に出来た「日帰り天然温泉とイタリア〜〜ンの味が楽しめるちょっとおしゃれ〜〜〜な感じで若いカップルにも人気がある「バーデンヴァイス」で温泉してから、弥彦といえばやっぱり大好きな分水堂のたい焼きを食べて帰りました。
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術後715日04年2月5日さくらさくら咲く・ 運命の当日 |
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今日は運命の当日。 すなわち2年目の胃カメラ検査日である。 昨日からどうも落ちつきがない上に些細なことでイライラしたりして会社では後輩に辛くあたってしまい解っているけれど、どうにもならない自分の気持ちと問答しながら運命の今日を迎えた。天気までも、先月のCT検査の日と同じく昨晩から雪になり今日からまた寒波が来るといっており恨めしく思ってしまう。 実は、昨年の年末、食後お腹に少し痛みやげっぷが続いたことがあり心配した。しかし、新年になってからは痛みはなくなり安心していた。ところが先月の中旬頃からまた痛みだしたがなぜか今月になったらまた痛みが無くなったりしている。そんな訳でお腹の中でなにかあるのか不安でありすこしでも早く検査をしてもらいたく何時もより早くがんセンターに出かけた。 ラジオでは、健康ネタの放送をしており何気なしに聞いていると今日のテーマは、なんと「今,中後年の男性に冷え性が増えている」という内容であった。 ゲストの大学病院の教授先生が言われるには、対策として ・腹巻をしてお腹を冷やさない。冷えは万病の元である。 ・カイロの貼る位置はおへその下。(冷えないにつぼがある) ・腹筋を鍛える ここまでは予定どうりで別段驚きはしなかったがこの後の対策は初耳だった 寒いと、どうしても熱いコーヒーやお茶を飲んで暖をとるが、あまり飲みすぎると返って、体が冷えてしまい良くないらしい。それでは飲みすぎても体が冷えない飲み物はというとなんとそれは「紅茶」らしい。紅茶の成分が冷えを抑えるらしい。ほんとかな〜〜〜 後3つくらいあったようだが暗記できなかった。 だれもいない。9時の予約の一番最初のようである。受付に問診表を提出し、検査時間までだいぶ時間があるので売店でスポニチを買ってくる。 ところが、記事は読んではいるが目は活字だけ追っているだけで内容を理解しようという回路が全然作動していない状態である。 そんな中に、一つだけ気にかかる記事があったが今は理解しがたいのでとりあえず記事だけ切り取りバックにいれておいた。 胃カメラの受付で名前を呼ばれ、更衣室で着替えてからまずは喉の動きを抑制するゼリー状の薬を飲み、次に肩に胃と腸の動きを抑える注射をして待機しているがその待っている時間の長く感じられた事。たった15分程であったがとても長く感じられなんども時計を見てしまう。待っている間にも、もし検体されたらどうしようなどと悪い事を考えてしまう。 ようやく、名前を呼ばれ検査室に入ると検査する先生から先に 「お願いします」 と挨拶されてしまい戸惑ってしまった。いままで胃カメラの検査で先生から先にお願いしますと挨拶された事は一度もなく先ほどまでのイライラや不安な気持ちが少し和らぎ 「こちらこそよろしくお願いします」 と挨拶してしまった。 診察台に上がりいつものように左側を下にしてマウスピースをくわえいよいよ胃カメラが入っていく。この瞬間が緊張するらしい。しかし、この緊張を取り除く為に常に目を開けた状態で検査を受けるようにしている。 カメラは食道を通り過ぎゆっくりと確実に奥に進んでいく。 もしかして、胃カメラが止まる様なことがありはしないかと不安な気持ちの中、カメラは進み最後の一押しでげっぷがでてしまった。これはまずいなと思っていると今度はゆっくりゆっくり引き上げ始めた。そして胃カメラがまだ体内に入っているにもかかわらず俺の気持ちを見透かしたように先生が突然 「きれいですね、問題ありません」 と話された。 やった(^・^)(^・^)(^・^)(^・^)(^・^) マウス越しに「有難うございます」 と言葉にならないお礼を述べた。 胃カメラが終わり改めて先生にお礼を述べ更衣室で着替えながら鏡にむかって小さくガッツポーズしてしまった。先ほどまでの不安の気持ちはどこかに吹っ飛び渡り廊を歩きながら見る降りしきる雪までもが美しく輝いて見えてしまうミノと俺でした。 外科外来で受付を済ませ、まだ診察まで時間があるので売店により雑誌と牛乳とバナナオムレットを買い求め3階の談話室ですこし休憩する。 10時半の予約だが少し早めに外科へ行くとすぐに呼ばれ中待合へ入る。 中待合に入るといつもテキパキと対応しているIさんの姿がみえず、つい別のナースさんがいたのでIさんのことを聞くときょうは用があって休んだらしい。 まもなくして、名前を呼ばれ診察室へ入りY先生に先月のCT検査の結果を確認したところ、前回と同様であたらしく問題は無いという事であった。 やった!(^・^)(^・^)(^・^) ちなみに、胆石の大きさはどうだったのか尋ねると胆石に関しては何も報告 がきておらず、もしや消えたのかと先生に尋ねたところ、胆石は超音波検査(エコー)しか映らないらしくCTでは解らないらしい。ほんとかな〜 ま、いいか そして、胃カメラ検査の結果を確認すると検査の先生の言われたように問題なしという事。そして胃カメラの写真撮影をお願いしたところまだ、こちらにはないので次回外来時に撮影させてもらうことにした。 先生に術後から完治とみなされる今日の2年目まで自分自身のけじめとしていままで禁止していたお酒とラーメンの解禁の件を話すとあまり飲み過ぎないようにと。またナースのSさんからも皆さんすぐに酔ってしまうがその代わり醒めるのも早いらしくついつい量を飲んでしまうので肝臓の為にもほどほどにとありがたい御言葉をいただきました。 最後に、先生と入院時お世話になったナースのSさんにお礼をのべ診察室を後にした。 外はまだまだ冬本番の景色だが ミノと俺の心はさくら咲くであり万歳と叫びたい心境だ。
俺とミノに関しては先生から術後2年間再発がなければがんは完治と見なしていいらしくようやく2年目になりました。発病してからいままでお世話になった家族や皆さんに感謝、そして有難うの気持ちでいっぱいである。そして、これからもお世話しま〜〜〜〜〜〜す。 ところで、今日はもう一つとても嬉しいことがありました。病院からもどるとすてきなメールが届いていました。 その内容とは ひ! み! つ! (^・^)です。 |
術後716日 04年2月6日 千の風になって |
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昨日の朝、がんセンターで胃カメラ検査を受ける前に買ったスポニチの記事で,なぜが気になる詩があり切り取った紙片を今日改めて読んでみた。
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術後720日 04年2月10日 今日は七・五・三 |
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かあちゃんは、俺のがんが発見される数ヶ月まえにいままで勤めていた会社が廃業することになり、新しく、冠婚葬祭関係の会社に勤め始めた。実はかあちゃんには常日頃から予知能力があり?おれがいつ死んでもいいようにと、思い今の会社を選んだのかもしれないが真相はかあちゃんに確認していないので定かではない。 そんな訳で、我が家では「新潟日報」と「三条新聞」をとっており、かあちゃんはかならず、朝一番に三条新聞のお悔やみ欄をくまなく読んで情報を仕入れている。 そんな、三条新聞の2月10日付の一面に面白い記事が載っていた。 その記事とは、今、日本で一番問題視されている、フリーターの雇用対策委員会が開かれた。そのなかでいまのフリーターの現状を 【七】 【五】 【三】 現象というらしい。 即ち 【七】とは中学を卒業した子の早期離職の7割がフリーターになり 【五】とは高校を卒業した子の早期離職の5割がフリーターになり 【三】とは大学を卒業した子の早期離職の3割がフリーターになる
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術後724日 04年2月14日今日はなんの日・おなじ 14 なのに |
術前から、俺も中高年の登山がブームになってから登山を始めたミーハーであり、冬も標高の低い山だが登っている一人として、ここ1週間で2つの遭難事故があり少し考えさせられた。 一つは、俺も2回無雪期に登ったことがある福島県の安達太良山(標高1700m)に登った「ぶなの会」の14人のなかの一人でベテラン登山者の遭難事件。この山はなだらかな山容とは裏腹に常に山頂付近は風が強く尚かつ天候が目まぐるしく変わる山であり昨年の登山において実際に体験済みである。 もう一つは福井県と石川県の県境にある大長山(標高1671m)で遭難した関西学院のワンダーフォーゲル部の14人 二つとも、無事救助され事なきを得た事件ではあるがどちらも14人というメンバー数そして、どちらも標高が1700m前後という共通点がある。しかし、同じ14人であったが、ぶなの会の14人の登る目的はただただ、個人個人が楽しければいいだけで自分ひとりでは登れないのでみんなと一緒に来た、団体さんであったようだ。スキーをする人、スノーシューをする人、登山靴で登山する人、と装備の違い。そして、あの悪天候のなか下山路も2班に別れ別々に下山とは聞けば聞くほどあきれてしまった。 本当のリーダーはいたのかな。 たんなる烏合の衆である。 ぶなの会のwedサイトはすごい山行や講習会などが紹介されてはいるが? かたや関西学院は14人で励まし合いながら救助をまっていた。そして記者会見で見る限りでは遭難した事に関しては非難をうけてもしょうがないがしっかりとしたリーダーであるようにみえた。もし私が入社面接担当ならば一発で採用すると思う。そしてどちらも記者会見では決まり文句 「山を甘く見てしまいました」とくる たかが1700mされど1700m そして 甘くていいのは今日(14日)のチョコレート (^・^)(^・^) |
術後725日 04年2月15日 この樹なんの樹・気になる樹 |
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今日から俺とミノがこの樹のオーナーになりました。オーナー代は1万円です。まだ冬眠中ですが春になると若葉がでて夏から秋にはたくさんのおいしい実がなるでしょう ここは新潟県の巻町にあるカーブドッチワイナリー。という所です。 ここでは、ぶどうの木のオーナー制度があり1万円で1本のオーナーになれます。入会の翌年から10年間、毎年1本づつワインがプレゼントされます そして、このぶどうの樹の成長を楽しみながら10年間「ワインとすてきな夢」が見られます 実は前々から、術後2年間なにもなければアルコールを再開することにしていたががんにはワインがいいらしく、とくに赤ワインがいいとの事であった。
また、、ビール、焼酎、ウイスキーもあるが俺は日本人であり日本の風土の中で昔から造りつづけられ育まれてきたお酒も大好きである。そして、日本人と日本食には一番相性がいいと思っておりお酒の効用もワインに劣らずたくさんあるはずである。 |
術後736日 04年2月26日 下衆のかんぐり |
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今日は,今月5日に検査した胃カメラの画像の撮影と薬を貰いにがんセンターに出かけた。いつものように9時半の予約なので15分前に2階の外科外来の待合フロアーに着くと異様な光景が目に入ってきた。 フロアーの椅子がほとんどうまっておりなにかあったのかと思ってしまった。久しぶりである、こんなに混んでいる外科外来は。いつもなら20分位待っていると順番がくるが、今日は嫌な予感がする。待ち時間が長くなりそうである そして、待っている人達を見てみるとやけに家族ずれやご夫婦など複数の人達が多い。名前を呼ばれてから戻ってくるまでの時間が長い。きっと検査データーの説明なのかな?そして、2年前の俺とかあちゃんのように検査データーをたずさえた家族もいる。 そして、この人達も2年前の俺たちのように不安な心境なのではないかと思うと少し胸が痛む。それにつけても混みすぎである。ますます待合フロアーは混雑してきた。 なんでだろう〜〜こんなに混んでいるのかと考えてみると年度末がらみで実績を上げなければならない為?でもがんセンターはたしか昨年は黒字だったはずだがなどと、ついつい下衆のかんぐりをしてしまった。
この、アップルペクチンが腸内に入り悪玉菌・腐敗菌を排除し善玉菌であるビィズス菌を増殖させ大腸がんを防ぐ。それにしても、りんごはすばらしい健康食品である。さすがアダムとイブでイブが我慢できずに食べてしまう訳である?は別にして俺も逆流性食道炎の軽減と消化剤として毎日りんごを食べておりやはり大正解だった事を改めて知った。 次に目を引いた記事は登山の記事である。 「山がくれたガンに負けない勇気」というタイトルであった。 夫婦でガンになり力を合わせて2000年の夏に行われた日米共同富士登山に参加された記事がメインであるが俺が感銘を受けた記事は最後に書かれていた。 山とがんで世間でよく知られているのは1987年のがん患者7人のアルプスモンブラン登山である。この企画は当初どのテレビ局も同行取材を断ったが小嶋修一氏というディレクターが同行しドキュメントを世界に発信した。 その小嶋氏もこの一年前にがんの手術を受けたばかりであった。 そうなんです。モンブランへ登山したがん患者は7人ではなく8人であったという最後の文面。よくいわれる歴史などの表舞台に出ない本当の功労者である。 そしてもう一つ私のおすすめホームページに発掘あるある大辞典の紹介があった。たしか2月22日放送で「嫌われる人・嫌われない人」がテーマになっていた。アンケートではあなたの周りに嫌いな人がいる人と答えて人が98パーセントもいた。また、あなたは嫌われているかいないかでは65パーセントの人が嫌われていないとl答えている。 これだから人間をやめられない。おかしなものである また、若い社員が失敗をしたときに仕事以外のプライベートのことまで持ち出して注意する上司が嫌われる人NO.1だったが確かに若かった頃いたいたこんな上司がと、今になって思い出した。明日はわが身かも、注意注意。 そのほかの記事も読み終えて待つこと一時間15分ほどしてようやく名前を呼ばれる。中待合でまた30分ほど待たされていると、ナースさんの話声が聞こえてきた。なんとCTの予約が3月22日以降でなければ入らないらしく、ぼやいていた。やっぱりなにかあるのかとまたしても下衆のかんぐりをしてしまった。 ようやく名前を呼ばれ先生と面談できるが今日の先生はお疲れモードでありまだおおぜいの患者さんが後ろに控えているので手短にする。先生にお願していた写真撮影は来月にしてほしいとの事で了解する。 またいままで30日分もらっていた消化剤と逆流防止剤をどちらも来月分からは20日分に減らしてもらい今後は症状をみてじょじょに飲む回数を減らしていきたいことなどを話す。最後に三ヶ月おきの血液検査をして会計を済ませ病院を後にした。 久しぶり?いや初めてかもしれない。2時間待ちの10分診療は |
術後738日 04年2月28日 一生に一度の記念日 |
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2004年2月は俺とミノとかあちゃんの人生において記念すべき2月になった まずは、2月5日の術後2年検診の結果が転移や再発は見られず当初の目標である完治年数の2年になった日である。本来がん患者は5年間再発や転移がなければがんは完治といわれているが俺とミノの場合は早期がんだったため2年と先生からいわれていた。 そして、この日、がんセンターから帰るとうれしいメールが届いていた。 メールの内容は ●掲載雑誌/『がん治療最前線』(八峰出版発行)5月号(4月9日発売) ●内容/闘病ならびにホームページの紹介(2ページ) ●取材/インタビュー+写真撮影(1時間強) ●場所/燕三条駅周辺 そう、雑誌の取材依頼のメールであった。 実は昨年の8月にも今回とは別のがん専門誌(月間がん もっといい日)からの取材依頼があったが編集社の都合によりキャンセルになった経緯があり、また今回も前回のようなことにならないかとの危惧はあった。 8月に依頼を受けた雑誌も今回の雑誌もがんセンターの売店で購入できるため内容は大体把握していたが、なんで俺のhpなのか?もっと人気のあるサイトはたくさんあるはずだがなどと思ったりもしたがまあいいではないか。こんなことは宝くじに当たる確率よりもっと低い宇宙的な確率でありいい記念になると思い取材の了解メールを送った。 その後何回かメールで連絡を取り合い今日がその取材日である。 取材場所はあらかじめこちらで席を予約しておいたレストランの一角で行われた。先方はライターのT氏とカメラマンのA氏の2名である。 待ち合わせのレストランにかあちゃんと出かけるともうすでに二人は到着しており少し驚いてしまった。 お会いする前まで、ライターとカメラマンに対しすこし硬派なイメージを描いていた俺だったがお会いした二人はまった違ったイメージで、とても親近感がありすこし安心する。これも俺のバカの壁であった。 取材は俺がライターのT氏の質問に答える方法で行われカメラマンのA氏はその光景をカメラに収めることになっている。カメラはデジカメなどで簡単に撮影するとおもっていたがなんとよく写真スタジオなどにある傘のような大きさで白い撮影部品を三脚にセットしたではないか。おいおいである。そしてカメラも大きなレンズがついたカメラで撮り始めたではないか
こんな事はこれからもまず体験できない事であり二人には記念すべき良き日である。どんなページになるのやら 乞うご期待である。 また、すこしでも俺と同じような人達の参考になるサイトを今後作っていかなければとあらためて思う今日のよき日であった。
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