術後19ヶ月から23ヶ月
2003年9月から2004年1月まで
ミノのお友達 | ||
逆流さん | この期間になってもなかなか彼も私に似て気分屋さんです。いまだ類は類を呼んでいます。 好きな食べ物なチョコ、唐辛子などの辛いものなど 好きな飲み物は牛乳です。 好きな果物はりんごです。 また「フオイパン錠」を毎食から朝、晩、と2回に変更してもらっているが頻繁には遊びに来なくなりました。 |
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つかえさん | 逆流さんに遠慮してか?ほとんど遊びにこなくなりました。でも大切なお友達です。 | |
ころころさん | お調子もんの「ころさん」はやっぱりお調子もんですが、「つかえさん」と同じくほとんど遊びにこなくなりました。 |
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ダンさん | こちらも時々遊びにきます。好物は朝食みたいです。時間帯は、必ずといっていいくらいに朝食後に遊びにきます。一緒に遊んでやりたいのですが出勤前の貴重な時間なので相手ができません。 そんな訳で「ダンさん」は何時も機嫌が悪く、私とミノが何もしたくないと思ってしまう全身の倦怠感、発汗、などの悪さをします。そして1時間ほど遊んでから帰ります。 |
術後20ヶ月
術後594日 03年10月4日 本性まるだし? |
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術後599日 03年10月9日 免疫力低下モード?。 |
朝、右上唇にプクピクと違和感の信号があり。むずがゆい症状がでる。 やばい、まさか、やっぱりか。 ばちが当たったらしい。9月期の多忙、結婚式の暴飲暴食、翌日の妙高山登山、などで知らず知らずに体を無理していたためか? ヘルペスウイルス君のお出ましである。術後は、いままで一回も現われておらず忘れていたのに。 このヘルペス君は術前からの古い友人であり、私の体内に居候しておりその恩返しに時々姿を現し私に免疫の低下を警告してくれるたいせつな友である。私が日光に長時間当たった時、極度のストレスを受けたとき、体力が低下した時、暴飲暴食した時、風邪をひいた後、などに現われていた。 とりあえず、前にもらった軟膏が残っていたのでそれを塗って出勤し、退社後、一年半ぶりにS皮膚科に行き、いつもの飲み薬といつもの軟膏をもらってくる |
術後615日 03年10月25日 新潟の霊水を求めて |
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術後21ヶ月
術後620日 03年10月30日 がんセンター定期血液検査 |
最近、がんセンターが混まなくなってきたような気がしてならない。きょうも待ち時間が少なく30分も待たずに順番がきた。また、名前を呼ばれてから中待合のソファーで待っていていつも思うことは、外科外来への電話の多さである。 その電話対応している I さんを見ているといつも関心してしまう。電話がひっきりなしかかってきておりそれを仕事とはいえテキパキと対応している。はたしてこんな状態が一日中続くのだろうか。?たいしたもんです。 そんな事を思っていたらを名前を呼ばれて診察室に入る。診察室には先生とナースさんがいるが今日はいままでのナースさんではなく、なんと入院中お世話になった いつも明るかった S さんに変わっていた。 今日も明るいSさんに再会できうれしくなってしまった。Sさんにしてみれば多勢の患者の一人だろうから覚えてはいないだろうが。 そして、先生と何時もの経過報告をした後に定期血液検査の採血をする。そして会計をお願いすると15分待ちであった。 |
術後640日 03年11月19日 健康診断・三度目の正直だ。 |
今年も会社での健康診断日がやってきた。 2001年での健康診断では胃がん発見 2002年での健康診断では低コレステロール血症 2003年での健康診断では?三度目の正直でオールAになるはずである |
術後648日 03年11月27日 インフルエンザ予防注射 |
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がんセンター外来である。まずは先月受けた定期血液検査の結果は異常値はなく問題なしとの事である。よかった。よかった。
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術後663日 03年12月12日 Oh My God |
11月の会社の健康診断結果を退社時に受け取る。 今度こそ、三度目の正直ですべて【A】であるはずなので早速開封してみる。 まずは総合判定はと探すと ななななななななななななななななななななななななんと【C】になっているではないか よくよく見てみると、またしてもコレステロール値が低く「低コレステロール血症」となっていたので、これならば問題なしと思って安心しながら」他の項目に眼を移すと。 Oh My God!! ああ神様、あなたは私とミノにまだ試練を与え続けるおつもりですか。 何だこの数値は。白血球の数が多すぎる 基準数は 3000〜8900 であるがなんと9800もあった。いままで胃がんの手術時でさえ8000が最高値だったのに。俺とミノに体の中でなにかしらないところでなにかが起きているのか。 帰りにまたしても書店により白血球について調べると2万〜3万ほどでなければそんなに心配しなくてもいいらしいが 10月のがんセンターでの定期血液検査では問題なかったのにどうなっているのか、18日のがんセンター外来で先生に確認して再度血液検査をお願いしよう。 |
術後669日 03年12月18日 運命の日は・・・・・・ |
今日はがんセンター外来である。車から降りる際に財布はといつも入れて置くボードの中をみるとない。 財布がない。こんなこともあると思い常に免許証のなかにへそくりを入れてある。しかしこの金額で足りるだろうか心配になってきた。血液検査はたしか3600円位だったような気がしたが?。 外科外来で先生に会社での健康診断結果を見てもらい白血球の数9800に対しては、そんなに心配しなくても大丈夫らしい。しかし、もう一度血液検査をお願いする。 そして、今日の本来の目的は術後2年目のCT検査と胃カメラの予約を取ることである。。 そして運命の日は 2003年12月25日 今回の血液検査の結果が解るの日 2004年01月22日 CT検査 2004年02月05日 胃カメラ検査 この検査で問題がなければ完治と見なされるもう少しだよミノ。 採血をして会計を終わらせ院外薬局で薬を貰い清算するとなんと残金が24円であり危なくセーフだった。 |
術後676日 03年12月25日 サンタさんから素敵なプレゼン |
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サンタさん、素敵なプレゼントありがとう。ハッピークリスマスだよミノ。 |
術後682日 03年12月31日 大晦日 |
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術後683日 04年1月1日元旦 運命の日まで後30と6日 |
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0 、「新年 明けましておめでとうございます」とテレビではみなさん新年を祝っている。はたして、2004年はどんな年になるのかなミノ そろそろ眠ろうj除夜の鐘を子守唄にして。素敵な初夢が見れるといいなミノ。朝、目覚めると朝日が昇る方面の空は厚い雲に覆われており2004年元旦の初日の出は拝めそうにない感じである。しかし、もしかすると、と思い車を走らせてみたが日の出時間になっても雲は無くならず、諦めて家に帰る。しかし、これ以降はいままでにない暖かい元旦になった。 そして、お寺に年頭の挨拶に訪れ入院中に【闘病ではなく従病にて歩む】という言葉を教えていただいたOさんと1年ぶりにまたお会いでき再会を喜び、お互いに近況など報告しあう。 そんな中で、なんとOさんは昨年の9月に腸閉塞を患いがんセンターに2週間程入院されたという事であり、お互いに注意しなければと話す。 その後、かあちゃんとY神社に初詣にでかけ祈祷をお願いして帰ろうと外に出るとものすごい参拝者の数に驚いてしまう。拝殿前の石段で参拝者を制限している光景を見てしまう。 こんな光景はいままで見たことがなくただただ驚くばかりである。
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術後685日 04年1月3日血が滾る 運命の日まで後30と4日 |
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また、夜テレビで「ブラックジャックによろしく」〜涙のがん病棟編〜という番組が放送された。すい臓がんが肝臓に転移してしまった患者(良江)と、ある末期がん患者(まどか)に対する治療方法で苦悩する研修医のドラマだった。 あまりこの様なお涙頂戴ドラマは好きではなく興味がなかったが妻の知人でドラマと同じすい臓がんで2002年に手術されたが昨年末に51才の若さで亡くなられた方がおり、何故か他人事とは思えず最後まで見てしまった。 ドラマの内容はさて置き、ドラマのなかである末期がんの患者まどかに研修医が「あなたは、死ぬのは怖くないのですか」と質問したときの患者の「なんでそんな質問するの」と言った場面が妙に印象的であった。そして抗がん剤を使用しその副作用に苦しみながら少しだけ延命することが本当にいいことなのかなど少し考えさせられたドラマではあった。 |
術後684日 04年1月4日ラッキーカラー運命の日まで後33日 |
自己紹介にも書いてあるがかあちゃんは風水を結構信じており部屋のあちこちに幸運をもたすらしい物などを置いておく。俺はあんまりそのようなこと は 気にしないたちだが、たまたま昨年の年末にラジオで2004年の風水のラッキーカラーと方位の話をしていた内容と母ちゃんが言うことが同じであった。 2004年のラッキーカラーは、ミルク色、赤、黄色、の3色でラッキーな方位は東と、西らしい。フショッション業界などはこれを参考にして流行色など決めているらしく。そんなことを聞いてしまうとますます****そうであるがひとつだけ気にしてしまう項目がある。それはやはり健康運である かあちゃんいわく(雑誌をみて)、今年の俺の健康運は悪くはないらしいが3月下旬、5月中旬、7月中旬、10月上旬、11月下旬に気運が低下するので注意が必要らしい。はたして当たるかどうかは神のみぞ知るである ところで、今日かあちゃんは真剣に部屋の風水替えをしていた。 |
術後687日 04年1月5日仕事始め 運命の日まで後30と2日 |
今日は2004年の仕事初めであった。また、いままでの生活のリズムが戻ってきた。正月休みになってからいささか不摂生?な食生活を過ごしていたのでこの辺で少し修正しなければ。ところで冬になったというのにこの暖かさはどうなっているのだろうか。昨日もすばらしい快晴の天気であった。昨年の日記では今日は吹雪寒いと書いてある。この暖かさのおかげで脂肪が少ない私とミノにはとても助かっており、ホッカイロのお世話になった日はいままで3日しかなく経済的にもおお助かりではある。昨年の冷夏に続き今年の冬は暖冬になるのだろうか? |
術後691日04年1月9日逆流さん年始 運命の日まで後28日 |
深夜、喉の奥に激しい痛みとヒリヒリ感を感じて目ざめる。時計を見るとam2:00を少し回っていたと思うがなんと逆流さんが年始の挨拶にきた。昨年は早朝に多く遊びに来たが2004年の年始は深夜であった。 せっかく新年の挨拶にみえられたので、もてなしてやりたいが正月の三が日も終わり、おせち料理もなくなってしまったので、しかたなく、あったかい牛乳とアクエリアスでもてなしたところ、逆流さんは正月からおいしいものばかり食べていたらしく、とても喜んでもらいました。そして久しぶりなのでとても機嫌がいいようでミノと俺は眠らず1時間ほどお相手しました。 帰り際に他のお友達の事を尋ねられたので、みなさん元気ですと返答しておきました。そういえばコロさんからは年賀状もいただいておりません。元気なのでしょうか。つかえさんもここ2週間ばかり遊びにきておりません。 ただし、ダンさんは頻繁ではありませんが時々遊びに来ており年始の挨拶にもみえられました。 実は、2日前に夜食(プリン)を食べてから一時間位で眠ったが問題がなかったので昨夜も眠る一時間ほど前にプリンとお菓子を少し多めに食べてしまったことが原因かも。自業自得である |
術後692日04年1月10日騒がしい一日運命の日まで後27日 | ||||||
早朝からのあわただしく遊んだ一日の最後の仕上げはなんと夕食時に食べ初めて5分位で久しぶりにつかえさんが遊びにきました。無理やり嘔吐して 楽になりました。ミノも疲れたのでしょうか。(-_-) |
術後694日04年1月14日カイロの日・運命の日まで後20と3日 |
今日はこの冬一番の寒気団が日本に上陸し日本中がブルブルと震えぱなしだったようだ。新潟県もようやく冬がきた感じである。今日の最高気温が1℃で昨日は3℃であった。 術後いろんな後遺症を体験中であるけれど、この寒さ超過敏症には我ながら呆れるほどである。とにかく寒がりになってしまった。なさけないくらいである。こうなるともうカイロのお世話なくして冬は乗り切れない体であり、今日は一日中両手の指先が痺れたような感覚に襲われ両手首にカイロを貼って仕事をしていた。また、カイロのお世話になるときの最高気温は10℃を目安にしている。この最高温度より高い場合はお世話なし、以下のときはお世話になっている。 これも低コレステロールのお陰(^^♪ あれほど熱い湯が嫌いで「からすの行水」だったのが、いまでは熱い湯が好きになり長風呂になっってしまった。また、冬はウエストが夏よりも3センチ大きくなってしまう。悪玉でも善玉でもよいので脂肪がほしい俺とミノでした。(^・^) |
術後695日04年1月15日前から後から・運命の日まで後22日 |
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暦とは良くできているものである。1月6日の小寒から1月20日の大寒までの期間が一年の中で一番寒い時期であるという。まさに昨日、今日などはそんな感じである。今日も新潟県は冬型の一日であった。しかし最高気温が2℃で昨日から比べると1℃も高い訳である。たった1℃であるが暖かく感じてしまう。朝道路に凍結した雪は融け渋滞は無くなり走りやすくなった。 ところで、カイロの件で今朝かあちゃんと口論になる。口論の原因は寒いときカイロを腹に貼るか背中に貼るかなのだが、かあちゃんは腹に。 俺は背中にと分かれてしまった。かあちゃんいわく、へその下あたりにつぼがありそこを暖めると寒くないとの事。確かによく知られていることであり一般的には腹である。しかし、昨年の冬に腹にカイロをした時どうもミノの具合が良くなかった。それ以来冬は背中に貼っている。他の人はどんなかは知らないが胃を切った俺とミノには合わない常識である。とかあちゃんに一言 蛇足
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術後697日04年1月17日今日は何の日・運命の日まで後20日 |
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せっかくの休日なのに、早朝の5時過ぎに逆流さんが遊びに来てしまいました。何時もなら、牛乳とポカリでもてなすのですが今日はもう眠れないので、もてなしはなし、にしたところしばらくして帰りました。 ラジオを聴きながらふと時計を見るともう少しで5時46分になるところです。 なにかラジオ(民放)からのメッセージでもあるのかなと思っていたがなにもなく女性アナウンサーのばか笑いだけが聞えてきます。 9年前の5時46分 そうです。あの、阪神大震災が起きた時間です。そして6433人の尊い命が奪われた日です。 ちょとラジオを聞きながらむっとしてしまいました。黙祷くらいはやってもばちがあたらないのではと思うのは俺とミノだけかな。ラジオを消し黙祷です。 新聞やテレビは朝から防災に関する話題ばかりで少しうんざりです。 でも、富士山が爆発しないうちに登っておかなければと思ったりして(^_^;) また、各新聞社が阪神大震災の追悼の集いの記事をWedページにのせていました。そして今日も多くのコメンテイターの話やテレビの画像や新聞の活字よりもこの写真のほうが説得力があるように思えてしまうのは俺とミノだけか?たとえ、創られた演出であっても。 ところで、今日は何の日 実は俺が25年前にスキーの一級検定に合格した日です。 そして、23年前に俺に似て不器用な次男が生まれた日でした。 |
術後702日04年1月22日2年目CT検査・運命の日まで後15日 |
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今日は第二関門である2年目のCT検査の日である。 そして外科外来と花粉症対策で耳鼻咽喉科も受診する。 昨晩の天気予報ではこの冬またまた第一級の寒波が22日から日本を襲うらしく日本海側は大荒れの予報を報じていており、外れることを願っていた。(昨日は大寒だったのでこれ位はしょうがないのかな) しかし、朝目ざめるとしっかりと雪が積もっておりがっくりである。 雪のため少しは渋滞があると思い、いつもより一時間程早く6時45分に自宅を出発する。いつもなら、50分位みれば十分な道のりであるが新潟市に入ってからは動かないどうにも進まない。なんとがんセンターに到着したのが9時10分。50分の所を2時間と30分もかかってしまった。CT検査の予約時間9時30分にギリギリセーフであった。今日一日の体力をCT検査の前に使い切った様な感じである。 こんな大荒れの日はキャンセルが多くあり順番が早まるかと思いきや新潟県人は律義な方がおおいらしくて、しっかりと予定時間を30分過ぎてから検査していただく。そして、外科外来と耳鼻咽喉科の待ち時間に二人の年配の方の小さな出来事がありました。。 一人目の方は、外科外来中待合での出来事である。 かなり年配のご婦人が初診だったらしく一人で病院にきて診察が終わり、ナースさんから血液検査、CT予約、胃カメラ予約の説明を聞いていた。 ナースさん 「解りましたか。」 ご婦人 「そんなにたくさんいろいろ言われてもさっぱり解りません。」 ナースさん 「じゃ血液検査の受付でまた聞いてください。」 と言うような会話が耳に入ってしまった。 もう、説明の段階でこのご婦人の返答はすでに誰でもわかるぐらいであった。 俺だって始めての病院でたてつずけに説明された時は解らなかった。 詳しいことは知らないしその場しか見ていないのでなんとも言えないが すべての人に同じマニアル通りの説明でいいのだろうか。 もっと違った説明の仕方、または方法があるのではないか? ベテランらしいナースさんと思われるが。 たとえば、メモ用紙に順番を書いてやるとか。メモの内容はこの方は次は○○です。など 受診時にインフルエンザの予防注射の2回目を2月にお願いしたところもう、がんセンターにはワクチンの在庫がなくなっておりできないと言われる。なんと昨年の12月上旬にはもう在庫がなくなったらしい。 あらためて昨年に予防注射を受けておいてよかったと安堵する。 外科の受診が終わり耳鼻咽喉科の待合フロアーでまた30分ほど待っているときの出来事である。 二人目の方は かなり年配の男性で耳鼻咽喉科の診察に見えられた方である。 ナースさんに自分の名前を呼ばれこの方はナースさんにお礼を言って診察室に入って行かれた。ほんの数秒の仕草やナースさんと話すことばに嫌味がなく俺みたいな田舎もんの中年おじさんでは到底真似のできない何かと他の患者さんともちがった【品】がありました。この「品」は氏や育ちではない素晴らしい人生をおくられてこられたような雰囲気を持っている男性でした。 その方が診察が終わりフロアーにもどってきてしばらくしてナースさんが次回の予約の説明をした。 ナースさん 「次回は3ヵ月後の3月○日ですね。」 男性 「はい、解りました。その日まで生きていられたらね」 と大きな声で返答をしました。 これは本心なのか、それとも彼なりのBLACK HUMORなのかは知らないが 俺とミノも含めフロアーにいた人達からかすかな笑みがこぼれ重苦しい待合フロアーの雰囲気が一瞬明るくなりました。 いまの日本は世界一の長寿国になったらしい。しかし俺の知っている範囲やテレビに出てくるご老人のほとんどはほんとうに素敵な老人が少なくなり、ますます老いてなおも心醜くなってきているように思えてならない。 こんな事を思っている俺も将来はもっと醜い老人になるかもしれないが。 などと思いを巡らせてながら受診と会計をすませ薬局で薬をもらい家路に向かったが地吹雪で道路は大渋滞しておりでいっこうに進まい。本来なら、こんな渋滞は大嫌いであるが今日はコンビニで食べ物を買ったりデジカメで写真を撮ったりして渋滞を楽しみながら帰ってきた。
CT検査の結果は2月5日に解る。そしてなにも問題がないようにミノと一緒に祈る俺でした。 |
術後703日 04年1月23日 はめまら ・運命の日まで後14日 |
はめまら とは 「は」 とは「歯」である 「め」 とは「目」である。 「まら」 とは「男性の○○」 先人の教えの中には、なかなかいい言葉がたくさん残っているがこれも良くできた諺である。この言葉の真意は人生において年々年をとるに従い衰えていく体の器官の順番をよんだ諺である。 胃切除後の食事に関して必ず「よく噛んで食べましょう」少し前までは「100回とか50回とか」言われていたので俺も残ったミノ為に一生懸命噛み噛みしてきた。しかし、昨年の年末に親知らずが疼きだして年始になって遂に20年ぶり位に歯医者さんに行く羽目になっってしまった。(歯だけは丈夫に生んでくれた両親に感謝していたけれど) 歯医者さんにかかった記憶の中には、歯が痛くてという覚えがなく現在も虫歯はあると思うが痛くなることはなかったがまさか親知らずが疼くとは。 20年前の歯医者さんのイメージでいまでも鮮明に覚えているのは、自分の治療ではなく小さい子供さんの治療風景である。長男と同じ年齢位の泣き叫ぶ子供の体をネットで固定し動かないようにそばで母親と助手が手で押さえつけて治療しており、とても見るに耐えられなかった記憶がある。他人の子供でさえこうなのだから、ましてこれが自分の子供だったら俺は絶対に無理だな思った。そしてやはり母親は強しであった。 そんな記憶しかない20年前の歯医者さんではなく、今回は新しく開業した歯医者さんに行き親知らずの疼きはとりあえず薬を処方してもらったがこの際に他の悪い箇所も治療してもらう事にした。 先生の話では年相応の歯であったらしく少し安心する。また、短期間に集中治療をおねがいしたところ予約が週1回しか取れないので結構なが〜〜〜いお付き合いになるらしい。帰りに今後の治療の予定表なるものまでいただき、また余計な診察券が増えてしまいショックであった。 wedで歯についての勉強なんかを、したりしていったが最初の頃の治療は20年ぶりで緊張してしまい、ただただなされるままでいた。しかし4回目位になるとすこしばかり余裕がでてきて周りが見えてきだした。 老若男女が大口開けて治療されている光景はなんともはや「まぬけづら」であり情けなき様はこの上ないものである。若いころ好きだった山口百恵さんも、もし歯の治療をしたらこんな大口開けていたのだろうか。絶対見たくない光景である。その代わりに小泉首相は見てもいいかな。 また、先生の助手として働いている歯科衛生士のみなさんは結構若い女性が多いが男性の見方などはどうなのだろう。 たとえば、木村拓也(娘に聞いたところ全ての年代女性に人気があるらしい) のような美男子で歯がぼろぼろで口臭がする男性と、ぶ男でも歯はぴかぴかでさわやかな男性がいた場合どちらを選択するのだろうかなどとバカなことを考えながら治療をしてもらい痛みをやわらげている。 よく、痛かったら左手をあげてくださいと言われるが手よりも声が先に俺は出てしまうがみなさんはどうなのかな。 こんな事を考えながら今日で4回目の歯医者さんであった。 おまけ この歯医者さんの歯科衛生士さんや助手さんはみなさん若くてとても綺麗な方ばかりで目の保養になってます。 |
術後705日 04年1月25日プチダイエット・運命の日まで後12日 |
2002年2月6日。あなたは今日より5年以上生存できる確率は95パーセントですよ。と先生から告げられた時、じゃあ残り5パーセントはどうなるんだろう。もし、5年以内に再発した場合は何年生きられるのか。と自分の寿命のついて悩んだ頃から2年が過ぎようとしている。 今日のNHKスペシャルで【寿命2004年いのちの旅】という番組があり世界の平均寿命についての放送があった。 まずは、世界で一番平均寿命が短い国はアフリカ西海岸にあるシエレオネという国で平均寿命が34,0歳らしい。この国はなんと稲作が盛んだったらしいがダイヤモンドの鉱脈が発見されてから欲と欲の奪い合いで内戦が10年以上づづいており栄養失調や病気で子供の4人に一人が5歳まで生きられないという飢餓の国。 次の取り上げられた国はロシヤであった。 ロシアはこの10年で、男性の寿命が5,3歳も短くなってしまった。その原因は社会の急激な変化に適応できずストレスになりいままでの価値観や常識が意味をなさなくなり目標や生きがいを持てなくなったために早死するらしい ストレスの国 人は、目標や生きがいをなくすとこうも簡単に弱くなるものなのか。 次は世界で一番の長寿国である日本で沖縄男性の寿命が伸び悩んでいる。原因は動物性食品の過剰なまでの摂取などに見られる食生活の変化による肥満が原因らしい。その肥満に関しての肥満大国NO1といったらやっぱりアメリカである。その肥満大国のなかでも、ウエストバージニア州では自分の胃を切除する人々が後をたたないらしい。肥満の国 笑っちゃいます。さすがアメリカである。ここまでやる。よくぞやってくれた。 いま世界の先進国でもっぱらの話題は健康とダイエットである。マスコミでこの二つを話題を取り上げない日は無くテレビで○○が健康にいいと放送されるとたちまちスーパーの売り上げに反映される。まるでテレビによってみなさんトリックにかかっているようなものである。 そしてダイエット番組も花盛り。わたしはこれで痩せました。私はあれで痩せました。女性の美に対する執念は凄まじきものである。そんなに痩せたければ胃を切ったらなどと冗談を言っているが、あと数十年もすると女性のダイエットでは胃の切除方式が一般的になり、私は一泊2日で5キロコース。私は10キロコースなどと手軽ににできるプチダイエットが常識になっていたりするかも。などと思いながらアメリカの胃を切除する画面を見ていた。 番組は最後に、ますます寿命は伸びていくらしく世界中が老人ばかりになってしまうのではないかと余計な心配をしてみたが、はたして俺とミノもそのお仲間にいれていただけるのでしょうか。心配です。 |
術後708日 04年1月29日権利と義務・運命の日まで後8日 |
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吹雪のなか、がんセンターに往復で5時間かけてCT検査に出かけた日から寒気君が日本に居座り、冬型の天気が続いていたがようやく去って久しぶりに太陽が顔をのぞかせた一日であった。ここ一週間、書店にも寄らず帰宅していたが久しぶりに路面の凍結などの心配がなくなり寄ってみる。 書店の駐車場は思ったより混んでおり皆さん考えることは同じらしい。 いつものように店内を散策してみたがこれといった購買意欲をそそる本が無い。そんななか、いまテレビで放送している山崎豊子著「白い巨塔」の単行本が発売されている。あらすじを知っていたので別に気にも止めなかった。 しかし、今日あたりから、医療裁判関係の場面に向う事もあり少しは興味があったのでなにげなく第5巻を手に取り読んでみた。そして最後に解説ページ を読んで驚いてしまった。
噴門がん!!そして肺転移。これは一大事である。他人事ではないではないか。佐々木庸平は噴門がんで胃の全嫡手術だったが俺とミノの場合も最初の病院では全嫡と言われた経過がある。そしていままで他の臓器に転移は見られてはいないが、今後もまったく転移が無いという保障は何処にも無く、術後肺炎で再入院したりしているのですくなからず心配している。そんなこともあり今後のストーリーよりも噴門がんに関する事柄に興味が沸き第5巻のみ購入する。 原作では最後、財前五郎は過労などで胃がんになり亡くなってしまい、自分の体を今後の医学のために検体として大学に提供する。 きょうはその「白い巨塔」がある木曜日である。あまりテレビは見ないがこの番組だけは第一回から必ず見ている唯一の番組である。 また、この頃の番組は訴訟や慰謝料がどうてらこうてらなどと自分の権利ばかり主張する番組が大流行らしいが、そんなに権利ばかり主張していていいものなのか。権利の反対語は辞書で義務とでてくる。どちらが先かは「卵がさきか鶏が先か」ではないが本来は権利と義務はfifty-fiftyではないのか。 高校の卒業間際に先生が話された「権利と義務」についての話がやけに新鮮に思える今日この頃である。 |