9月のはじめの頃でしょうか、とてつもなくすばらしいケヤキの材料を持ってきて「仏像を彫ってくれ」との依頼をしたお客様がいました。さっそく真保成孝氏に彫刻をお願いする事になりましたが、お客さんの予算の関係であまりたいした彫刻ができそうになかったのです。「そのご予算でしたらどうしても線彫り(かかれた図柄のとおりに彫刻刀でなぞっていく彫り方)になってしまいますね」それでお客様にも納得してもらって作業を開始しました。
まずは真保氏が何も疑問無く線彫りできるように私が仏像の写真から図面を起こして、それを材料となるケヤキに転写しました。ここまでが私の仕事、後はその線通りに真保氏が線彫りをしてくれれば完成となるはずだったのですが....(ここら辺までの経過は「9月のつぼげんのぼやき」でも書いておきましたが)
「これはどこに飾るものか」
「なにやら仏間に飾るらしいですよ」
「そうか」
簡単な会話を真保氏としたあと、真保氏はいきなり荒削りのノミと玄翁を持ち出してがんがんと深く彫り始めた。「あっ」と思ったが私はその場では何もいえなかった。彼の真意が何となんとなくわかったから.....
しばらく作業を続けたところで社長が様子をうかがいに来たが、案の定ビックリした。「真保さんその彫りは立体になっているじゃないですか!今回の仕事はぜんぜん予算をもらえなかったから、そんなレリーフ調の彫りはできないんですよ」しかしあらかたの粗彫りが進んだところでは、もうどうにも止まらない。
「この材料のケヤキを見なさい、こんないい木はもうお目にかかれないかもしれない。それにこれは仏間に飾るのだろう、そんな線彫りみたいな半端なしごとはできん。お金の問題ではない」
やはり私の思ったとおりだった。素材としてはあまりにもすばらしすぎるケヤキの木。真保成孝の作品として後世に残るようなものを作りたかったのだろう。
それから作業が始まり1ヶ月が経とうとしているが、まだ完成が見えてこない。その間にできることといったら今回のお客様をつれてきて、事情を説明して作業を見てもらい、納得した上での代金値上げを交渉することくらいだ。ありがたいことに、お客様には多少の上積みを納得してもらうことができた。もっとも上積みぶんをすべて真保氏に渡しても、彼の手間賃が大赤字であることには代わりがない。
そんなことは全く気にせず、今日も真保さんは一心不乱にノミをふるっている。写真を撮るのもはばかれるような状態だが、じゃまにならない程度に撮った写真を掲載します。
写真をクリックしてください、大きな画像でその技をご覧になれます。
しにせの墨壺(すみつぼ)工房で三年間ほど修行してから独立したとき、真保さんは知人に号を付けてもらった。名前から一文字取り、成孝(しげたか)。大成するようにとの願いが込められていた。
以来、三十年あまり。その腕の確かさを「成孝」銘の墨壺を一手にさばいている。三条市の会社「坪源」の栗山茂代表は次のように言う。
「ノミがすっきり走ってるんです。そばで見ていてこっちがイライラするほど、緻密に彫っている結果です」
ひところより減ったものの、三条市内には墨壺を作り、売る店が十軒ほどある。この町で栄えた刃物製造業に寄り添って、これまでも何十人もの職人が墨壺作りに携わったが、真保さんは指折りのてだれだという。
どんな風に彫るかを見るために作業場をのぞいた。
木くずがいっぱい散らばっている。しんと静かだ。何よりおどろいたのは、外科手術のメスのように同じ向きに並べられたノミ、彫刻刀の数の多さだ。複雑な造形を施すときは、五十本以上を使い分けるという。
材料はケヤキ。丸太から四角に切り落とし、余分なところを落とし、ひたすら龍やツル、亀の模様を彫っていく。むろん、線引きという墨壺の本来の用途を損なわないように。墨を入れる墨池の比べ、透かし彫りにする糸巻車の部分の方が格段に難しい。
透かしの技術を磨くために、真保さんはひまさえあれば、三条周辺の古い寺、神社を回り、高い欄間(らんま)の彫刻を観察している。
(全日写連会員 平沢 正光)
作業のじゃまにならぬように真保成孝氏の作業風景を撮影しました。 この並べられた膨大な数のノミや彫刻刀を自在に使い分けながら作業が進んでいきます。