毎朝、登校後に始まる2年生のビオトープそうじ。暴や網で、広がった藻や落ち葉を集めています。ビオトープは「自然に近づけた状態の人工的に創り出した」自然環境です。たった、これだけの広さなのに、その環境を維持するには人間による「手」が必要なことを感じていると思います。
人の手が自然を育ててきた(変えてきた)
子供たちを取り巻く自然環境も似ているところがあります。作家の司馬遼太郎さんの著書「この国のかたち」(文藝春秋)の中で、次のようなことを述べられています。(概略のみ)松という木は根元に落葉があるとうまく育たない。反対に、ブナやナラなどの広葉樹は、落ち葉でふかふかになった状態でないと育たない。日本に稲作が入ってくると、煮炊きをする関係で、人々は山の中に「燃料」として、枝木や落ち葉を集めに入り始めた(二宮金次郎さんも、その一人)。たくさん人が山に入るようになると、木々の根元が「きれいになり」広葉樹は育たなくなった。そこに、松の木が広がり始めた。
豊かな自然というものの、自然と人との深いつながりを感じました。
須田小学校の校舎改築当初、地域の皆様から(繁栄を祈念して)寄贈された沢山の松の木も、だいぶ減りました。教育も自然のままの状態では育ちません。手を加え続けなければならないものだと思います。今日の子供たちの姿を見て「次の一手」の必要を強く感じました。