心にも種類がある ~ 道徳は、自分の心の探検です!

 

 

 

 

本日、中越教育事務所の指導主事を招聘した道徳授業研修会がありました。隣接校ということで須田中学校からも多数の参加がありました。授業を公開したのは、5年1組成田学級の子供たちです。
「ロレンゾの友達」という教材文を使って、思春期に当たる高学年児童の「友達観」を広げることを意図した授業です。と言うのも、子供たちにとって、友達とは「困った時~してくれる存在」「一緒に遊んだり協力したり励まし合ったりする存在」です。
ただ、これは、「何でもかんでも一方的にしてもうらう(してあげる)」だれか友達が言ったからなんでも一緒にやる」につながり易いです。
ここに焦点を当て、「友達のこれからのこと」を考えて「波風が立つ」行為をすることも、相手を「信頼」し「友情」にあたること、子供たちが友達と話し合ったり、ミニ劇(役割演技)をしたりしながら、少しずつ、自分自身の心を「探検」しながら学び合う授業でした。

「心」という言葉は漠然としていますが、いろいろな「顔」をもっています。
・感情としての心 … うれしくて笑う、顔で笑って心で泣く等、単純なものから複雑なものまで。
・器官としての心 … 「心を育む」「心を鍛える」等、心を存在するものとして意識
・「裏」としての心… 心=「うら」という読み方があるように、風の音を聞いた時「なんとなく」感じる
【出典】「ダンゴムシに心はあるか」(森山徹著 PHPサイエンスワールド新書 2011 p32ー36)

これでも「漠然さ」が残る「心」。今回の授業を通して、なおさら、子供のいろいろな面をじっくり見て受け止め理解していくことが、大人に求められていると思いました。たった1回の言動を取り上げて「決めつける」のではなく、長い視野で見つめる努力をして参ります。