6年道徳「米百俵」の子供たちの姿から学んだこと

先週の6年生の道徳授業で使われた資料「米百俵」は、とても有名なお話です。なにしろ、以前の総理大臣が国会の所信表明演説の「シメ」に使った内容ですから。

道徳の授業で考えるのは、とても価値があるものだと思います。

◆結末を知っている「私たち」が、結末を知らない「当時のひとたち」の行為を問うことから、何に気付くか
歴史の結末(現実)を知っている「私たち」が、「こうすればいい」と言うことは簡単です。結末を知っているからです。でも、その「私たち」も、日々選択・決断の際に悩みます。「先が見えない」からです。「米百俵」を藩士に配らず、学校作りに使う、という発想自体は当時としては「あたりまえ」ではありません。だから、納得するはずもありません。
「米百俵を配る」ことを主張した人たちの考えの方が、「あたりまえ」です。例えば、自然災害後に送られてきた支援物資を配るのをやめて、これで将来のために使おうと主張している人が出てきて、「そうだな」と考えるでしょうか?
「いや、後々のひとは理解してくれるはず」と納得するでしょうか?

このように考えてくると、道徳(その他の教科学習でも同じですが)の授業では、「自分は~と思う」という「自分がいいと思ったことを選ぶ」発想で考えても、「それぞれよい考え」と拡散した授業の終わりになるか、堂々巡りの議論になります。

 ★大事なのは-
 「自分の考え(の正しさ)」を主張することから、一歩前に出て、「何が正しい(考え方)か」まで考えること
※大人は、「何が正しい」なんて考える時間はありません。目の前の仕事を時間通り仕上げなければなりませんから。でも、子供のこの時期こそ(たっぷり考える時間があり、将来にわたって生きてくる経験が貯金できる)、身に付けるべき力だと思います。

◆「自分の正しさ」を伝えるのではなく、「何が正しい」のかを伝え合う
須田小学校では、「対話」が成立するために、3つの「対話ツール」を2年前から指導しています。少しずつではありますが、授業の中で「意識」しながら活用する姿が見られるようになってきました。ただ、お互いが納得し合うところに少しでも近付くまでには至っていません。そのためには、現状の「3つ」では足りません。「3つ」のツールは、まだ個人レベル「自分の考え(の正しさ)」だからです。

1、理由を言う(だってね。~だから)
2、例を出す(たとえば、~するといいでしょ)
3、まとめる(いろいろ言ったけど、つまり~なんだよ)

上の3つは、学習の内容(教科書に書いてあること)ではありません。全ての学習のベース(根っこの学力)になる「学習の方法」です。自然に身に付く力ではありませんから、毎時間の授業や生活場面で、繰り返し「指導」しないと、身に付きません。

海外(特に、欧米)では、長い歴史の中で様々な考え方をする人たちとかかわる必要から、「学習の方法」を指導すること自体が大切にされてきました。まさに、「生きる」ための力です。でも、どちらかと言うと、お互いの「納得」ではなく、相手を「説得」することが重視されてきました。つまり、「自分の正しさ」を相手に認めさせることが目標です。100%認めさせようとすれば、「自己チュー」です。

今から150年前の「文明開化」の頃、盛んに日本に輸入され、今から約70年前(戦後)からは、さらに強く輸入されました。

◆たくさんの考えを整理する(~と~は似ている 違うね)

先生が、黒板の前で「説明する」授業では、子供たちから「たくさんの意見は出てきません」最近の須田小学校の子供たちには、「たくさんの考え」を発表し合う姿が多く見られるようになりました。子供たちは、授業で考える課題(◎;二重丸と言ってます)に対して、一生懸命考え、発言したりノートに書いたりします。これを「自分の(考えの)正しさ」レベルと名付けるとします。この段階は、すでにクリアーされつつあると思います。問題は、その先の「何が正しい(考え方)か」レベルに進むことだと思います。
たくさん出てきた考えを整理(まず、教師がお手本を示す)して、「考えが対立しているポイント」を整理することを授業で指導することを保障していかなければと思います。
「米百俵」につなげれば、「将来の長岡のための人づくりに使う」(小林虎三郎)と「飢えに苦しむ当時の藩士のために使う」(藩士たち)の考え方には、明らかに価値観の違いがあります。子供が「立ち止まる」場面を作り、「何が正しい」のか、様々な考えを整理する力が必要です。
それには、自分以外の友達の考えの土台となっている(理由や根拠)を比べる力が必要です。

 ◆子供の思考に「振れ幅」を作る
小林虎三郎の側に立った場合、「目の前の問題だけを考えるだけでなく、物事を決めるには、先を見ることも大切だということに気付かされる。ただ、現に目の前には飢えに苦しむ人たちがいる。特に子供やお年寄りなどへも配慮もしながら物事は進めることも大事だと考える。」という、思考の振れ幅を作られることが大事です。

 また、藩士たちの側にたった場合、「目の前の人の命を守ることは最優先に考えなければならない。ただ、限られた米を一部の人たち(武士とその家族)だけに生かすことは正しい考え方だろうか? 一般の人にも目を広げて考えなければならないと考える。」という、思考の振れ幅を作られることが大事です。

小規模校は「考えや交友関係が広がらない」という言葉をよく聞きますが…そうでしょうか?

 これは、いわゆる「大規模校」でも同じ課題を抱えています。どんな規模の学校でも、子供の考え方や人間関係をを広げるための具体的な指導やしかけをしなければ解決しないと思います。「子供の数」だけで解決する問題ではありません。

※須田小学校では、2018年度「第18回ちゅうでん教育振興助成」を受けながら、授業の改善に取り組んでいます。「改善」とは、「できること」を実現していくことを意味する言葉です。全校児童96名という須田小学校は、最も教育効果を生み出す学校規模です。全校の子供がお互いの顔と名前を知っている理想的な環境です。

 2学期もあと1ヶ月です。これまで、教員同士で互いの授業を見合い・学び合うことから明らかになったことや、12月に予定している保護者アンケート結果を参考にしながら、子供の考えを高めるための、須田小らしい「どこでも・いつでも・だれでも」できる授業スタイルを示していきたいと思います。