「公正公平な対応が望まれる」など、最近「公正公平」という言葉をよく目にします。でも、公正公平とはどんなことなのか、意外とはっきりしません。平等とも似ているようで違います。
1学期の地区懇談会の際にお話しましたが、(塀のせいで、野球のし合いが見えない3人の子供たちに、踏み台をどう配るか?)
平等…結果とは関係なく、同じものが提供される。
公平…結果が同じくなるように、必ずしも平等には提供されるとは限らない。
連日メディアで報道される「アメリカの中間選挙」では、おおざっぱ言えば、平等は共和党、公平は民主党、という分類になるそうです。
どちらが正しいと一方に軸足を置くか決めるかは難しいです。
さて、今日の3時間目、3年生の道徳授業を参観しました。
いつも自慢話をする級友を面白く思わない友達と、ついいじめ(仲間外れ、無視、物隠し)をしてしまった主人公が、どうすればよいのかを考える授業でした。
子供の考えが拡散しないように、4つの選択肢をグループで役割演技(ミニ劇)をしながら、よりよい行動(考え方)を学ぶものでした。
【4つの選択肢】
・いくら自慢話をされても、いじめはよくないからしない
・いじめをしたことを友達に相談して解決する
・いじめをしたことを先生に相談して解決する
・いじめにならいなように、気になったこと(自慢話など)は、すぐに本人に伝えて理解し合う
子供の判断は4つに分かれ、一つにはなりませんでした。
話を「公正」に戻すと、実生活での子供たちの様子をみると、「相手がいやなことをしたら(悪いことだから)、やり返すことは(正義)になる。」という、いわゆる「言い合い、やり合い」の傾向が見られます。そんな子供たちが、つい相手に嫌なことをしてしまう「弱い自分」に負けないことに意識を向けていくことが重要であると思いました。このことは、子供だけでなく、大人にも当てはまります。考えさせられる授業でした。