6月は、新潟県が全県をあげて、いじめへの取組を振り返る強調月です。須田小学校でも、今日3時間目、全校集会「フレンドパーク」を行いました。各学級のいじめへ強い決意を示す宣言の発表、仲良しゲームを行いました。
子供たちには、自分たちで決めた宣言が「いつでも、どこでも、だれにでも」できたら、須田小学校は素晴らしい学校になる、と話しました。そのために、「心の物差し」の話をしました。
長い物差しほど様々な物の長さを測れるように、心の物差しも長ければ、いろいろな人のよさが分かり生活が豊かになります。
心の物差しの長さは、「すき」「きらい」で決まります。「すき」なことしか受け付けなければ伸びません。もし、0㌢だとすると、それは「鬼」です。鬼は人間の心の中に棲む醜い心とみられていました。自分以外は嫌いで存在は認めない心は鬼です。
では、どうすれば、心の物差し伸びるのでしょうか。「愧」という感じがあります。「はずかしい」という意味だそうです。漢字の左側に忄(りっしんべん)があるように、自分の心に「鬼」の心があるか考えること、つまり、「自分の考えていることに間違いはない」と簡単に決めつけず、「もしかしたら」と反省する(はずかしい)心をもつことが大事です。今まで、面倒そうに思ったことを「ちょっとやってみよう」とか「あの子、なかなかいいところあるね」など、ちょっと立ち止まって振り返ることで、心の物差しはどんどん伸びていきます。
しかし、折角のびた物差しも、「ふざけた」「ちょっとだけ」と安易な気持ちですると、たちまち物差しはぼろぼろになってしまいます。具体的な例をあげれば、今年4月仙台市で起きたズボンおろしです。尊い命を失うことになりました。ズボンおろしは、とても卑怯ないじめだということも指導しました。
心の物差しをぐんぐん伸ばしていけるよう、全校教職員で同じように感じて行動するための取組をして参ります。