昨年度末(3月)から始まったSASAGADAカップ(須田小ドッジボール大会)も、今回で3回目を数えることになりました。
今回の出場チームは、3年(1チーム)、4年(2チーム)、5年(1チーム)、6年(1チーム)の合わせて5チームのトーナメント戦になります。学年差を考慮したルール上のハンデはありません。しかし、ゲーム対戦中の配慮は、これまで多々見られました。
明日31日に抽選会、一日挟んで、6月2日(金)13:05開始です。ご都合がつかれる方は、是非応援をお願いします。
昨年度末(3月)から始まったSASAGADAカップ(須田小ドッジボール大会)も、今回で3回目を数えることになりました。
今回の出場チームは、3年(1チーム)、4年(2チーム)、5年(1チーム)、6年(1チーム)の合わせて5チームのトーナメント戦になります。学年差を考慮したルール上のハンデはありません。しかし、ゲーム対戦中の配慮は、これまで多々見られました。
明日31日に抽選会、一日挟んで、6月2日(金)13:05開始です。ご都合がつかれる方は、是非応援をお願いします。
今日、歯科検診がありました。虫歯・歯肉炎、歯磨きの仕方について、丁寧に診て頂きました。
歯科医さんからは、丁寧な歯磨きを行うことが大切と強く指導して頂きました。
学校では、歯磨きだけでなく、生活習慣全体に視野を広げた取組を行って参ります。
小中交流あいさつ運動、いよいよ今日が第1回目の最終日でした。今日は4年生と中学生が一緒になって「ハイタッチあいさつ」をしました。
この活動を「ホップ」にして、次は奉仕作業が6月にあります。地区毎に分かれ、中学生をリーダーにした活動です。「ジャンプ」にあたる活動です。
小雨の中での小中交流あいさつ運動3日がありました。今日は、3年生の子供たちと中学生が玄関前に立って「ハイタッチ」あいさつをしました。「しっとり」という言葉がびったりのあいさつでした。自然な声質のあいさつは、かえってお互いの心を穏やかにします。
かたわらの一人一鉢エリアでは、2年生の子供たちが、ベゴニアの花に一生懸命に水やりをしていました。
「雨が降っている時なんだから…。」というのは、大人の感覚だと痛感しました。1年生の朝顔、3年生のひまわりの芽は、双葉へと成長しつつあります。
昨日に続き、小中連携あいさつ運動がありました。今日は、1年生と6年生も中学生と一緒に児童玄関前に立ち、「ハイタッチ挨拶」をしました。中学生の中には、昨年度の卒業生も1名いました。すっかり中学生らしい表情でした。
学校だより2号をアップしました。
主な内容は
・巻頭言 ~ 挨拶から始めるキャリア教育 ※1枚の写真は、小中交流あいさつ運動のワンショット。
・須田小いいね ~4月末から5月中旬の期間の主な出来事
・5年生の田植え体験(児童作文)
・図書室の整備(児童作文)
・須田食堂(須田小学校の食育)~5月22日の「加茂軍議」特別メニューについて
・6月の主な予定
今日から小学校で、須田小・須田中の子供たちがあいさつ運動をします。今日は、6年生が中学生と一緒に、登校してきた下級生に「ハイタッチ」あいさつをしていました。小学校1年生と中学校3年生の身長差は、約50センチ! 身長差を超えた笑顔がこぼれていました。
5月22日(月)給食は「加茂軍議」メニューでした!
白米、ます塩焼き、干しかぶとたけのこの煮物、車麩の味噌汁 という、当時では贅沢な献立です。暑い調理室の中で、さらに「煮物」中心のメニューを栄養士さん、調理員さんから作っていただきました。
【加茂軍議とは?】
この日、幕末(1868年5月22日 但し旧暦。今の暦だと7月10日)、官軍によって長岡城を奪われた長岡藩士 河井継之助、6年生の子どもたちが修学旅行にいく会津の藩士、米沢藩(今の山形県)、桑名藩(会津藩の殿様と兄弟)、村上藩、新発田藩、村松藩などの藩士が、加茂町に集まり会議をしました。
当時の加茂は、越後では中核となる商人のまちでした。長岡藩の河井継之助が金銀の両替で莫大な利益を得て、あのガトリング銃を購入できたように、加茂の商人も潤沢な利益をこれらの藩の軍事作戦に援助していました。
加茂軍議の中身とは、官軍(薩摩藩、長州藩、土佐藩)と抗戦(つまり戦う)か恭順(つまり従う)かでした。当初の会議の流れは「恭順」でした。加茂の町も、他の藩と同様に「恭順」「抗戦」で分かれていました。しかし、長岡城を官軍に奪われた河井継之助が村松藩の裏切り(実際はない)を疑い詰め寄ると、会議の流れは一気に「抗戦」に変わり、その後の長岡城奪還に繫がります。
歴史上、「加茂軍議」と呼ばれる会議が、その後の会津の歴史も変えていきます。つまり、長岡城を取り戻すために、会津からも多くの藩士が加茂、そして長岡へと進軍しました。本体の会津若松城を守るべき藩士も多く越後の地に来ていました。そして、ついには、若い「白虎隊」までが戦いに……。
歴史に「もし」は禁物ですが、もし、「恭順」になっていたら、長岡の町は燃えず、あの「米百俵」は届けられなかったかも? 会津藩の白虎隊の悲劇も起きなかったかも? 全ては妄想ですが。
6年生は、事前に会津と加茂についての関わりについて総合学習で調べます。
給食と一緒に写っている地図は、「越後国細見図」(天保13年 1842年)で、幕末の越後の様子が描かれたいます。よーく見ると、お箸の先が加茂です。須田地区の地名も見られます。
図書委員会の子供たちが、委員会の時間を使って、須田っ子の読書量をまとめました。中には、4月からで30冊をすでに読み終えている子供も見られました。
1週間当たりの読書量を計算してみました。全校で週2冊ぐらいでしょうか(5月17日現在)。図書室の整備も進みます。学校だけでなく家庭でも、どんどん本に親しんでほしいです。
快晴の空の下、職員玄関の傍らの花のプレゼントが置かれていました。華やかでいっぱいの花弁を見ていると
元気がもらえます。本当にありがとうございます。”元気の素”を、子供たちや来校者にお裾分けしたいと思います。