人生は「我慢」の連続である

                      平成二一年一月二十六日(月)

                      五泉市  吉原 東玄

テーマ 「我慢」=本来は仏教語。自己の中心にがあると考え、そのをよりどころとして心が驕慢(きょうまん)であること。

「忍鎧(にんがい)」=永平寺修行時代に役寮さんから頂いたお言葉。

 

「我慢」はおのれを頼んで心のおごる煩悩。自らをたのむ慢心のことで、仏教界ではの七慢一つとされている。

【七慢】

  ① 劣った他人に対して自分が勝っているといい、等しい他人に対して自分は等しいという「慢」。

  ② 等しい他人に対して自分が勝っているといい、勝っている他人に対して自分は等しいという「過慢」。

  ③ 他人が勝っているのに対して、さらに勝るという「慢過慢」。

  ④ 我あり、我が所有ありと執着しておごり高ぶる「我慢」。

  ⑤ いまだ悟っていないのに、我れは証得しているという「増上慢」。

  ⑥ 他人がはるかに勝っているのに対し、自分はわずかしか劣っていないという「卑慢」。

  ⑦ 悪行をなしても悪を頼んでおごり高ぶる「邪慢」。

 

仏教では「我慢」という語は悪しき意味でもちいられてきた。ところが、我が強いということで負けん気の強いことを意味するようになり、次第に頑張りがきくこと、辛抱することを意味するようになった。

 

● 近くの町を中心に大地震が起きた年、良寛が知人にあてた見舞い状の一節

 

  「 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候

    死ぬ時節には死ぬがよく候

    これはこれ災難をのがるる妙法にて候

 

 このとき、良寛は七十一歳。災難や死はまぬがれようとしても、できるものではない。自然の法則に身を任せようという心境が手紙から読み取れる。