「月の兎」のお話から
平成二十二年十二月十七日 加茂法話会
一、
月の兎
「月の兎」のお話
帝釈天がお腹をすかし老夫の姿をして山道を登り、猿と狐と兎が仲良く暮らしている所にやって来ました。そして、食を求めたところ、狐は魚をくわえて来て捧げ、猿は美味しい木の実を採って施しました。しかし、兎は何も獲物をとれず、火中に自分の身を投じて老人に供養しました。帝釈天はその心に感動し、兎の魂を月に運び、月の中に兎を表して、その尊い徳行を後世に伝えたというのであります。
◇新大久保駅乗客転落事故 二〇〇一年一月二十六日
泥酔した利用客が転落したのを目撃した韓国人留学生と日本人男性が即座に救出作業にあたったが、三人とも列車に轢かれて死亡した。
自分の命まで捧げたという部分だけ見ると、私たちには中々受け入れがたい面があるかと思う。しかし、その意味を深く考えると、結局、我々人間は各々の生涯(命)を何に捧げるべきかということにつながってくるように受け取れる。
二、
我々人間は各々の生涯を何に捧げるべきか
「勝手に好きなことでもやって、どんなに長生きしてもそれは意味がない。それはただ自分勝手なことをして生きたというだけで、本当に授かった命を生きたことにはならない。むしろ自分の要求を捨ててしまって、この身ぐるみ全部を他人のために使い尽くしていくのが本当だ。我々はいつ死ぬかわからぬが、要するに人のためになったというだけが人生の意味だ」 沢木興道 聞き書き
三、
この度の大震災。未曾有の被害。地震・津波・原発事故。
両大本山の春季授戒会も中止に。
四、
ただ世の中が生滅を常に繰り返しながら刻々と移り変わってゆくことをしみじみと観ずる心も菩提心と言うのである。→無常を観ずる心を菩提心と言う。
五、
菩提心をおこすというは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願し、いとなむなり。
六、
他のために生きることが自らの悦びになる。
東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌