仕えるということ

定光寺 乙川文英

平成221124日 加茂法話会

道元禅師

正治21200)年119日生。

建長51253)年828日寂。

 

孤雲(こうん)懐奘(えじよう)禅師

建久91198)年生。

18歳の時、比叡山横川(よかわ)の円能法印について出家

奈良多武峰(とうのみね)に上って仏地房覚晏(かくあん)(日本達磨宗大日房能忍の弟子)に参ずる

建仁寺に道元禅師を訪ね師事することを求める。

文暦(ぶんりやく)元年(1234)、深草に再び道元禅師を訪ね弟子入り。

興聖寺最初の首座となる。

興聖寺から越前へ、常に道元禅師に随侍する。

建長5714日、永平寺2世となり、文永4年まで15年間住持をつとめる。

文永9年、永平寺に再住。

弘安31280)年824日寂。

『正法眼蔵』『宝慶記』書写、『道元和尚広録(永平広録)』編集、『正法眼蔵随聞記』著述。

 

『伝光録』(第52章=懐奘禅師章)より

聴許(ちようきよ)ありしより後、相随ふて一日も師を離れず、影の形に随ふが如くして二十年を送る。

(中略)

師資(しし)(どう)合し心眼(しんげん)(ひかり)交はり、水に水を入れ、空に空を合するに似たり。一毫も違背なし。

(中略)

永平の法席(ほつせき)を続(つい)で十五年の間、方丈の傍らに先師の影を安じて、夜間に珍重(ちんちよう)し、暁天(きようてん)に和南(わなん)して一日も怠(おこ)たらず。世世(せせ)生生(しようしよう)奉侍を期し、卒に釈尊(しやくそん)阿難(あなん)の如くならんと願ひき。

尚ほ今生の幻身(げんしん)も相離れざらん為に、遺骨をして先師の塔の侍者の位に埋(うず)ましめ、別に塔を立てず。塔は以て尊を表するを恐れてなり。

同寺に於て我が為に別に仏事を修せんことを恐れて、先師忌(せんしき)八箇日の仏事の一日の回向(えこう)に預(あずか)らんと願ひ、果して同月二十四日に終焉(しゆうえん)ありて、平生(へいぜい)の願楽(がんぎよう)の如く開山忌(かいさんき)一日を占()む。志気(しいき)の切なること顕はる。