「自然のこころ」の大切さ 平成二十四年一月二十六日
五泉市永谷寺 吉原東玄
昨今、今冬の豪雪に思う。 今日は宗祖、道元禅師の降誕会である。紀元一二〇〇年(正治二年)一月二十六日(旧暦では一月二日)に山城国(現:京都)にて誕生される。
○「自」然の「分」身が「自分」である。(以前の法話会にて)
【而今の山水は、古佛の道現成なり。ともに法位に住して、究盡の功徳を成ぜり。】
『正法眼蔵』の「山水経」の巻
(訳)「ただ今私たちが目の前に見ている山や川には、永遠の仏の真理がそこに実現している。何故なら、山も川も本来の仏法世界の構造(法位)の中にある。とことんまで、山が山であり、水が水であるという現実、本質を体現している」
【 山水経 】
渓声すなわち是れ広長舌、山色清浄身にあらざること無し。
『正法眼蔵』の巻名の一。
「谷の響きは仏の説法(広長舌)であり、山そのものは仏のお 体である」という蘇東坡居士の詩を取り上げたもの。私たちは大自然の中にいると、そのすばらしさに感動すると同時に、いかに自分が小さな存在であるかを思い知らされます。これは、自然を通して自分の存在を認識する体験であり、自然から自分自身の存在の真実を聞き取ることでもある。
【 渓声山色 】
中国の文人であった蘇東坡(1036〜1101)は、廬山に到ったとき渓の水の音を聞いて、それがそのまま仏陀の説法に他ならないことを悟った故事を転じて、禅宗に於ける悟道そのものを指す言葉。
『正法眼蔵』の巻名の一。九十五巻本は九巻