孝順は至道の法なり

加茂法話会 平成十九年五月三十日

一、宮崎禅師が、授戒会でいつも御垂示されるお言葉

  「釈迦牟尼仏はじめ、菩提樹下において正覺を成じ、父母・師僧・三宝に孝順せしむ。」

 

二、来年七百回の御遠忌を迎える徹通義介禅師(一二一九~一三〇九)について

   建長五年(一二五三)七月八日、道元禅師は、義介禅師に永平寺の留守職を命じて

  「若し、存命して万が一の帰山せば、必ず紹嗣すべし。ただ、汝、老婆心なし。これ、また、自然に調うべし。汝、遺忘することなかれ。」

『大乗開山行状記』

 

 「涙を押えて畏(かしこ)まるのみ。・・義介、その後、いまだ老婆心あらずの諫め、意において忘れず」

『永平開山御遺言記録』

義介禅師は、永平寺の住職を一二六七年から、一二七二年まで勤めると、退院して、養母堂を建てて母を養うこと前後二十一年。

  「養母堂を建て、母を養うこと恰も睦州陳尊宿の如し」

『大乗開山行状記』

  *睦州道従(ぼくしゅうどうしょう)・・臨済義玄(臨済宗の開祖~八六七)の兄弟子、母が年老いたので住職を辞めて母を養った。

 

三、五月十五日の日報夕刊「なんでも通信」から

 本欄で時々掲載される方の心温まる文をファイルしています。思い切って投稿された方に手紙を出したら返事をいただき、今はペン友となりました。単調な生活に彩りを添えてくれて、楽しみが増えました。

 以前、娘に私の手紙は「くどい」と言われたことがあり、それからは相手を気遣い、さらりとした思いやりのある文を書くように努めています。

 昔うつ病になり、死の誘惑が頭をよぎった時、ひとすじの明かりが心にともりました。それは父の手紙でした。 

 五十歳で初めて生まれた子供が私だったそうです。親戚中に出した手紙の文字が喜びで躍っていたと、父が亡くなった後に聞きました。

 私のような人間でも、生まれた時に心から喜んでくれた人がいたということが、私に生きようという勇気を与えてくれたのです。命を再び与えてくれた亡き父に、心からの感謝をささげたいと思います。 (新潟市北区 黒六十三主婦)

この記事が出た同じ夕刊に、十五日午前七時頃、福島県会津若松市の県立高校三年男子生徒(一七)が若松署に切断した母親の頭部を持って自首するという事件が載っていた。

 

四、 「朝起きたら、仏壇に向かって、線香をまっすぐに立てて、『ご先祖様、私を生んでくださって有難うございます。』とお唱えし、体をまっすぐにして坐りなさい。体がまっすぐになると心がまっすぐになり、心がまっすぐになると思うことがまっすぐになり、思うことがまっすぐになると言うことがまっすぐになり、言うことがまっすぐになると行うことがまっすぐになる」

 

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌