平成十九年正月十五日 加茂法話会
一、昨年十二月の乙川文英師のお話から
蘆匡道老師が、二十代前半で住職となって、檀家総代の娘さんの葬儀を勤めた。
その後で、
「和尚様、慈悲深いお力によって、弔いをしていただきましたが、私の娘はいったい死んでどこへ行ったのでしょうか。それを教えていただき、私も安心したいと思います。」
いろんな経説を引用して説明をしたが、
「そんな説法は私にもわかります。そうではなくて、あなたが引導を渡した仏がどこへ行ったかを説明してほしいのです。」
二、平成六年に亡くなられた吉澤正五氏の思い出
昭和三十六年から、六十年まで、連続六期白根市長を勤められた。
昭和三十六年八月、蒲原平野を襲った大水害の折「政府米土嚢事件」
東龍寺二十世黙拳是笑方丈様の大恩。本山修行の私に、手紙と差し入れ。
■逆縁の不幸にみまわれる
昭和五十四年 初孫の一志君が水死。
昭和六十二年 奥様がガンで亡くなる。
平成元年 次男の慎治氏が胸の動脈瘤破裂で亡くなる。
奥様の七回忌の折り、「私は誰よりも深く信心してきたつもりだ。それなのになぜ何度も何度もこのような目にあうのだろうね。」
私は、「市長さん、あなたは誰よりも深い信心をお持ちじゃないですか。その力で乗り越えていってください。」それが精一杯の私の答えだった。
三、昨年あるお寺の檀家さんがお参りに来られ、「昨年、娘がガンで亡くなった。今年、その連れ合いが、脚立に載って、庭木を剪定をしているときに過って落ちて亡くなってしまった。私は、梅花講にも入っているし、信心深いつもりだが、何が間違っているのでしょうか。」
「あなたが悪いんじゃない。そんなめぐり合わせは私たち人間にははかし知れるものではない。今、如何に生きるかが大切。信心をもって乗り越えていってもらいたい。」
四、「私のような者でも、悟れるでしょうか」
「あなた、わたしのようなもの、などと言ってはいけませんよ。あなたも釈尊と同じ、永遠に続く心の持ち主ですから」
臨済宗妙心寺派三島龍澤寺 中川宗淵老師
五、私たちが亡くなった人たちとどう関係を持つのか、あるいは死者が私たちにどういう形であらわれてくるのかという現象学的な問題、あるいは死者とどういう関係を結ぶかという関係性の問題として考えるべきであって、死者が実在するか否かという問いは、問いの立て方として間違っているのではないかと私は考えるのです。
東京大学教授 末木文美士
六、亡き師を通じての小生の思い
東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌