平成十八年七月二十四日 加茂法話会
一、パネルディスカッション 「お寺に望むこと、檀信徒に望むこと」
その後、長崎県塩屋老師の法話
塩屋老師が、『皆さんに求めるものはない。私が変わればよい。』
「ラジオ体操からスタートして、折角お寺に来てくれたから、掃除をしてもらったり。お礼にお菓子をやったりしたら。何かできることがありませんか。お勝手の手伝いをしてもらった。それが今でも続いている。檀家数も増えました。」
一、「私の日報抄」 吉田朱里 新潟市・小学生
六年の総合学習で、「ふれ合おう、学び合おう」というテーマで一年間、学習してきた。それは、私にぴったりな言葉だと思った。私はふれ合うことも、学び合うことも、めったになかったからだ。
今から一年ほど前。三学期に、新津第三小学校に転入してきた。私は当時五年生だった。前の学校の友達との別れをゆっくりおしむ間もなく、初めての学校、初めて会う人たち、初めて見る教室など、初めてなことばかり待ちかまえていた。
友達ができるかどうかという不安がとても大きかった。教室へいくといろんな人たちが話しかけてくれた。そのときは、当たり前に友達が話しかけてくれるものだと思っていたが、一週間ほどたったある日、なんだかさびしい感じがした。
誰も話しかけてくれなくなっていたのだ。自分から話しかけようと思ったけど、じゃま者かな、などと感じてしまい、話しかけるのがこわかったのだ。そんな時クラスのAさんに言われた。「積極的にならないと、友達はできないよ」と。
その日以来、私は変わった。そして、「ふれ合おう、学び会おう」の意味が分ったように思えた。お互いにふれ合って、何が大切なのかを学びあうことだと気づいた。今はそれを心にきざんで、積極的にふれ合っている。あんなに内気だった私はその言葉や、友達のおかげで、今は楽しい生活を送っている。
小学校を卒業したらみんな別々のクラスになるけれど、中学校に行っても、ちがう学校の人たちや小学校の友達とも、バランスよく、仲良くふれ合いを続けようと思っている。
一、しるべし、海の水を辞せざるは同事なり。さらにしるべし、水の海を辞せざる徳も具足せるなり。
正法眼蔵・菩提薩?四摂法より
海と水がまじりあうように、自他同一なる教えが、同事。
それは、お互いがお互いを拒まない生き方。
一、『お寺しつけ合宿人気』→『お寺おしつけ合宿』?
子供のしつけは家庭の役割とされ、多くの場合は親が担ってきた。今は核家族化が進み、共働き家庭が増え、しつけの重点が家庭から学校へと移行してきた背景がある。
先ず、親が変わらないといけなのではないか。
一、私自身も特定の檀家の皆さんだけでなく、広く自分から、出向いて行って、お話をできる場を作るように努力していきたい。
東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌