六年ぶりの先住忌を迎えて

平成十八年三月十七日 加茂法話会

一、四月三日、亡き師匠の正當二十三回忌を迎えます。

当山廿一世是戒弘道大和尚  正當廿七回忌 昭和五十五年三月八日
聖籠町網代浜の網本、渡辺家出身。
母は、小生の母と実家が同じ新潟市河渡の佐藤家。母の兄弟が小和田家へ婿にいかれた。
東龍寺二十世黙拳是笑大和尚の弟子。
何人かの弟子の中で、真面目で裏表のない祖父を田巻様が新発田市高蔵寺から、迎えた。
晩年は、達磨や様々の絵や書に親しんだ。
兎に角、物を大切にし、粗末にしない方。
尋常小学校しか出ておりませんが、博学でした。
当山廿二世中興天盈昭光大和尚  正當廿三回忌 昭和五十九年四月三日
種月寺四十世天涯独園大和尚の次男。大学時代に養子に入る。世寿五十七歳。
中学・高校の教師を長年(〜昭和五十五年まで)勤める。
十七回忌の折、中興を戴く。
小生に一度も僧侶になれとは、言わず、好きな道を歩めと大らかに見守ってくれた師匠。
当山十六世巨嶽玄海大和尚  来歳壹百回忌  明治四十一年十一月二十三日
最後は、越後四カ道場の古刹・村上の耕雲寺住職になられた方。弟子が五人。
位牌が御祀りしてなく、この度、お上げした。
当山廿一世令室弘山善麗禪尼  去歳廿三回忌 昭和五十八年三月五日
田上町上野の中野家出身。若いころは助産婦として活躍。世寿八十六歳。
私が本山で一番苦労しているとき、危篤と葬儀で二度帰してくれた。
禅鏡寺二世台屋明鏡尼和尚  去々歳二百回忌 文化二(一八〇五)年一月十六日
東龍寺八世流泉一東大和尚(一七六〇年遷化)の弟子。
禅鏡寺の実質の御開山ではないと思われます。平成十二年に東龍寺に合併。
禅鏡寺十世中興是眞昭英尼大和尚 去歳十三回忌 平成五年四月十日
東龍寺廿一世の弟子、世寿七十八歳。実家は、田上町下吉田、椿鉄弥家。
本山から帰ってすぐに師匠を亡くした小生の師匠代わり。小生のお経の節が祖父に似ているといわれる。それは庵主様がおられたから。

一、供養とは
  その原語は、古代インドの「プージャナー」で、“彩る”あるいは“供える”を意味し、尊敬に値する人に敬意をもって、香・花・灯明・飲み物・食べ物・薬や衣服をなどをささげる事。
  お経(十地経)では、
  @利供養 亡き仏様に対するまごころを形に現す供養。
  A敬供養 亡き仏様への感謝の気持ち、敬いの気持ちを真心でお供えする。
仏前を荘厳し、読経などで賛嘆すること。形のない真心をお供えする。
  B行供養 仏法を受け止めて修行し、毎日の生活をささげる。
故人の真心の思いを日々の行いの中に生かしていくこと。

一、松原泰道老師(明治四十年生れ)のお言葉
   亡き人の徳を高めて差し上げることによって自分の心も耕すことができる。それが子孫に善い種を蒔いていくことになる。

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌