平成十七年十二月十六日 加茂法話会
一、日報抄から 十二月十五日付け
耐震強度偽装問題の国会証人喚問を聞きながら、人間不信が募る自分が怖かった。だれが正しいことを言っているのか分からない。先月末の参考人質疑と同じく、言い分がかみ合わない
▼偽装が始まってから少なくとも七年。この間に大地震が首都圏を襲っていたらと思うと、背筋が寒くなる。次々と崩壊したマンションやホテルの惨状が目に浮かぶ。「地震を時限装置にした大量殺人未遂」と言ったら言い過ぎだろうか
▼経営コンサルタント、設計事務所、検査機関、建設会社。偽装の渦中にいた関係者の責任のなすり合いははあまりにも醜い。安全神話が音を立てて崩れている日本を象徴する光景だ
▼黒沢明監督の映画「羅生門」で千秋実さんが演じた旅法師の嘆きは、こんな世界だったのだろう。「来る年も来る年も災いばかりだ。しかし、今日のような恐ろしい話は初めてだ。今日という今日は、人の心が信じられなくなりそうだ。これは盗賊よりも、疫病よりも、ききんや火事や戦よりも恐ろしい」
▼旅法師は人殺しをめぐって関係者の話が食い違い、真相がやぶの中に入っていく情景に慨嘆したのだった。「人という人が信じられなくなったらこの世は地獄」というせりふが胸に迫る。本当に怖い社会になった。子どもを標的にした相次ぐ事件に、「道を聞かれたら逃げるように」という指導が始まっている。
▼親切心よりまず人を疑ってかかれと言わざるを得ない環境が、子どもの心に落とす影が心配だ。人間不信の芽を摘み取る、社会の力量が試されている。「人間が信じられなければ生きていけない」。羅生門に託した黒沢監督のメッセージである。
二、あの人にも この人にも 太陽にも 空気にも
まもられて いきているわたしたち
みんなを信じよう
どんな人にも 美しいことば あたたかいことばで 話しかけよう
ほとけさまは 底ぬけに わたしたちを 信じていてくださる
ほとけさまのねがいのなかに 底ぬけに 人を信じる人間となろう
福島県青少年教化協議会
三、仏さまの願いとは
十二月八日 お釈迦様は、成道(ジョウドウ・・お悟りを開く)されています。
『縁起の法・・世の中のすべてのものは、相互に関係し合い、和合して存在している』
この教えを苦悩する人々に伝えたいという願いを持たれ、実践された。
四、「今年の漢字」は「愛」。「日本漢字能力検定協会」が十二日に発表した。
生命科学者の中村桂子が、「生きるとは生命を愛(メ)ずること」
「愛ずる」とは、よく見つめてそのものを知ると本当にかわいくなる。
赤ちゃんをしっかり抱いて、相手のことを本当に分かる。
「よく観れば ナズナ花咲く 垣根かな」芭蕉
東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌
一、霊魂を実態のあるものとして考えているかどうか、実行力のあるものと語るようであれば、なんとなく怪しいぞ。 先月の乙川師の法話で
二、古代インドでは梵我一如という考え方があった。
宇宙全体を梵(ブラーフマン)として、私たちの体の中に我(アートマン)という清らかなものがある。霊魂とも言う。それが肉体という穢れたものに覆われている。そのために様々な苦しみが生まれる。だから、このけがれた肉体がとれれば、梵我一如になれる。それで、肉体を虐めた。苦行を行なった。梵我一如を理想とした。体を痛めつければ痛めつけるほど。ブラーフマンと一体になることが出来ると考えた。
しかし、道元禅師は、このこころはアートマンのような物ではない。わが身の中にあるのではない。わが身は心(ブラーフマン)の中にあるのではない。
道元禅師も、梵我一如思想を否定した。「凝然にあらず。」凝然とは、こういう凝り固まった物の事を指す。
仏教では霊魂が実態としてあることを否定している。人間の中に魂のような塊があって肉体が滅びると亦別の肉体に宿っていくという考え方を否定した。
角田泰隆師第五回眼蔵会「発菩提心」
三、作家の深田祐介氏は、仏教信徒から、キリスト教信者に改宗。
「そもそもあなたは神様がいらっしゃるとおもっているのか。」
「おもいます。」
「なら神様はどこにいらっしゃるとおもうんだ」
「私の胸の中におられるとおもっています。」
そして、洗礼を受けるときに、神父は
「日本人は形のとらわれ過ぎる。心の状態は誰にもわからない。神はわが心の中におられるのだ。」
四、駒澤大学佐々木宏幹先生の『死者と同事』で、「近代の学問仏教が、死者安心を不安定なものとしてしまった」と言われる。死んでどこへ?が答えられない坊さん。学識のある坊さんほど答えられない。葬儀の危機。 (蛇足88号より)
五、「この法(自受用三昧)は人人の分上にゆたかにそなわれりといえども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし」 正法眼蔵?道話
六、永平寺貫首 宮崎奕保禅師が、耕泰寺様の開山忌法要の御垂示で
「私たちは何の為に生まれてきたのか。
報恩供養の為に生まれてきた。しかしほとんど人が忘れている。
「釈迦牟尼仏、無上正覺を成じ、初めて菩薩の波羅提木叉(ハラダイモクシャ)を結し、父母、師僧、三宝に孝順せしむ。孝順は至道の法なり、孝を名付けて戒となす、亦制止と名付く」
東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌
お釈迦様がお悟りを開かれて、心あるものも心ないものも私が悟ってみると、すべてが仏の智慧、徳相を備えていた、と申されたのです。「波羅提木叉」とは戒法のことで、人間として生活する上で最も大切な規則です。そしてそれは、父と母、正しい教えに導いてくださるお師匠様、仏法僧の「三宝」に孝行することが「波羅提木叉」であると示されました。孝行が戒法であり、そこに心を落ち着け自分本来の姿にたちかえることを「制止」と申されたのです。
自受用三昧…仏陀が自ら悟った法楽を、自ら受用する境界。
耐震強度偽装問題の国会証人喚問を聞きながら、人間不信が募る自分が怖かった。だれが正しいことを言っているのか分からない。先月末の参考人質疑と同じく、言い分がかみ合わない
▼偽装が始まってから少なくとも七年。この間に大地震が首都圏を襲っていたらと思うと、背筋が寒くなる。次々と崩壊したマンションやホテルの惨状が目に浮かぶ。「地震を時限装置にした大量殺人未遂」と言ったら言い過ぎだろうか
▼経営コンサルタント、設計事務所、検査機関、建設会社。偽装の渦中にいた関係者の責任のなすり合いははあまりにも醜い。安全神話が音を立てて崩れている日本を象徴する光景だ
▼黒沢明監督の映画「羅生門」で千秋実さんが演じた旅法師の嘆きは、こんな世界だったのだろう。「来る年も来る年も災いばかりだ。しかし、今日のような恐ろしい話は初めてだ。今日という今日は、人の心が信じられなくなりそうだ。これは盗賊よりも、疫病よりも、ききんや火事や戦よりも恐ろしい」
▼旅法師は人殺しをめぐって関係者の話が食い違い、真相がやぶの中に入っていく情景に慨嘆したのだった。「人という人が信じられなくなったらこの世は地獄」というせりふが胸に迫る。本当に怖い社会になった。子どもを標的にした相次ぐ事件に、「道を聞かれたら逃げるように」という指導が始まっている。
▼親切心よりまず人を疑ってかかれと言わざるを得ない環境が、子どもの心に落とす影が心配だ。人間不信の芽を摘み取る、社会の力量が試されている。「人間が信じられなければ生きていけない」。羅生門に託した黒沢監督のメッセージである。
生きるとは生命を愛ずること ▽生命科学者 中村桂子 5月
中村桂子氏(生命誌研究館館長)が命の話で 10月
「愛(め)ずる」とは、よく見つめてそのものを知ると本当にかわいくなる。
赤ちゃんをしっかり抱いて、相手のことを本当に分かる。
「よく観れば ナズナ花咲く 垣根かな」芭蕉
よく観るとかわいくなる。