お悟り(思いやり)は、無常を観ずる心よりおこる

平成17年5月30日 加茂法話会

 

一、 菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願し、いとなむなり。(自未得度先度他の心)

 

菩提心とは、無常を観ずる心である。

今、この時、生きていることの有り難さを感じることによって、菩提心(自未得度先度他の心)がおこってくる。

一、 北海道斜里町の鈴木章子(あやこ)の「おやすみなさい」と題する詩

 

「お父さん ありがとう また あした 会えるといいね」

と手を振る。

テレビを観ている顔をこちらに向けて

「おかあさん ありがとう また あした 会えるといいね」

手を振ってくれる。今日一日の充分が胸いっぱいにあふれてくる。

 鈴木章子さんは乳癌を患い、肺から脳へと転移し、四十七歳の若さで世を去られた。その二ヶ月ほど前、自宅で静養されているときのこと。御主人が「夜、知らないでいるうちにお前が息をひきとったら困るから、同じ部屋で寝る」というのに対し、章子さんが、

 「あなたが同じ部屋で寝てくださっても、いざというとき一緒に死んでいただくこともできないし、代わって死んでいただくことも、死を延ばすこともできない。一人でいても二人でいても同じこと。それよりお父さん、子どものためにも体を休めてほしいから、二階と下と、別々に寝ましょう」といって、別れるときのようすを詠んだのがこの詩。

一、 「そのうち」 相田みつを

 

 そのうち お金がたまったら

 そのうち 家でも建てたら

 そのうち 子どもから手が放れたら

 そのうち 時間のゆとりができたら

 そのうち ・・・・・・・

 そのうち ・・・・・・・

 そのうち ・・・・・・・と

 できない理由をくりかえしているうちに

 結局は 何もやらなかった

 空しい人生の幕がおりて

 頭の上に淋しい墓標が立つ

 そのうち そのうち 日が暮れる

 いま きた この道 かえれない。

一、
「私が無駄に過ごした 今日という日は 昨日亡くなった人が 痛切に生きたいと願った一日である」

 

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌