結制に 臨んで | ||
平成十六年九月二十九日 加茂法話会 | ||
東龍寺住職 渡辺宣昭 | ||
一、 | 首座法戦式(しゅそほっせんしき)について | |
東龍寺では、平成十三年縁あって、住職の弟子となりました横浜市出身の高橋道昭を第一座の『首座(しゅそ)』に据えて、九月十一日(土)の坐禅会から、十二月十一日(土)の坐禅会まで、三ヶ月間の結制(けっせい)修行を行っております。 特に、十月十日(日)には、首座法戦式を行います。インドから、中国そして日本へと伝わった禅の教えを首座が住職に代わり、質問形式で解き明かしていきます。問と答を何べんも繰り返していく形から、これを法の戦い、法戦式と言います。 これには次のような故事があるのです。 むかし、お釈迦様の高弟に迦葉尊者(かしょうそんじゃ)というお弟子様がおられました。王舎城の富豪の子でありましたが、身を慎むことに厳しく、いつも粗末なお袈裟を身につけていたので、他の人々の中には侮る人もいました。 ある時お釈迦様は、王舎城とナーランダーの中間にあるバフプトラ塔にお弟子たちとおられた時に、迦葉尊者の修行の深さをお誉めになり、自分の座を半分わかち与えて、自分の代わりに説法をさせられたという故事にならうものです。 |
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二、 | 結 制 | |
九旬安居の制を結ぶこと。特に中国唐の時代に多くの禅者が江西・湖南を中心に教線を展開したことから、江湖会とも称する。 | ||
三、 | 江湖会(ごうこえ) | |
天下の禅僧が集まり、修行する意で、結制安居のこと。南嶽下馬祖道一は江西に住し、青原下の石頭希遷は湖南に住し、天下の禅僧がこの二師のもとへ往来安居したために、この言葉が生まれたという。 | ||
四、 | 安 居(あんご) | |
安は、身心を静止の状態にすること。居は一定の期間を定めて住すること。
インドの雨季三ヶ月は、諸方に行化できず、またこの期間に発生する草木・小虫などを殺生しないように、仏弟子はこの期間中一箇所に集合して禁足し、坐禅修学する制が設けられた。これによって一夏九旬・九旬禁足・結制安居・結制等と称する。 |
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五、 | 「挙す、僧、青原に問う、如何なるか是れ仏法の大意。 原云く、廬陵の米、作麼の価ぞ。」 農民たちが、汗水たらして農耕して、働いている姿のほかに、仏法の大意は ない。どうあがいても在るのは現実の日常、これから逃げ出すことはできない し、これを置いてどこに仏道があろうか。 「頌に云く、太平の治業に象(かたち)なし、野老の家風至淳なり。只管に村歌社飲す。那(なん)ぞ舜徳尭仁(しゅんとくぎょうじん)を知らん。」 天下泰平のときは政治が行われている痕跡すら人々には見えないのだ。村人 は春秋の社日に豊作を祈願し、あるいは収穫を感謝し、飲めや歌えのしあわせ を謳歌する。 そんな彼らは、かつて皇帝の舜や尭が徳政仁政を行ったことも知らないし興 味すらない。それと同じく、道の人は、仏も法も信も忘れ果てて天下泰平だ。 |
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禅宗七祖南嶽懐譲禅師の墓塔 | 青原山浄居寺へ向かう車窓から | |
青原山浄居寺山門前にて | 七祖青原行思禅師の墓塔前にて、 講師の池田先生(駒沢大学教授)と |