良寛様の思いを現代に(人権意識について)
平成十五年十一月二十六日 加茂法話会
一、七月十六日の私の法話「自他一如 心の二人三脚」
「 心の二人三脚〜自閉症児と級友たち
自閉症児と健常児がともに学ぶ武蔵野東技能高等専修学校の一年
バディ・・・健常者と障害のある子供がペアを作り、共に学んでいく。
N・Mさん・・小学五年から一言も話をしなくなる
M・Rさん・・自閉症
徐々にお互いを思いやり、周りへも心を開いていく様子。」
七月の法話で、私は、NHKが番組の中で使ったから、大手を振って使ってもかまわないだろうと、N・MさんとM・Rさんをそのまま実名で法話に使い、HPにも載せました。ところが、先日メールである方から、生徒自身の名が番組に出ることに抵抗があったのではないかとの指摘を戴きました。丁度、良寛様のことで、人権意識について考えさせられたところでしたので、自分の無神経さを反省させられました。
二、良寛様(一七五八〜一八三一 世寿七十四歳)
非人八助
金銀官禄還天地 金銀官禄天地に還る
得失有無本来空 得失有無本来空なり
貴賎凡聖同一如 貴賎凡聖同じく一如
業障輪廻報此身 業障輪廻この身に報ゆ
苦哉両国長橋下 苦しいかな両国長橋の下
帰去一川流水中 帰りゆきぬ一川流水の中
他日知音若相問 他日知音もし相ひ問はば
波心明月主人公 波心の明月主人公と
非人という言葉は安易に使える語句ではないが、歴史的な記述であるのでそのまま使用。
三、晩年、六十九歳から、和島村木村家(遷化の地)の薪小屋を掃除してもらって住む。
所定めず托鉢行に出かけ、疲れると帰ってきて、戸を閉じ坐禅を組んで、寝食を忘れるほど修行に明け暮れて過ごした。
当主の二女「かの」が結婚するとき、嫁ぐ娘の心得を良寛様に書いてもらった。
「上をうやまひ 下をあはれみ しやうあるもの とりけだものにいたるまで なさけを かくべき事」
逸話から、たくさんのシラミを日向ぼっこさせて、また自分の懐中にいれたという。
「蚤しらみ 音(ね)に鳴く秋の 虫ならば わがふところは 武蔵野の原」
四、墨染の わが衣手の ひろくあらば まづしき人を おほはしものを
人権意識を深くもち、生きとし生けるものすべてを愛し、救いの手を差し伸べられた
東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌