あるお祖父さんの死に想う

平成十五年九月二十九日 加茂法話会

一、不謹慎な心配事    川本優梨佳 裏面参照

年、伯母が亡くなった。その日は、彼岸の中日だった。だから、あの世からちょうどこっちに戻ってきた伯父が、ちゃんと伯母を見つけてくれて、きっと今ごろ二人でいるんだな。バタバタと葬儀の準備をしながらそう思っていた。二人は、おしどり夫婦だった。

  ふと、私の時には誰が迎えに来るんだろうと考えた。一番ありうる線は母だ。母ならば、どんなに遠かろうと私が死にかけた途端に「おっ、娘の一大事!早く行ってあげなくちゃ。あの子一人じゃ迷子になるわ」と、あわててどたどたとやって来るのが目に浮かぶ。

  母が一緒となれば、こちらとしても大船に乗ったつもりで、なんにも考えずにただあとをくっついていけばよい。しかし問題はその逆のパターン。番狂わせで、母より私が先になったら・・・・。わが家の場合はそれも大いにありうる。母は典型的なB型人間で、いつまでもけろっと生きそうな勢いだからだ。母が来てもらえないとなると、じゃあほかの誰がいるだろう。いくら思い返してみたところで、死んだ人たちの中でわざわざ私のために、よっこらしょと迎えに来てくれそうな人がいない。

  おじいちゃんだって、おばあちゃんだって、生前、たいしてなつきもせず、肩もみの一つもするわけでなく、ただ小遣いをもらうときだけ愛想笑いを浮かべていた孫など、彼らにとってみれば、かわいくもなんともないだろう。

  しかたないから範囲を広げて、昔、うちで飼っていた犬猫まで思い出してみた。でも、そのいずれも、やはり主人の私を迎えてくれるほど心が通じ合っていた関係とは言い難い。そうか・・・私には誰もいないのか。ひゅるーっと、一陣の風が通り抜ける荒野をとうとう誰の迎えも来ないまま一人でよろよろ歩いていく姿を想像し、おもわず寂しくなる。

  今まで一体何をしてきたのか。これからは、もっとまわりを大事にしよう。いや、まずは仏壇に手を合わせることから始めようかと、ひたすら反省の日々。「合掌」。

 

 

 

二、長岡西病院で、ターミナル(終末)医療に携る看護士さんと、ビハーラ僧のお話から

 「誰に迎えに来てほしいか。」という質問に、

「自分の最愛の妻や祖父母、子供などをなくした方は、それらの人たちが待っている所へ行けるという思いからか、安らかに行かれる場合が多い。」

「人は人生の最後に何を求めるのか、何か共通の特徴はありますか。」

「安心した表情を見せるのは、家族に愛されている人」

 

三、東龍寺檀家の遠間傳重氏の急逝

二十二日朝、お母さんが(せがれの嫁)が、鐘を撞きに来て、家へ帰ったら息絶えていた。実に穏やかなお顔、様子で亡くなられていた。

傳重氏は、妻を亡くし、息子さんを亡くしておられる。それらの方々の許へ、行かれるわけですから、本当に安らかは最後であったでしょうし、また、お嫁さんであるお母さんが、毎朝寺へ鐘を撞きに来て、掃除をするという尊い行いをしてくださり、梅花講で精進もされ、毎日をお参りを欠かさずしてくださっている。だから「ああ自分もお参りしてもらえるなあ」という安心感もあったことと思います。

 

四、「後は人先は仏に任せおく おのが心のうちは極楽」   

貞心尼

 

五、本日は、道元禅師様の祥月命日(旧暦八月二十八日)

  「また見んとおもひし時の秋だにも 今宵の月にねられやはする」
       一二五三年旧暦八月十五日 

京都の俗弟子覚念の邸宅にて 中秋の名月を観て 

 

六、道元禅師は、孝順の大切さを説かれた。

  生前中は親孝行をし、死後は追善供養を。

 

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌