スタートの時がゴールの時
平成十四年三月十二日 加茂法話会
一、「上山を控えて」 高橋道昭 裏面参照
二、住職より、一言
高橋聡(道昭)君は、横浜市出身で昨年春、駒澤大学を卒業した二十四歳の在家出身の青年です。
紆余曲折があったようですが、大学時代の恩師、佐藤秀孝駒澤大学教授(住職の義弟)に相談の上、東龍寺にて、昨年秋彼岸に出家得度いたしました。
その折、私は、本人のお父様・お母様の一字ずつと私の僧名「弘学宣昭」より、二字を戴き、僧名を「恵学道昭」と付けました。
その名のごとく、素直に学んで、正しい道を諦(あきら)めて、田上仏教会に新しい息吹を吹き込んでもらいたいと願っております。
三、『仏道は、初発心のときも仏道なり、成正覚(さとりの完成)のときも仏道なり、初中後ともに仏道なり。たとへば、万里をゆくものの、一歩も千里のうちなり、千歩も千里のうちなり。初一歩と千歩とことなれども、千里のおなじきがごとし。』 正法眼蔵 説心説性の巻
四、スタートしただけではダメです。走り続けなければなりません。しかし走
り続ければ必ずゴールがある。一歩一歩走るということが大切で、その一歩がなければゴールはない。
しかし、確実に走り続ける、一歩一歩を怠らずに、前に向かって踏み出し続けるという、努力があれば、必ずゴールはあるのです。千里の道も一歩から、という言葉もあります。まずは歩み出すこと、そして歩みをやめてしまわないこと。そうすれば確実に前進し、必ずや到着します。
そして、到着したときに「歩みの一歩一歩の中にこそ、到着のその時となんら変わらない大きな意義があった」ことが、しみじみと分かると思うのです。だから、一歩一歩が大切で、学ぶということ、学び続けるということ、そして実践するということ、実践を怠らないということが大切だ。
五、「私の思い」
・歩むべき方向を誤らないこと。
正しい道とは、何か。よくよく考えて。「自未得度先度他。」
・生涯で歩める道が千里なら、道昭が初一歩、私が千歩。いずれも千里のうち。ともに精進を怠らず歩みたいもの。
・一歩一歩の歩みの中に覚りがあることを信じていつもスタートの希望にもえた純粋な気持ちを忘れずに、日々仏道を行じてまいりたいものです。
東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌