如在(いますが如く)
平成十三年三月八日  加茂法話会
 
一、 今日、三月八日は、昭和五十五年に亡くなった祖父
(東龍寺廿一世是戒弘道大和尚・世壽八十四歳)の祥月命日
私を僧侶の道へと導いてくれた師。
不治の病の床で、必死に本山へ行くことを懇願。
   
二、 涅槃会のお勤めをする期間
三月十五日は、月遅れのお釈迦様の命日。お釈迦さまが、クシナガラ城に近いバッテイ河のほとりで、お亡くなりになられた日です。
東龍寺では、お釈迦さまが涅槃に入られたありさまを描いた大きな掛軸をかけ、お弟子たちが仏道を修めるために守るべき戒法(かいほう)を説き示された遺教経(ゆいきょうぎょう)というお経を一日から十五日までお勧めしている。
  お釈迦さまは、臨終の説法で「アーナンダ」よ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えと私の制した戒律とが、私の死後にお前たちの師となるのである。
−肉体は滅びても法は滅びない、法をみるもの仏をみる−
   
 
   
三、 二月六日に、九十歳で亡くなられた檀家のおばあさんと娘さんの話。
亡くなる二日前、元気な頃、母があげていたお経をあげると元気な頃草取りをしながら口ずさんでいた歌を歌った。
七日七日(一週間毎)のお経に行くと、「お経をあげていただくのが、何よりの供養になると思います。」
   
四、 「如在(にょざい)」  いますが如く、ましますが如く。
人間には不思議な力がある。
亡くなった人を追慕することによって、姿もなければ声もきけないが、その人の心の中に永遠に亡き人を生かすことができる。

『ひとたびは涅槃の雲にいりぬとも月はまどかに世を照らすなり』
   
五、 五月十一日午後二時〜十三日正午まで、眼蔵会を開催します。
「弁道話」を解説いただきます。
講師には、駒沢短期大学助教授  角田泰隆師をお願いします。
是非、ご参加ください。
   
東龍寺住職  渡辺宣昭  合掌