正法眼蔵 第二 摩訶般若波羅蜜

 平成十七年十月二十八日 於加茂法話会

[著語] 照了綿密   照了綿密(しょうはめんみつ)

[頌] 智燈照徹解陰空   智燈照徹して陰空(五蘊)をげし

什麼處人居暗室   什麼の處の人か暗室にせん

偏界不蔵誰敢疑   偏界蔵さず、誰か敢えて疑わん

摩訶般若波羅蜜   摩訶般若波羅蜜

五蘊、四大、六根等に応じて照了するところに、般若の大智慧が綿々密々、

余すところなく全現している。

大智慧の光明が、一切を照徹して五蘊皆空と解すとき、十方が照破去れて智慧光明一元のせかいとなる。

そのとき、什麼(どのような)の処や何人が暗昏々に至ることになるのであろうか。何れの所でも誰でも、譬え暗室であろうとも、みな光明の中である。

それは、偏十方法界尽虚空、蔵すことなく、明歴々として、何人も疑う余地がない。

それを摩訶般若波羅蜜という。五蘊、四大、六根等は畢竟、四枚、五枚、六枚の般若波羅蜜である。

般若波羅蜜を守るとは、頭を使ってどうこうということなしに、自分の状態を般若の状態に置くということが、正しい智慧そのものを守るということ唯一の具体的なかたちである。

「渾身口に似て虚空に掛り」風鈴は、からだ全体が口のようなかっこうを空間にぶらさがっている。

「東西南北の風を問わず」どこから風が来ても受け入れる。「チリン、チリン」と音を出す。

「一等に佗の為に般若を弾ず」どちらから風が吹いてきても、いつでも、どこでも、「般若を談ず」人の為に正しい智慧というものを語っている。

「滴丁東了滴丁東」てきちょうとうりょうてきちょうとう・ティティントウロゥティティントウ 

佛教の正しい智慧は理屈ではない。風鈴の「チリン、チリン」が般若である。

正壽寺住職 呉 定明合掌