お盆のお経について

平成十六年八月十八日 於加茂法話会

一、曹洞宗では、お盆になると甘露門というお経を読みます。餓鬼とは、プレター、梵語。死者のたましい。子孫の供え物をつねにまっているもの。後世イメージとして餓鬼が生まれてきた。

お施餓鬼とは、餓鬼に施すから、お施餓鬼といいますが、食物を施すので、施食会と今はいいます。

餓鬼とは、物惜しみをして、他に施すことをしない者が落ちるとされている苦の世界で、そのとがにより体は醜く痩せ衰え、喉が針金のように細くなり、飢渇が満たされる事がないとされています。

   

目連尊者・・・父の輔相(ほそう)は天上界に生まれ、母青提(せいだい)は物惜しみをして地獄。 

 

人間の欲は、欲しい欲しい欲望に満たされる事がなく、常に飢えていると苦しみ悩む事になる、わたしたちの既に陥っている姿である。

阿難尊者・・・面然(めんねん)餓鬼に三日に死ぬと言われた。飲食を施すことにより救われた。

施食会は、飲食を施し、法を説き、成仏の功徳をご先祖様に供養する事と生きている者の福徳を増す。

 

二、甘露門、あらゆる仏様、教え、それを慕う人々、とりわけお釈迦さま、飲食呪を説かれた観音さま、甘露門の因縁を説かれた阿難さまに帰依いたします。

 

三、此処に私達は、苦しんでいる人々を救わんと志を起こし、器に飲食を盛り、ありとあらゆる苦しんでいる人に施さん。先祖代々の諸精霊よ。遠い昔に亡くなった者よ。山川広野に棲む餓鬼、鬼神衆よ。

  すみやかに此処に集まれ、我れ今、情けの心を以って皆に等しく飲食を施さん。

  願わくは、あなた達、この食事をいただく時、自分が受けるだけでなく、あらゆる生きとし生ける者に供養しなさい。その功徳を以って、あなたと皆が、ともに満足するのである。

  このように、慈悲の心を持つ時、皆が苦しみの世界から救われるのである。

   更に、願うところは、苦しんでいるもの達よ。私が施すところの甘露の食事により、苦しみを離れ、仏となる道、心の安らぎ、楽しみを得て、風の如く自由自在で時間と空間を超越し、共生している世界、慈悲の心を起こし、苦しんでいる者を導きなさい。

   又、願わくは、皆、成仏したならば、私を守り、私の志を遂げさせよ。

  この飲食を施すところの功徳と皆が成仏した功徳を悉くあらゆる者にまわし、みんな心安らかに共に生きようではないか。だから、みんな、この安らぎ食事を施し、共生きの心の輪を広げ、共に実行すれば、苦しみの世界に落ちる事はない。さあ、みんな、共に、甘露の教えによって、心の安らぎの世界に行こう。

 

四、苦しんでいる者よ。雲の如く集まれ、すべての欲望を離れ、如来のみもとえ。

  みんな、自己満足、地位名誉、財産の執着を捨てて、苦しみの世界から安らぎの世界、甘露の食事をしよう。

  この一つの食事を法の力によって無量の食事に増やし、飢えの苦しみを癒し、光明を与えよう。この功徳を以ってみんな、福寿延長、福徳円満を得よう。

  私は、今、一杯のみずに甘露の法味を加え、無量の甘露水となして、みんなに施さん。みんな身心の渇きをいやし、こころ安らかになれ。また、飲食に如来の法乳をそそぎ、甘露の法味として施さん。

  飢えや渇きを満たしたら、信心を磨け。貪りの心、醜い心、恥ずかしくなる心を離れよ。自分自身が人生の主人公になれ、人任せでは何もならない。欲張りの醜い心を離れ、正しい志を持ち、共に生きていこう。

  われ、今、汝に戒を授けよう。汝はすでに諸仏の御子であると。

  

吾が誓願によりあなたはすでに、甘露の法門により無量の飲食と甘露の法味を受け、五如来の功徳をこうむり、貪りの心が消えて、即ち、邪な道から正しい心を起こし、戒を受けた。今まさに、大宝楼閣(仏が修行している所)に登り、釈迦如来の徳光に浴し、妙法を聞く事を得ん。即ち、一切の苦しみから離れ、身も心も安らぎに満ちている。

    

   飢えを満たした者は、五如来に帰依し信心を磨け、

多宝如来「宝勝仏(南方赤)」に帰依し、貪りの心を除き仏智を見よ。

   妙色身如来「阿閦仏(東方黄色)」に帰依し、醜い身を離れ、清浄な体になれ、飲食を受けて、餓鬼の心を離れよ。

   甘露如来「阿弥陀(西方白)」に帰依し、妙法を聞き、身心に甘露を潅ぎ、餓鬼の身心を除き心に大安楽を得ん。

   広博身如来「毘盧舎那如来(中央青)」に帰依し、甘露の法を受け、貪り醜さを離れ、喉の広大を得たり、飲食を身心に充足せよ。

   離怖畏「如来釈迦(北方黒)」に帰依し、餓鬼道への恐怖、悉く除かれん。

   五如来に帰依したとき、地獄、餓鬼、畜生道への恐怖消えん。

   

 

五、オン アボキャ ベイロシャノウ マカ ボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリ タヤウン。

  仏の光明は、世界に遍満して、汝等、大宝楼閣に登ったならば、この陀羅尼を読誦し、仏の光明に包まれ、無量の罪業を消滅し衆生と共に仏道をなしとげなければ。ならない。

 

六、この甘露の法会を修行し、父母のからだを使いへらして疲れきる苦労の徳に報い答え申しあげる。

  生きている者は、幸せ、楽しみ長生きをして、亡き人は、苦しみを離れ、安穏に養生し、すべての生者、死者、生きとし生ける者は地獄餓鬼畜生の苦しみから、衆生とともに懺悔の功徳をこうむり、罪障を洗い、尽く輪廻を出でて浄土に生まれんことを。

 

七、普回向

  願わくは、此の功徳を以って普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜんことを。

 

  この普回向が甘露門(施食会)の目的であり、仏教の根本精神である。

甘露の法会を修行し、父母の苦労の徳に奉答し、存者福楽をまして長生きし、亡者は苦を離れ浄土に生まれ、国土の生者、死者、生きと死生けるもの地獄餓鬼畜生の苦衆生共に懺悔を蒙り罪障を洗い尽く輪廻を出でて浄土に生ぜんことを。

                                       正壽寺住職 呉 定明合掌