「失ってはじめてわかる尊さ」
平成十六年六月二十四日 於加茂法話会
一、「今年のなつ天国へ行ったおかあさんへ」・愛媛県松山市立和気小学校二年 竹田まい
おかあさん・・・おかあさん・・・おかあさん・・・・いくら よんでも もう
へんじをしてくれないんですね わたしが いもうとと ケンカばかりしているから?
おかあさんが いなくなってから 少し なき虫に なりました そして 少し
やさしくなりました。もう ケンカは しません 二人で なかよく します
いもうとを かわいがります だから だから わたしの なまえ
もう一ど よんで 下さい。
二、追善とは、亡者のために追って善事を修して福を薦めその冥福を祈ることです。
人の死後四十九日の間、霊は中有に迷って果報定まらないので善根を追修してその功徳を亡者に捧げ、三途の苦報を免がれさせようとして行うものです。
法要を営みその功徳を亡者に回向する、故人を偲び、徳をたたえ、死者の福を願うことは、『梵網経』に慈悲の心をもって善行をなすこと、父母兄弟等の家門の親しい先亡精霊に対して、冥界における幸福を資けるために宗教行事を勤めることが説かれている。
三、十三佛信仰と各忌の意味合い。十三佛のことは、『弘法大師逆修日記事』に始めて説かれている。
不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿閦・大日・虚空蔵。
一七・二七・三七・四七・五七・六七・七七・百日・一周・三回忌・7回・十三・三十三忌。
四、忌中法要について、みじかな人の死を忌みきらう日。おのれ(己)のこころ(心)に(中)あたる。
亡くなった佛様のことばかり思い、何も手につかないから、皆で助け合い、絆を深める期間。
千三百から千四百年頃は十三佛信仰だけであるが、一五六五年「諸回向清規」現代と同様に。
三ヵ日目・開蓮忌・佛になって蓮の上に生まれる事を願う。御佛に導いてもらう供養。
明治25年以降で、阿弥陀経より。もがり【殯】上代、貴人の本葬をする前、死体を仮に納めて祭る
一七日目・初願忌・不動さま、次の生まれる処をはじめて願う供養、成仏を願う。
菩薩の生き方。
二七日目・以芳忌・芳は(姓名)御先祖様と同じ処に行かれたかな。
般若(釋迦)のみ舟に乗らせる供養。芳は煙り、つまり、仏様の食事。
三七日目・洒水忌・無事に三途の川を渡る。文殊様の智慧の水を灌いで頂き罪業消滅の供養。帰依。
四七日目・阿経忌・普賢様に阿弥陀様と同じ、光の存在となってを見守ってほしいと願う行の供養。
五七日目・小練忌・閻摩様の小吟味、地蔵菩薩に拔苦してもらう。諒闇あけ、練−斂・
棺に納める。
六七日目・檀弘忌・変成王の裁き、弥勒さまが来れるまで、残された者は追善の布施行を誓う供養。
七七日目・大練忌・薬師様、自他共に薬により心も體も安らぎ救いを願う供養。
斂−埋めて葬る。
百ヵ日目・卒哭忌・観音様が、もう人前で泣くのを卒業しなさい、
「慈悲・智慧・勇気」追善供養。
一周忌・小祥忌は儒教の行持(祥)仏事を挙行すること。喪より十三ヶ月目に行う儀式。
参回忌・大祥忌は、亡くなってから25ヶ月目に仏事を行うこと。
七回忌から百回忌までは、日本独自に発展したところがある。
七回忌・・・休広忌、広く休息すること。
十三回忌・・・称名忌、となえ(となへ)。おおやけにいう名前。「尊称」「称号」
十七回忌・・慈明忌、慈しみを明らかにする事
二十三回忌・・思実忌、本当の事を思い巡らす。
三十三回忌・・清浄本然忌、人の手を加えず自然のままであること。もともとのすがた。
五十回忌・・・阿円忌、阿は始め、円くなる。尽界にひとしくなった。