濁り水を澄ますには

平成十四年六月二十四日 於加茂法話会

一、ワ−ルドサッカ−、一つのボ−ル取り合って勝敗を決める。審判の采配。

 

二、子供のおもちゃの取り合い。

 

 

                                    こ うんえ じょう

三、永平寺を開かれた道元禅師とその弟子、二代目の孤雲懷@禅師の問答。

『正法眼蔵随聞記』長円寺本・二巻の四の一、猫を斬った物語。

         なんせん

四、有る時、南泉(七四八〜八三四)の門下で、両堂の大衆が猫を争っていた。

 

南泉はそれを見ると、たちまち、猫を引っ捕えて、『一句言ってみよ、言い得 れば切らずにおこう。一言のなければ切ってしまうぞ。』といった。

 

しかし、大衆のうちで一人として物を言えなかった。そこで、猫を一刀両段に 切り捨ててしまった。

                   じょうしゅう

そのあとで南泉禅師が弟子の趙州和尚((七七八〜八九七)にこの話をすると

趙州は草鞋を脱いで、頭にのせて出て行ってしまった。

これは一段とみごとなやりかたであった。

 

五、道元禅師(一二〇〇〜一二五三)が言われた。

 

私が、南泉であったら、すなわち、こう言おう。

 

『一句言い得ても斬ってしまうぞ。言い得無くても斬ってしまうぞ。

猫を取り合っていたのは一体誰だ。

 

それから、私が、大衆の代わりにこう言おう。

 

『このように大衆一同が黙然としているのは、まさに(佛)道の全体を言い得 ております。さあ、お師匠さま、どうぞ、猫をおきりください。』

 

また、大衆に代わってこうもいおう。

 

『南泉大和尚は、一刀両段を知って一刀一段を知りませんな。』と

 

六、懷@禅師(一一九八〜一二八〇)が尋ねた。

 

『一刀一段とは、どういうことですか。』

 

道元禅師が言われた。

 

「大衆が一言もなく、しばらく受け答えがなかったならば、南泉はこう言った らよい。」

 

『諸君が黙っているところに、(佛)道の全体がそのまま現れている。これが いいえたところだ。』といって、つかまえていた猫をはなしたらよかろう。

(猫は逃げていく、これが、一刀一段である)

 

 

 

七、東僧堂と西僧堂で猫を取り有っている。お互いの心のあり方は、ともに濁った 水のようである。

 

南泉禅師は、濁った心で猫を取り有っている修行僧の心のスイッチ(猫)を斬 った。

 

趙州和尚は頭に草履を乗せて出ていった。

濁っているコップの水をヒックリ返した。濁った心の水を流してしまった。

 

八、道元禅師のスゴイ所。

 

言っても、言わなくても猫を斬ってしまうぞ。(心の気づき)

 

猫を取り合っているのは、誰だ。

 

道元さんが居たら、大衆一人一人が斬られたかもしれない。

 

九、それから、私(道元)が、大衆の代わりにこう言おう。

 

『このように大衆一同が黙然としているのは、まさに(佛)道の全体を言い得 ております。さあ、お師匠さま、どうぞ、猫をおきりください。』

 

黙然(黙っている所に)濁った水はゴミと水に別れる。

 

濁っていた水も欲望のスイッチを斬れば、水(ほとけ)とゴミ(欲望)に分か れる。

 

これが、『一刀一段』である。

 

十、『諸君が黙っているところに、(佛)道の全体がそのまま現れている。これが いいえたところだ。』といって、つかまえていた猫をはなしたらよかろう。

(猫は逃げていく、これが、一刀一段である)

 

皆が欲望のスイッチを切っているのだから、そこには清らかな仏の心が現れて いるのである。

 

欲望のスイッチを斬る

 

南泉さんは、猫を斬る。↓濁ったコップを割ってしまった。

 

趙州さんは、草鞋を頭に乗せる。↓濁った水を流してしまった。

 

道元さんは、黙っている。↓ゴミ(欲望)と水(佛)に分かれる。一刀一段

猫を逃がす。↓欲望の対象(猫)逃げていく。 一刀一段

 

                                とん じん

十一、心の三つのゴミとは、貪(欲望)・慎、瞋・痴、癡

 

十二、同じ水を飲んでも牛は乳を出し、同じ水を飲んでも蛇は毒を出す。

 

正壽寺住職 呉定明 合掌

 

或時奘問て云く如何是不味因果底道理師云く不動因果なり云くなんとしてか脱落せん師云く因果歴然なり云くかくの如くならば因果を引起すや果因を引起すや師云く總てかくの如くならばかの南泉の猫兒を斬るがごとき大衆既に道ひ得ず便ち猫兒を斬却しおはりぬ後に趙州頭に草鞋を戴きて出たりし亦一段の儀式なり亦云く我れ若し南泉なりせは即ち云べし道ひ得たりとも便ち斬却せん道ひ得ずとも便ち斬却せん何人か猫兒をあらそふ何人か猫兒を救ふと大衆に代て云ん既に道ひ得ず和尚猫兒を斬却せよと亦大衆に代て云ん和尚只一刀兩段を知て一刀一段を知らずと奘云く如何是一刀一段師云く猫兒是亦云く大衆不對の時我れ南泉ならば大衆既に道不得と云て便ち猫兒を放下してまし古人の云く大用現前して軌則を存ぜずと亦云く今の斬猫は是便ち佛法の大用現前なり或は一轉語なり若一轉語にあらずば山河大地妙淨明心と云べからず亦即心是佛とも云べからず便ち此一轉語の言下にて猫兒即佛身と見よ亦此詞を聽て學人も頓に悟入すべし亦云く此斬猫兒即是佛行なり喚で何とか云べき云く喚で斬猫と云べし奘云く是れ罪相なりや否や云く罪相なり奘云くなにとしてか脱落せん云く別別無見なり云く別解脱戒とはかくの如を云か云く然り亦云くたヾしかくの如きの料簡たとひ好事なりとも無らんにはしかじ