定光寺 乙川文英
平成二十年七月二十八日 加茂法話会
三帰礼文
自帰依佛 当願衆生 体解大道 発無上意
自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無礙
《自ら佛に帰依したてまつる 当に願わくは衆生とともに 大道を体解して 無上意を発(おこ)さん》
《自ら法に帰依したてまつる 当に願わくは衆生とともに 深く経蔵に入りて智慧海の如くならん》
《自ら僧に帰依したてまつる 当に願わくは衆生とともに 大衆を統理して一切無礙ならん》
『正法眼蔵』「洗浄」巻より(河村孝道校註本)
身心これ不染汚なれども、浄身の法あり、心法あり。ただ身心をきよむるのみにあらず、国土・樹下(じゅげ)をもきよむるなり。国土いまだかつて塵穢(じんえ)あらざれども、きよむるは諸仏之所護念(しょぶつししょごねん)なり。仏果にいたりてなほ退(たい)せず、廃(はい)せざるなり。その宗旨、はかりつくすべきことかたし。作法、これ宗旨なり、得道、これ作法なり。
華厳経浄行品云、
左右便利、当願衆生、ケン除穢汚、無婬怒癡。
《左右の便利には、当に願うべし、衆生の、穢汚をケン除し、婬・怒・癡を無からしめんことを》
已而就水、当願衆生、向無上道、得出世法。
《已りて水に就かば、当に願うべし、衆生の、無上道に向い、出世の法を得んことを》
以水滌穢、当願衆生、具足浄忍、畢竟無垢。
《水を以て穢を滌(あら)わば、当に願うべし、衆生の、浄忍を具足し、畢竟無垢ならんことを》
水、かならずしも本浄にあらず、本不浄にあらず。身、かならずしも本浄にあらず、本不浄にあらず。諸法、またかくのごとし。水、いまだ情・非情にあらず、身、いまだ情・非情にあらず、諸法、またかくのごとし。仏世尊説、それかくのごとし。しかあれども、水をもて身をきよむるにあらず。仏法によりて仏法を保任(ほうにん)するにこの儀あり。これを洗浄と称ず。
『華厳経』浄行品より
晨朝覚悟 当願衆生 一切智覚 不捨十方 (振鈴の偈)
剃除鬚髮 当願衆生 断除煩悩 究竟寂滅 (剃髪の偈)
沐浴身体 当願衆生 身心無垢 内外光潔 (入浴の偈)
手執楊枝 当願衆生 心得正法 自然清淨 (『正法眼蔵』洗面)
晨嚼楊枝 当願衆生 得調伏牙 噬(ぜい)諸煩惱 (『正法眼蔵』洗面)
澡漱口歯 当願衆生 向浄法門 究竟解脱 (『正法眼蔵』洗面)
手執錫杖 当願衆生 設浄施会 見道如実 (諸講式の錫杖の偈)