久昌寺涅槃托鉢 (二十一)  平成十五年三月

昨年は、当寺にとりましては節目の年。本堂再建二百年、山門階段・石垣等の諸工事と、仏様に見守られながら、無事に円成(お檀家の皆様の功徳は仏様に献上)ことしは第二期工事で、本堂屋根銅板工事。すでに少しずつ足場の材料が運搬中。茅葺きで百年、瓦(明治三十二年葺き替え)で百年。夏の暑い日もあれば、冬の寒い日もあり、暴風雨、大雪にも瓦みずからが表に立って、文句も言わず恩にも着せず、黙々として、よく建物を守ってきてくれました。百年瓦(ひゃくねんがわら)に感謝、感謝です。

「多くの方々から、銅板を奉納していただきたい」と、有縁の方々に

『久昌寺本堂屋根銅板一文字写経奉納』を、お願いしております。銅板の裏面に『般若心経』の一文字、二文字を写経していただき、願い事や供養の戒名、住所、氏名を油性のマジックペンで書いていただきます。私もそうですが、書いてくださる皆様も、ほとんどご自分のお家の安全や健康を祈念し、ご自分のお家の戒名・法名を書いています。それでよろしいのですが、昨年の十月、秋葉の正法寺様での仏教講演会の講師、アルボムッレ・スマナサーラ長老のお話をお聞きして、ハッとさせられました。「仏教は幸せになる教えです。それにはただ尽くしていきなさい。何も求めずに」と。言葉は簡単ですが、難しいことです。「そしてお称えする言葉がありますよ」と。(運命が好転する「慈しみ」実践法)

一.                     私は幸せであリますように

二.                     私の親しい人々は幸せであリますように

三.                     生きとし生けるものが幸せであリますように

四.                     私の嫌いな人々も幸せであリますように

五.私を嫌っている人々も幸せであリますように

「いつも念じてください」と。三.四.五.は、なかなか祈ることができませんね。いかがですか?

 このお話を聞いた三十代の奥さんは、私に次のように話してくれました。

「私はいつも念ずることはできませんが、毎日寝る前に実行しています。そうしましたら、少しギクシャクしていた職場での人間関係でしたが、皆さんの私に対する接し方が代わってきました。これはいい事だ。だから私、このことを子どもに教えます」と。

 銅板の願い事、ご自分のお家の事でいいのですが、その裏に「生きとし生けるものが幸せでありますように」という大きな願いが無いと、幸せの方向とは逆の方向に行くのではないかと、教えられました。

※ 三月十五日(土)午前十一時より、ねはん会・お話・おとき  どうぞおまいり下さい

            午後三時より、子どもねはん会(だんごまき) ご遠慮なく、どうぞ

涅槃の図 みな泣いていて あたたかし 【久昌寺坐禅会】毎週土曜日 夜七時〜九時 どなたでも