越後奥三面「山に生かされた日々」

山、山、山、山しかおれにはねえなあ。
 ひと言ひと言、噛みしめるように彼は言った。
 幾多の恩恵‥…・、山に教えられ、山に生かされておれたちははくらして来た。
 そうも言った。
 その彼のふるさとが、ダムの湖底に消える臼が、いま刻々に近ついている。
 小国(山形県)へ七里、村上(新潟県)へ九里。
 半年近い長い冬。深い冬。
 昭和五十七年二月、彼ら数人の山人たちは山に向かった。
祖先伝来の狩り衣裳を着け、ナメゾ(長柄の槍)で斜面の雪をそぎ落しながら、黙々と山をのぼった。
 人は、彼らのことをマタギと呼ぶ。が、彼ら白身は、自らを山人(やまど、やまひと)と言う。羽越国境の山岳地帯に生きた山人たち。
 春。広大な山地に点在するゼンマイ小屋のくらし。
 子どもも犬も猫も、家族そろってゼンマイ小屋に入る。小・中学校は、十日問のゼンマイ休み。
 萌え出たゼンマイは、カモシカも好きだ。冬籠りを終えたクマも、萌え出たフナの新芽を食べにあらわれる。
 アサツキ、ココ、メ、ミツノて、フキ、ウド、ワラビ、ウルイ、ミス‥…、この山地は、山菜の宝庫である。
 そして春から秋へ、雪のない忙しい季節がはじまる。
 サツキ(円植え)、カノ(焼畑)、イウナ、ヤマメ、などの川魚(昭和二十年代後半まではマス、サケも遡って来ていた)そして秋の木の実、キノコの採取。ここはまた、木の実、キノコの宝庫である。
 昭和五十七年四月、山人たちは当の奥山に入り、丸木舟をつくった。深い渓苔地帯でもあるここには、昔は橋がなく、昭和三十年代までは丸木舟が重要な交通手段であった。
 新しい丸木舟つくりは、ふるさとの生活文化を記念するためであった。
 奥三面は、はるかな縄文時代の遺跡をもち、平家の落人伝説をもつ歴史の古い山村である。戸数四十二戸。
 大自然と見事に対応し、大自然の鼓動を自らの鼓動として人びとは生きて来た。
 その奥三面が、いままさに消えようとしている。

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