コラム「火縄銃 嘉永三年」
完成した火縄銃を持つ(有)坪源社長
「加茂市長です。仕事をお願いします」
突然の新潟県加茂市の市長の来社に驚いたが、その仕事内容はもっと驚きのものだった。少し前に加茂市の長瀬神社で火事がありました。全焼はしなかったとは思うのですが、そこに片づけられていたお祭り道具が燃えてしまった。それを作って欲しいと、燃え残ったその道具を持ってこられた。
さて、その道具とは.....火縄銃のケースのダミー(←ややこしい)お祭りの日にこれを担いで町を練り歩くそうです。
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火縄銃のケースの復元にあたり、接合部分をはずしてみたところ、ほぞの部分に
「嘉永三年(西暦1850年)、庚戌三月一五日、細工人、加茂町、田村伴六」
という、書き込みを発見した。うわ〜スゴイ古い。こんなときのインターネットだ!ちょっと調べてみよう。
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え〜と「嘉永3年」か...出ました。
「嘉永6年ペリー来航」おお凄く古い。これが西暦1853年だから、1850年か。
これは150年前の代物だ。惜しい、実に惜しい。神社が火事で焼けなければ県の重要文化財くらいにはなったかもしれない。それにしても150年前の職人の技を見ることが、このようなかたちで見ることができるとは! よ〜し、今回完成した時は私も自分の名前と製作年号を接合部分にこっそり書いておこう。
それにしてもペリー来航か...生きた歴史の勉強だね。
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さてこの「田村伴六」ですが...
当時、庶民には苗字がゆるされてなかったはず。このように氏素性ははっきりわかっている場合は極めて珍しく、もし加茂市に「田村伴六」の子孫の方がまだ住んでいられるのでは?
その後、加茂市長さんよりお電話いただき、お話を聞いたところ、なんと、その子孫がまだ加茂市におられるとのこと。そしてこの「田村伴六」という名前は加茂市在住の建具職人の家に代々伝わる名前だということ。「松本幸四郎」みたいなものか?
現在もその子孫の方が市内に住んでおられるとのことです。
以下は復元にあたっての留意点です。
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1.使用素材
桂、無垢材。
製材後、10年以上天日にて完全乾燥させたものを使用。
2.銃身と銃床部分の組み合わせ
実物は銃床の回転を止めるために、四角く「ほぞぐみ」されていた。そのため刀剣の鞘の合わせ技法により、銃床部分を二枚の木を接着して、ほぞの雌型部分の成形がなされている。
これを一本の木(いわゆる「無垢材」)で成形する事は不可能なため、四角のほぞを「丸形」にした。(写真参照)
その上で、銃床の回転を止めるために銃身をかたく打ち込む。さらに念のため、ごく少量(米粒大)の接着を施行。
銃床の取り外しをする必要はないと思われるが、取り外すことは可能。
なぜ、回転することを嫌ったかと推理するところ、肝心な銃身部分の「家紋」が担ぎ上げた際に正面ではなく、横を向いてしまうことを防ぐためだと考えられる。
3.仕上げ
表面仕上げには、ウレタン塗装仕上げ。使用したウレタン塗料は耐水性に優れ、万一ご巡幸中に降雨にさらされたとしても、変色、剥離等はありません。
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さて、この火縄銃が初のお目見えとなりますのが、6月15日の長瀬神社のご巡幸です。午後2時出発で加茂市内の駅前商店街を巡幸するそうです。平日で仕事もあるのですが、当日はなんとしても見に行きたいものです。晴れますように。
破損した木製お祭り小道具など修復いたします。 お気軽に、お問い合わせください
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